第7話 夢≒記憶情報

 目を開くと、髪の長い女の子が微笑んでいる。

 顔はよく見えなかった。だけど、微笑んでいるという事実はわかった。――いや、覚えていた。

「本当に、彼でよかったのかい? もっと歳の近い子や、お姉さんでもよかったんだよ?」

 そばにいる誰かが尋ねる声。

「ううん、大人の方が良かったの! パパみたいに大きな手なのがいいのよ!」

 彼女の手が、自分の手に触れる。確かに彼女の手はまだ小さかった。子供の手だった。アオが手を重ねれば、容易に覆い隠すことができるほどに。

「――はじめまして、『  』様。俺の名前はご自由に決めてください。俺はこれからずっと、貴方のものです。音楽が好きだとうかがったので、楽器の演奏ができるように調整済みです。ピアノでも、バイオリンでも何なりと、どうぞご命令ください」

 アオは初期設定に倣って、彼女に話しかける。

 すると彼女は急に不機嫌になる。

「わたしは名前を教えた覚えはないわ」

「申し訳ありません、旦那様に先にうかがっておりましたので」

 ぷりぷりと怒る彼女に、アオは少しだけ困りはてながら、そう答える。後にして思えば、きっと彼女は自己紹介するのを楽しみにしていたのだ。それなのに先にこちらが全て知っていたのですねてしまったのだろう。

「もっとロマンチックな呼び方にして! そうね……お姫様とか」

「はい、かしこまりました――『お姫様』」

「そう、私はアオのお姫様よ!」

「アオ?」

「髪の毛が青いから、貴方の名前はアオよ。今そう決めたの!」

 ――これは、いつの記憶だろう。誰との記憶だろう。

 お姫様。そういえば前にもそう女の子をそう呼んでいたような。

 わからない。思い出せない。

 意味もない、圧縮されて沈められた情報の断片が積みかなさって、たまたまこういう形をとった。

 それだけのこと。ただの夢。


 その日も、アオの目覚めはあまりよいものではなかった。



「おはよー、アオ」

「おはようございます、ヒメ。先に顔を洗ってきてください」

「はぁい」

 目が覚めて、まずうなじにつないでいた充電ケーブルを引き抜く。隣で寝ているヒメも起こして、顔を洗いに行かせる。自分はその間に着替えて、ヒメと入れ替わりに顔を洗う。それからヒスイからわけてもらったパンとスープを温めてヒメと一緒に食べるのだ。

 それがここ数日のアオの日課となっている。

 アオは別に食べる必要はないのだが、一緒に食べないとヒメがすねるのだ。だから二人分食べている。食費のことは考えたくない。

 今日は非番だったが、ヒメの食事のこともあるのでよて亭に向かうことになっていた。その内『お迎え』がやってくるだろう。

 言っている側から、窓がノックされた。ここは二階なのだが。

 呆れ顔になりつつ窓を開けると、サンダルを手に持ったサンゴがひょいっと身体をすべり込ませてきた。サンゴの部屋はアオの真上だ。彼女はたまにこうやって、雨どいを伝って侵入してくる。

「落ちたらどうするんだよ」

「落ちないよ。っていうか、これくらいの高さなら落ちても着地できるし。私の身体ってそういう風にできてるもん」

 サンゴのボディは運動能力に特化してできている。軽い金属でつくられた骨格に強靭なバネ。身軽に動き回ることを初めから想定して作られているボディなのだ。だからまるで軽業のようにひょいひょいと跳んだり跳ねたり、あまつさえ階下のアオの部屋に身一つで降りて来たりできる。

 新人の頃はよくこうやって遊びにきていた。一回間違って窓枠を壊してしまってからは普通に玄関から来るようになったのだが、ヒメが来てからまた悪癖が復活してしまったようだ。

 理由は簡単で、素っ頓狂なことをするとヒメがはしゃぐからだ。

「サンゴお姉ちゃん、ヒメもお姉ちゃんみたいに窓から入ってくるのやりたい!」

「ほら、ヒメがマネしようとする」

「あー、うん、ごめんって」

 ヒメを引き合いに出されると、さすがにサンゴも多少は反省したようだった。

「そこまでして張り合わなくてもいいのに」

「だって、ルビィってばシオンと徒党を組んでヒメちゃんと仲良くなろうとするのよー。私の方が先なのに!」

「先とか後とかいう問題か」

 そう言っている間に、今度はインターホンが鳴る。

「ああ、もう……」

 玄関に行って、ドアを開ける。するとルビィとシオンが立っていて、シオンが真顔で帽子から鳩のおもちゃを取り出した。ガチャガチャと奇怪な動きで部屋の天井を飛び回る鳩。それを面白がっておいかけるヒメ。

「俺の部屋は集会場じゃない……」

「知ってるわよぉ。ヒメちゃんを愛でる会場よねー」

「違うっての」

 ずかずかと上り込むルビィが、どちらがヒメに構うかでサンゴとしのぎを削り合う声を聞きながら、アオは頭を抱えて座り込んだ。ここがよて亭の住人ばかりのアパートじゃなければ、騒音で訴えられているところだ。ヒスイは店の仕込みがあるから、そうそう来ることはない。しかしそれ以外のメンバーは入れ替わり立ち替わりやってくる。

「ルビィがごめん。でも、僕も割と楽しい」

「シオンまで……」

 ヒメが来て以来、アオの部屋はすっかりたまり場になっている。ヒメは遊び相手が毎日来てくれて嬉しそうだ。これでいいのかもしれないが――。

(ヒメの身柄をどうするか、決めないとなぁ)

 彼女の記憶はまだ戻らない。

 本人は記憶がないことを不安に思ったりはしていないようだ。アオにかぎらず、よて亭のみんなによくなついている。初対面ではむくれていたルビィともすっかり打ち解けて、今はサンゴと三人で手遊びをしていた。二人で競って子守係を引き受けようとするものだから、アオがすることといったら食事の用意と寝かしつけくらいのものだ。

 ルビィがいくつか服を仕立て直してくれたし、下着の類はヒスイがコネを使って子役用のものを手に入れてきてくれた。靴はシオンがサンダルを編んでくれて、お風呂はサンゴが面倒をみている。

 ヒメは事実上、よて亭のみんなに養われているようなものだった。平和でほのぼのとした日常は、ギンがいなくなってから少しばかり空虚だったよて亭の空気をすっかりと和ませてくれた。

 こあまりにも平和なので、いっそこのままでもいいようにも思えてくる。しかし、いつかははっきりさせなければならないのだ。彼女が本当に『旧人類』なのかどうか。もしヒトなら、何であんなところに眠っていたのか、何故充電コネクタがないのか。

 そもそもあの遺跡はどういう用途で作られたものなのか。わからないことがたくさんある。

「あ、そうだアオ。夕方から空いてる?」

 シオンの手品にヒメをとられてしまったので、ヒマになったのだろうか。手に持ったままだったサンダルを置きに、サンゴが玄関へと顔を出した。

「まぁ、今日は昼の部だけだけど……ヒメに必要なもの買いにいこうと思ってる」

「じゃあ、ついてっていい?」

「そうだなぁ。うん、サンゴがいた方がいいかも、だし」

「服とか?」

「そう、服とか」

 ちなみに、サンゴに散々けなされたあの服は、その後ルビィとヒスイにも散々にコケにされてしまった。シオンが無表情のまま「僕はかわいいと思うけど」とフォローをいれてくれたのが、かえって残酷だったくらいだ。

 そこまで全否定されるとさすがに認めざるを得ない。自分にはファッションセンスがない。そういえばただのシャツと動きやすい無難なパンツくらいしか、服を選んだ覚えがない。ステージ衣装がわりに使っている、見栄えのするブーツやらは、ギンからのおさがりであったり、サンゴやヒスイの見立てで買った物ばかりだ。

(本当に、ファッションセンスってスキルデータで売ってないのかな)

 割と真剣にそう考え始めたところで、不意にサンゴが耳打ちしてきた。

「ちょっと気になることがあって、アオと話したいの」

「え? ああ、うん……」

「昼営業終わったら、裏で待ってるから」

 それだけ告げると、サンゴはサンダルを玄関に放って、何事もなかったかのようにまたヒメの元へと戻っていく。いつも通り、シオンの手品を見ながら女子三人がはしゃぐ声。

(もしかして、わざわざ窓から来たのって……何か話があったからなんじゃ)

 思いの外早くにルビィとシオンがやってきたので話せなかっただけで。

「ヒメのこと……いや、違うか」

 ふと思い出したのは、数日前のこと。

 ――考えすぎるのはやめなさい。それこそ、ギンみたいになるわよ。

 ヒスイの、あの言葉だった。

(そういえば、ギンは何で突然、『天国』に行ったんだ? 何か理由があったんじゃないのか? ヒスイ姉さんは、それを知ってるんじゃ……)

 ギンは『天国』に行く前に、ヒスイときちんと話をしていた様子だった。殴られた、と言っていたから、ごまかしもなく正直に話したのだろう。そして、ヒスイはギンを殴ったけれど、少なくとも止めはしなかった。止めない理由があったのだろうか。

 あれから一か月。表面上、ヒスイはいつもと全く変わったこともなく過ごしている。客の前では笑顔を絶やさないし、食事は美味しい。仕事だって、ギンが抜けた穴で、多少アオとルビィの演奏が増えたくらいだ。

 ヒスイはきっと、何かを知っている。知っていて、黙っている。

 そのこと自体は、ヒメと関係しているわけではない。アオがヒメを見つけたのは偶然だ。サンゴがたまたま珍しく遺跡に興味を示さなければ、アオは湖にはいかなかったかもしれない。遺跡探索だって、もっと近場に行っただろう。

 ただ、何かが。正体のつかめない、何かが引っかかっている。

 サンゴも同じように、気になっていることがあるのかもしれなかった。

「大事なことを、忘れてる気がする……」

 ありえない。ヒトはみな、大切な記憶だけを選り分けて、不要だと合理的に判断したものから記憶を圧縮していくはずなのに。

 圧縮された記憶は、当面必要になることがない雑多なものばかり。

 そういう風に、できている。


 ――本当に?

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