第6話 眠れる遺跡のお姫様

「ちわーっす!」

 突如、バタンッ、と勢いよく扉が開け放たれる。

 アオとサンゴ、ヒスイ、そして女の子が驚いて振り向くと、良く磨かれた林檎の皮よりも深い紅髪の少女と、その後ろに少し後ろに落ち着いた紫色の髪の少年。どちらも十五歳ほどで、顔立ちが良く似ている。

「ルビィ。それとシオンも。今日は非番だろ?」

 二人とも、よて亭の従業員だった。ルビィは昨日、シフトをアオに押しつけた張本人である。主にサックスの演奏をしていて、たまにサンゴと一緒に踊っている。シオンはルビィの弟分の、店の裏方だ。少し前までアオと交代でギターを弾いていたギンが辞めてしまったので、彼は目下ギターが弾けるようにとアオに教わっている最中である。

「かわりのサックス見つかったから、報告に。シオンが頼まれてた雨漏りの修理をするって言ってたし。たまには贅沢してヒスイ姉さんのご飯食べたいし!」

 ルビィは肩のあたり切りそろえられた赤いくせ毛を、指でくるくると回しつつそう答える。そしてアオのとなりでブルーソーダに夢中だった女の子を見つける。

 アオが止める間もなく、ルビィは目を輝かせて女の子に顔を寄せた。

「えっ、何この子? 新人? 子役?」

「子役じゃないし、新人じゃないよ。この子は俺の……預かりもの?」

 何と表現していいかわからなくて、アオは曖昧な答えを返す。よて亭で世話になるならばいずれ見つかるとはいえ、今の段階でルビィと合わせてしまったのは失敗だったかもしれない。完全に好奇心の餌食にされる流れだ。

 彼女はとにかく新しいもの、面白いものが好きなのである。

「えー? だって子役なんてそうそういないでしょ。何で預かるの? っていうか名前は? お名前!」

 ルビィがテンション高く質問責めにするので、女の子は少しばかりへそをまげてしまったようだ。ソーダ水のコップはしっかりと持ったまま、ぷいっとそっぽを向く。

「えー、名前教えてよぉ」

「ルビィ、その辺にしといて。その子、名前わかんないの。記憶喪失だって。だからアオが預かってるんじゃん?」

 見かねたサンゴが助け舟を出してくれたが、ルビィは別の方向にスイッチが入ったようだ。

「それじゃお医者さんいかないと! ねぇ、シオン、すぐにデータ復旧が得意なお医者さん調べて」

「るーびーぃー?」

 重低音。

 ヒスイがルビィを呼ぶ声に、一瞬にして場が静まり返った。

 ヒスイは怒ると怖い。よて亭の面々は、己の体験をもってそれを知っている。特に暴走しやすいルビィは、誰よりも思い知っているはずだった。

「や、やだなぁ、ヒスイ姉さん……、そんな怖い顔しないで」

「…………今のは、ルビィ悪い」

 ずっと沈黙していたシオンが、後ろからぼそっと呟く。弟分に背中から撃たれたルビィは、ついに観念したらしく「すみませんでした」と頭を下げた。

 シオンは女の子の頭を優しくポンポンと撫でると、手元からポンっと小さな造花を出す。

 女の子は目をくりくりとさせてシオンを見上げた。シオンの表情はぴくりとも動かない。彼は元々あまり感情表現をしないだけなのだが、怒っているともとれるような表情だ。

「今のどうやったの?」

 しかし、女の子はひるまずに果敢に尋ねた。シオンはもう一度、袖の中からポンと造花を増やす。そのひとつを女の子の耳元に飾る。

「あげる。ルビィがごめん」

「くれるの?」

 手品の仕掛けに対する好奇心よりも、花をもらった嬉しさの方が勝ったらしい。女の子は急に満面の笑顔になる。シオンが頷くと、キラキラした目でアオの方に振り向いた。どうやら感想を求められている。これは期待に応えねばなるまい。

「はい、とてもかわいいですよー」

「やったぁ」

 女の子は大はしゃぎだ。シオンが機転をきかせてくれて助かった。

「シオン、手品なんてできたの?」

「……よて亭の出し物になるかと思って。サンゴとルビィばかりに任せられないし……演奏はルビィもできるけど、サンゴはほとんど一人で踊ってるし」

「それで手品を覚えたんだ」

「うん。元々適正値の高い設計のボディだから。スキルデータ料金も安かったよ。生活にあまり必要ないし、稼げる感じのスキルじゃないから、あまり買う人もいないんだろうね」

 淡々としているが、わざわざ袖に仕込んでいたところを見ると、想定通りに驚かせられて満足がいったのかもしれない。頼んでもいないのにもう一つ花を出して、ふたつの花をそれぞれルビィとサンゴに差し出す。

「アオにもシオンくらいのイケメン度があればなぁ」

「俺にも手品のスキルデータを取得しろと?」

「そーいう問題じゃないし! アオってば服のセンスも最悪だったし。ギター弾く以外にも、もうちょっと色々考えた方がいいんじゃない」

 サンゴがこれみよがしなため息をつく。ルビィが詳細を聞きたそうな顔をしていたが、アオはさらりと無視をした。

(ファッションセンスってスキルデータあるのかな)

 知識や技術も、空き容量と使用しているボディに適正があれば、データを買って簡単にインストールできる。器用なボディのシオンが手品を覚えたように。知識系は基本的に空き容量しか必要としないから買えば手に入る。売っていればの話だが。

「結局、この子は何者?」

「そうそう、それ、その話よ」

 シオンの質問に、ルビィが思い出したかのように便乗する。ヒスイが怖いからかぐいぐいとはこない。それでもやはり気になってしまうのだろう。

「あー、わかった。かいつまんで説明するから」

 サンゴとヒスイに話したことをかなり端折って説明する。ルビィがいちいち詳細を聞きたがったが、そこを突っ込んで話していたらよて亭の開店時間をすぎてしまう。

「つまりこの子は『旧人類』の遺跡にいた眠り姫ってこと?」

 シオンが詩的にそう表現した。ルビィは納得いかなさそうに椅子に座って足をバタバタと揺らしている。

「でも『旧人類』って生身でしょ? 百年も生きられないのよ? ヒトが今の姿になってどれだけ経ったと思ってるの? アオってばちょっと遺跡に夢見すぎ!」

「さっきサンゴにもそう言われたところだよ」

 つい昨日、サンゴにやっと理解してもらえるかと思ったこの趣味も、やはりマイノリティの壁は突破できないらしい。事情もわからずにご機嫌の様子の女の子の頭を撫でてやりながら、アオは呼気を伴わないため息をついた。

 ヒスイはカウンターの中から出てくると、女の子が空にしたグラスを片付け、ふきんでテーブルを拭きはじめる、そろそろ開店時間が近いのだ。アオもギターを持ってこなければならない。

「その子の正体は実際どうかはおいといて、仮でもいいから名前つけておきなさいよ。しばらく面倒見るつもりなんでしょ?」

 ヒスイに指摘されて、初めて呼び名を決めていなかったことに気が付く。

 何故か不思議と、名前を付ける気にはならなかったのだ。記憶が戻るかもしれないとか、それどころじゃなかったとか、後付の理由は思いつく。それでも、指摘されるまで全く、考えもしなかった。

 ――女の子の名前を軽々しく呼び捨てにしちゃいけないんだからね。

 いつの記憶だったか、そんなことを言われたことがあるような。そんな気がする。

 いつのことか思い出せない。そもそも、サンゴやルビィのことなら、今までに散々呼び捨てにしてきている。何故この女の子に限って、疑いもなくそう思ったのだろうか。

「アオに任せたら変な名前つけそう」

「あっ、わかる。サンゴとあたしでつけよっか」

「それがいいね」

 サンゴとルビィが徒党を組んでそんなことを言い始めた傍らで、アオはそっと立ち上がって女の子を腕に抱え上げた。

「ヒメ」

「……ひめ?」

「君が名前を思い出すまで、ヒメって呼びます。何せ眠り姫様ですから。それでいいですか? 俺のかわいいお姫様」

「うん。ヒメでいいよ!」

 女の子――ヒメがニコニコと笑ってアオの首にしがみつく。

 名づけの機会を奪われた女子二人は、微妙に釈然としない顔だ。

「いや、マトモだけどさぁ」

「眠り姫って、シオンの受け売りじゃん」

「何とでも言え、ヒメがこの名前でいいって言ったんだから俺の勝ちだ」

 ヒメ。

 それがこの女の子の名前。本当の名前は知らないけれど、いつの日か彼女が思い出して教えてくれるまでは。

 ――俺のお姫様。

 そう呼んでいた人が昔いたような気がするけれど。

 何故か懐かしい響きに感じるのだけど。

 アオはその何とも言い難い感情を、ただのデータの混乱だと思い込むことにした。昨日から色々とありすぎたから、圧縮して鎮められている記憶情報が変に刺激されているのかもしれない。

 大切なことは忘れない。今のヒトはそういう風にできているから、忘れない。絶対に。

(本当にそうだろうか?)

 何か、大切なことを深い深い記憶の底に押し込めてしまっていないだろうか。

 あの遺跡がずっとあの湖の傍らに眠りつづけていたように、どこにも出入り口がない場所にふさがれて出てこれないだけではないだろうか。

 崩壊したら、溢れてでてこないだろうか――?

「……アオ、何か変だね」

 気づいたらじっとシオンがこちらを見ている。無表情な彼の琥珀色をした瞳が、アオの内心を見透かすようで、思わず目をそらした。

「うーん? そうかな?」

「気のせいならいいけど」

 言葉少なに彼はそう続けて、しかしその話題はサンゴが割って入ったことで中断となった。

「あ、シオン。裏の衣装箱に青いスカート入っているでしょ? それ、この子のためにワンピースにしたいから出しといてもらえるかな? わからなかったらルビィに聞いて!出しておこうと思ったのに、つい話しこんじゃった」

 そう言えば、当初の目的はヒメの服を見繕うことだったのだ。シオンは素直に「わかった」と答え、アオの腕からヒメを預かる。

「仕立てくらいならルビィもできるし、僕はヒメの靴を何とかするね」

「ああ、そうだね。靴も必要だ」

「じゃあヒメちゃん、お姉ちゃんたちと遊ぼうっか!」

 ルビィとシオンがヒメを連れて裏方へと引っ込んだのを見て、アオも店の片隅にある棚からギターを引っ張り出す。サンゴはワンピースのままで踊る心づもりらしい。長めの裾をベルトで少し持ち上げていた。無精というか何というか。

 サンゴはヒメたちが消えた裏の扉をじっと見て、何やら考え込んでいる。

「どうした? ダンスをやめてヒメと遊びたーい、とかいうのはナシだぞ。一応仕事だからな」

「いや、うーん……ねぇ、アオ、わざとなんだよね、ソレ」

「何が?」

 割と真面目に考え込んでいるようで、彼女の眉間にはしわが寄っている。これから楽しいダンスを披露する舞姫がこんなことでいいのか。苦笑を漏らしたアオだったが、次に彼女が漏らした言葉に、思わず息をのむ。

「どうしてアオ、ヒメちゃんには敬語使ってるの?」

 あまりにも当然のようにそう振る舞っていたので、サンゴに言われるまでアオですら違和感に気づいていなかった。

「どうして、だろ?」

「私、ヒメちゃんがすねていたから、わざとやっているんだと思っていたけど、何かずっと敬語のままだし……」

「いや、特にそういう意識はして、なかった、けど……」

(そういえば、何か今朝、そんな夢を見たような……詳しい内容は思いだせないけど)

 ヒトのみる夢は、圧縮された記憶の断片だ。普通に記憶していられるのは、せいぜい三十年前くらいまでなのだ。

 だからそれよりも前のことを、たとえば自分が生まれたばかりの頃のことなどは思い出せない。いつから自分が存在しているのか。血肉でできた『旧人類』は新陳代謝で細胞を新しいものと入れ替えて行ったというが、今のヒトだって古いパーツは徐々に組み替えられていく。生まれた頃と同じ部品が残っているヒトなんてきっと存在しない。

 自分がいつから、どんな風に存在していたのかを、ヒトは知らない。

「もしかしたら、だけど」

「うん……」

 アオの言葉に、サンゴは神妙な顔でうなずいた。

「相当昔に、俺はヒメくらいの女の子と一緒にいたのかも。俺はきっと彼女に丁寧語で話しかけてたり、したのかも」

「よて亭に来る前に、子役と一緒に過ごしていたかも、ってこと?」

「うん。もしかしたら、その頃は今よりももっと子役とかに需要があって、子供なんて普通だったとかさ。だって俺たち、あまりにも昔すぎることは覚えてないからさ。可能性として、なくはない、かなって」

 過去は時を経て埋没を繰り返し、数多の記憶情報に隠されて遠ざかる。それが現在を生きる「ヒト」の忘却だ。壊れて死ぬまで続く。情報の蓄積と埋没。

 ふと、つい一か月ほど前によて亭を去ったヒトのことを思い出した。

 自分と同じ背格好だった。顔もよく似ていたけれども、性格の違いが顔つきにでるとかで、案外みんな、普通に見分けてくれた。髪の色だけは違っていて、彼は紫がかった銀色だった。

 彼の名は――。

「ギン……」

 口にしてから、すぐに後悔した。そこにヒスイがいるのに、彼の名前を出してしまった。

 ギン。よってっ亭の元同僚。よて亭では誰よりも古株だった。よて亭は初め、ギンとヒスイが二人ではじめた店だったからだ。――二人は、恋人同士だった。

 今はもういない。

「元気にしてんじゃないの? 『天国』で」

 ヒスイがこともなげにそう告げた。

 彼女はいつも通りの様子で、グラスを乾いた布で磨いている。『天国』で元気にしているなんてありえない。それを、この世界の誰もが知っている。

 『天国』に行くというのは、生きるのをやめるということだから。ただの鉄くずに還るということだからだ。

 だけどヒスイはいつも通りの声音のまま、続ける。

「考えすぎるのはやめなさい。それこそ、ギンみたいになるわよ」

 アオもサンゴも何も言葉を返すことはできず、ただ気まずそうに顔を見合わせることしかできなかった。

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