第5話 ヒトと幼女とエンゲル係数

 女の子の足の大きさにあう靴がないので、仕方がなくアオは肩車をしていくことにした。高くなった視界が楽しいのか、女の子はすっかりご機嫌だ。ちなみにサンゴに糾弾されたあの服は、結局着てはもらえなかった。だから今、彼女はひざ下丈のサンゴのスカートを胸もとで結んで即席ワンピースにしている。

「ノーパンで肩車って」

 うろんな目で見つめてくるサンゴに、アオは必死になって首を横に振った。

「いやいや、俺にコドモをどうこうする趣味とかないからね。下着はどうにもしようがないよ」

 そもそも、この世界には子供型のヒトがほぼ皆無なのだ。下着の類は全て特注品だろう。課題が色々と山積みだ。

「で、結局この女の子どこで拾ってきちゃったの?」

「ああ、うん、それなんだけどね……」

 昨日、よて亭を出て遺跡に向かった後のことをかいつまんで説明する。歩きながら話すといっても、よて亭までの道のりは片道わずか五分ほど。丘を下るだけなのだから当然だ。結局、道すがら説明できたのは、この女の子を遺跡で拾ったということだけだった。

「ええ、それじゃあこの子、遺跡にいたってこと?」

「うん、そう。見慣れない部屋を見つけて、何か機械が作動して、気づいたらこの子がいてワンワン泣いてたので、こう……置いてくわけにはいかないだろ」

「そりゃあ、ねぇ」

 頷いて、サンゴはよて亭の従業員用の裏口を開けた。

 ランチの仕込みをしているのだろう。いい匂いが漂っている。

 ぐきゅるるるるる、と奇妙な音がなった。聞きなれない音にアオとサンゴは顔を見合わせたが、どうやら音の正体は女の子から発生している。女の子はアオの髪をぴんと引っ張った。どうも彼女は、アオの頭をいじることが気に入っているようだ。

「ねー、アオ、お腹減った」

「ん? お腹が減ったんですか?」

「え、じゃあ充電ポート借りようか。ヒスイ姉さんに言ってくるね」

「ああっ、ちょっと待って、サンゴ!」

 パタパタと駆けていくサンゴを慌てて引き止める。よて亭までの道のりがあまりに短かったので、アオはまだこの女の子に関する重要ないくつかの事項を伝えきれていなかった。

 そのうちのひとつ、ある意味最重要項目は――。

「この子、充電できないんだ!」

 サンゴは立ち止まり、半身をひねって振り向いた。人気ダンサーの面影が失せるくらいに珍妙な表情をしている。

「…………はぁ? どこの世界に充電できないヒトがいるのよ」

「ここに! ここにいるよ!」

 アオが肩に載せていた女の子を腕に移動させつつそう答えると、サンゴはもう一度心をこめて「はぁ?」と不審そうな声をあげた。

「ヒスイ姉さんにも説明しないとだし、いちからちゃんと話すよ」

「え、マジな話なの?」

「マジな話じゃないと思っていたのか……」

 いささか呆れながら、アオはため息交じりに店内に続く扉を開いた。

 カウンターの内側で、ヒスイが何やらスープを煮込んでいる。美味しそうな匂いにつられたのか、女の子のお腹はますますぎゅるぎゅると鳴った。どうやら空腹を感じると鳴るらしい。

 今のヒトにおける空腹は充電不足、というのが通常の認識だ。食べ物はあくまで嗜好品。だけど昔の名残なのか、ヒトは充電不足も『空腹』と表現する。

 だけど、この女の子にはヒトに必ずあるはずの充電コネクタがない。そして今、ひっきりなしにお腹を鳴らしている。

(いや、うん……可能性はある、とは思っていたけど)

 改めて目の当たりにすると、どうすればいいのかわからなくなる。

「ヒスイ姉さん、この子にスープとパン、わけてあげて」

「んー? え? 何、その子」

 アオとサンゴだとわかっていたからか今まで鍋の方ばかりを見ていたヒスイが、ここにきてようやく振り向いた。見知らぬ小さな女の子の姿に、目を丸くしている。

「え、アオ……あんたそういう趣味、だったの? わざわざ子役用意しちゃうくらい?」

「誤解! それ完全な誤解だからね、ヒスイ姉さん!」

 結局、アオはヒスイとサンゴに一番初めから順を追って説明をする羽目になった。アオとサンゴはいつも早めに来る方だから、まだ時間は大丈夫だ。

 女の子はヒスイの作ったスープを気にいったらしい。スプーンを握って、ちびちびと食べている。ちなみにおかわりの二杯目だ。

 サンゴに案内できそうな場所を、湖にもぐってさがしていたこと。崩落して今までにない横穴ができていたこと。そこを調べてみたら『旧人類』の遺跡がほぼ完全な形で残っている部屋に行き当たったこと。

 そして、誤って遺跡の機械を作動させた後に、この女の子が現れたこと。

「んんっ、それじゃあこの子、遺跡に迷い込んでたってことじゃなくて、最初から遺跡にいたってことなの?」

「少なくとも、俺があの部屋を見つけた時は誰もいなかった。暗かったけど様子は確認していたし、あのクジラみたいな形の機械も、少なくとも俺が何かの装置を起動させるまで一切動きがなかったよ」

 この女の子を連れ出すのは大変だった。水に潜って連れ帰ろうとしたら、ぶくぶく泡を噴くし。泣かれるし。仕方なく背負って脱出用のはしごをのぼろうとしたら、アオの機械の身体+女の子の身体の重みで、劣化していた踏桟を踏み抜いて落ちるし。泣かれるし。

 とはいっても、はしご以外に連れ出す方法も思いつかず、結局はしごが壊れる前に上りきるというチキンレースをする羽目になった。冷静に考えると相当危なかった。機械の身体だって、急に強いダメージをうければ死ぬことがあるというのに。

(ましてやこの子……機械じゃない、っぽいし)

 そして、それこそが最大の問題点なのだった。

「俺、この子が『旧人類』の生き残りなんじゃないかって思ってて」

「アオ、いくら遺跡が好きだからって夢見すぎ」

 サンゴは苦笑いで「ないない」と手を振る。しかし、アオだって何も考えずにロマンだけでこんなことを言っているわけじゃない。

「そうはいうけどさ、サンゴ……この子、充電コネクタもないし、お腹はなるし、すぐに目から水をだすし、髪の毛は黒っぽいし、おまけに見た目も中身も子供だし……むしろヒトっぽい要素の方が少なくない?」

 髪の毛は一見無関係のようだが、一応根拠がある。カイセイ近隣にかつて住んでいたと思われる『旧人類』は、大半が黒、または黒に近い茶色の髪を持っていたとされるからだ。今のヒトは髪色を自由に変えられるし、髪の色を個性の一つと考えているから、独自の色に変えている場合が多い。

 かつて『旧人類』が持っていた、黒や茶、金色といった髪の毛はまず見ない。赤毛はいるが、かつてのような色合いの者はなかなかいないだろう。自由な髪色は進化の象徴である。パーツ交換一つで何とでもなるこの世界では「生まれつき」なんてナンセンスだ。

 サンゴは「むー」と唸り声をあげて考え込んでしまった。

 黙って話を聞いていたヒスイは、女の子にデザートのプリンを出してやると、カウンター越しに黒髪をくしゃりと撫でる。女の子はすっかりヒスイに懐いてしまったようで、エヘヘヘとはにかんだ笑顔を見せた。

「そう思うなら、ここに連れてくるよりも先に『旧人類』学者のところに連れていくべきだったんじゃないの? まぁ、オススメはしないけれど」

 ヒスイの言葉に、アオも額に手をあてつつ頷いた。

 『旧人類』の遺跡が大好きな割に、アオがその手の学者を目指さなかったのには理由がある。単純にギターを弾く方が性にあっていたというのももちろんあるのだが、『旧人類』学者には変人が多いのだ。中には現在のヒトはニンゲンが進化したものではなく、かつては『旧人類』の奴隷であったものの末裔だと主張する者までいる。そういうヒトがいるせいで、純粋な『旧人類』遺跡愛好家まで白い目で見られるのだから勘弁してほしい。

 中には『旧人類』を神のごとく崇める宗教じみた連中もいるそうだ。そんな盲信的なヒトビトが溜まっている界隈に、もしかしたら『旧人類』かもしれないという女の子を連れて行ったらどうなるのか、わからないほどアオも平和ボケしていない。

 そこまで過激ではない知り合いもいるにはいるが、数日はひとまず様子をみるべきだと判断した。

「うなじの充電コネクタがないのは、ひとまず食事でどうにかできるみたいね。その子の分くらいだったら、ツケにしといてあげるわ」

「ありがとう、ヒスイ姉さん。でも、ツケなんだね」

「食事は贅沢品なのよ、当たり前でしょ。給料から天引きよ」

「で、ですよねー」

 ヒスイは容赦がない。これから毎日食費がかかるとすると、自分の給料はどこまで減るのか。アオは頭を抱えてカウンターに突っ伏した。

「アオ、どしたの?」

 女の子がまたアオの髪をつんつんと引っ張りだす。どうにも引っ張りたいお年ごろらしい。

「なんでもありません、なんでもありませんからね!」

(君の食費のことなんてちっとも気にしていない。気にしていないとも)

 自分にそう言い聞かせた。『旧人類』は食費をこんなにかけて、どうやってやりくりをしたのだろうか。当時は食事が必須だったわけだから、今よりはきっと安かったのだろうけれど。

「で、その子、本当に何も覚えてないの?」

 尋ねながら、ヒスイは女の子の前に青い綺麗な色をしたソーダ水を置いた。女の子は大喜びだが、アオはツケが増えている。頭と財布が痛い。

「名前も、家族も、どうしてあそこにいたのかも、何も覚えてないみたいだ」

「記憶喪失、ねぇ。機械ならデータの復旧でどうにかなるかもしれないけど、そういうわけにもいかないものねぇ」

 この女の子が『旧人類』ならば、なおのこと。記憶のことに限らず、怪我や病気になった時にも困ることになる。謎と課題が芋づる式にどんどんふくれあがって、アオはそっとため息をつく。

 今のヒトにとっては感情表現の仕草でしかないこのため息ですら、『旧人類』ならば呼気の排出を伴っている。細胞レベルで違うのだ。簡単にはいかない。

(どこかでこの子の正体を確認しなくちゃいけないんだよなぁ)

 それにこの子が本当に『旧人類』ならば、あの遺跡には他にもニンゲンが残っているかもしれないのだ。

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