第4話 子供のいない世界のコドモ

 ――さぁ、俺のかわいいお姫様、お次はどの曲にしますか?

 これは夢なのだと、すぐに気が付いた。

 すぐそばに小柄な女の子が足をまげて座っている。手を伸ばしてその柔らかい髪をなでてやりながら、アオは囁きかける。

 この場所がどんな部屋なのかもわからないけれど、アオは古びたギターを持っている。電子仕掛けではない、アンティークギター。

 女の子は首を動かし、こちらを見上げる。はっきりと面と向かって顔を合わせているはずなのに、何故か眩しくて顔がよくわからなかった。恐らく十歳に満たない子供。

 だけど彼女のことはよく知っている。そう確信が持てる。

 機械化されても、まだヒトは夢を見る。

 圧縮された情報の欠片がたまに浮上して、休眠状態の回路を巡る。

 だからこれも、思い出せないいつかの記憶に間違いないのだ。遠い昔、自分はこの小さな少女と出会っていた。

 ――アオの好きな曲がいいなぁ。

 表情が見えなくても、軽やかな声音で彼女が微笑んでいるのがわかった。

 ――お姫様のお好きな歌が、俺の好きな歌ですよ。

 だからアオもできるだけ、優しく微笑んで答えた。顔も分からない。よく見えない。だけどいつもこういうと、彼女は「仕方がないなぁ」とお気に入りの曲をリクエストする。

 そういう毎日だった。アオは毎日ギターを弾いて過ごしていた。アオだけの「お姫様」と一緒に。

 だけど――。

「うそつき」

 彼女の声が、冷たく沈む。

「うそつき、私の好きな曲なんて、本当は知らないだけでしょう」

 はっきりと、彼女の声はアオの心を抉り。

「いや、そんな、ことは……?」

 ない、と言えなかった。本当に思い出せなかったからだ。

 それが、圧縮された記憶情報の海に沈んで引き上げられないだけなのか、それとも本当に彼女のことを何も理解していなかったのか。

 ――あんなに、大切だったのに。

 それならどうして、彼女の記憶を圧縮してしまったのか。順次圧縮されていく過去の記憶の中でも、大切なものは残る。記憶の取捨択一をくりかえし、どうでもいい記憶から消えていく。ヒトの記憶はそういう風にできている。

 ――どうして、どうして。

 夢の中で、アオは混乱していた。すぐそばにいるのに彼女の顔が見えない。どうしても思い出すことができない。

 そこで、気がついた。

 機械化されたヒトの世界では、子供と老人はほとんど存在しない。大体が青年期の姿をしていて、タイプによっては中年であったりもする。だいたい、若くても十五歳前後の少年期の姿だ。

 単純に、子供や老人でいる意味がないのだ。子供の型でできる仕事などあまりない。狭い場所の作業はヒトではなく感情を持たない自立式小型機械が担当する。

 子供は生まれるものではない。作るものだ。『旧人類』の家族を真似てみたいヒトへのサービスとして、『子役』や『老人役』という職業なら一応ある。あとは『旧人類』時代の物語を演目にする歌劇や映画出演にも、彼らが駆り出される。

 しかし、需要がさほどあるわけではないから、必要とされた時だけカスタマイズされたボディに乗り換えることが多いようだ。アオは少なくとも、常時『子役』をしているヒトに会ったことはない。記憶に残る限りでは。

 愛おしげに「お姫様」と呼んで、ギターを弾いてあげた少女。

 確かに過去にあったはずの、この世界にはほとんどいないはずの『子供』。

 彼女は――誰だ?


 つんつん。つんつん。

 かすかに頭皮を引っ張られる感触に、アオの機能が休眠状態からの回復を開始する。

 何だか酷く懐かしく、そして哀しい夢を見ていた気がするけど思い出せない。夢とはそういう物だ。圧縮された記憶の残滓。休眠モードから回復すれば、また記憶の奥底に閉じ込められる。

 つんつん、つん。

「んん?」

 指令信号が体中を駆け巡り、完全に覚醒した。目を開ける。

 すぐ隣で、むすっとした顔をした女の子が、つんつんつん、と延々とアオの額を指でつついていた。

 そこでアオは、昨日の顛末を一気に思い出すこととなった。夢の余韻など一瞬で吹き飛ぶ。あの遺跡から、この子供を連れ帰ったのだ。

「こ、こら、やめてください!」

 あわてて彼女の手を追い払い、アオは起き上がる。

 女の子はだぼだぼのTシャツの裾をつかんで、ぷうっとふくれっ面をしている。シャツはアオが昨日、とりあえず裸はまずいからと貸し与えたものだ。おかげでアオは素肌にパーカーで帰ることになった。夏場で良かった。機械の身体になることで風邪という病気を克服した現人類でも、冷え切ったら動作は鈍る。

「また、そのシャツ着てるし……」

 成人男性用、それも丈が長めのものだったので、少女が着るとミニスカートのワンピースくらいだ。しかし、肩からずり落ちかけている。これを彼女の服にするのは無理があるだろう。

 どうしたものかと頬をかきながら、とりあえず「おはよう」と言うと、彼女もむすっとした顔のまま答える。

「……おはよーございます」

 どうやら相当、ご機嫌斜めのようだ。

 ひとまず、アオはこの女の子と向き合うことにした。目下の問題は服だ。

 実は昨日の時点で、彼女でも裾を折りたたむだけで何とか着られそうなシャツと、ゴムのミニスカートを買って来ていた。十五歳くらいの外見を想定して作られたスカートなので、少女にはひざ下丈になるが、着られないことはない。ベルトをつければ腰回りのゆるさもなんとかなるだろう。

 しかし与えたそれらを全部無視して、彼女はアオのTシャツを着ている。

「着替え、用意したでしょう。それに着替えてください」

「やだ」

 ベッドの上に置かれた服を指差しても、彼女はぷいっとそっぽを向くばかりだ。対話が成立しない。子供心は難しい。そもそもこの世界で子供心をわかるヒトがどこに存在するのか。

 アオは自分の寝ていたソファの上に彼女を座らせて、使っていた毛布をたたみはじめる。ベッドをこの少女に譲ったので、ここで寝るしかなかったのだ。

「だって、いつまでもサイズの合わない俺のシャツ着ているわけにもいかないでしょう?」

「かわいくないんだもん」

「わがまま言わないでください」

「わがままじゃないもん!」

 彼女はさっきまでアオが枕がわりに使っていたクッションを引っつかむと、渾身の力で投げつけてくる。毛布を抱えていたせいで両手がふさがっていたアオは、防ぎようもなく顔面にクリーンヒットを食らった。

「ぶ、……こ、こら! いいから着替えてください!」

「いーやーだー!」

 次はソファの下に落ちていた本がとんできた。やはり顔面にクリーンヒット。クッションほどの大きさはないものの、地味に痛い。機械の身体でも痛覚に等しいものはあるのだ。そうしないと故障に気づけないからであるが、今はその機能を恨みたい。

「お、お願いだから着替えてください。俺、これから仕事に行くんですからね? そのTシャツじゃお外に出られませんよー?」

 手を合わせて拝んでみたけれども、答えは丸めたタオルの塊となって返ってきた。というか、手当たり次第に物が飛んでくるようになった。

 投げつけられたものを避けて、片付けて、なだめてすかして。どれだけそれを続けていたのか。気づけば時計の針は回り、そしてドンドンドン、とけたたましくドアを叩く音が響き渡る。

『アオ、いないの?』

 ドアごしに聞こえる、来客の声。サンゴだ。昼の部で一緒になる時は大体行きあわせるのに、今日はアオがなかなか姿を現さないから気になったのだろう。

 アオは寝起きのままだった服をあわてて着替え、玄関のロックを解除する。

「開けたよ!」 

「アオ、何やってんの?」

 扉を開けたピンクの髪を持つ少女は、目を丸くしながら部屋の中を見回し、そう呟く。無理もない。あの女の子が手当たり次第に物を投げてきていたので、部屋中惨憺たる有様だ。非力だからなのか、旧人類のことわざで言う所の『武士の情け』というやつか、本よりも重量級のものは飛んでこなかったのが救いである。

「……お願い、助けて」

 アオはぐったりとしながら、その場にへたり込む。

 大荒れになった部屋の中で、外見年齢十歳にも満たない小さな女の子がわんわんと声をあげて泣いているという状態に、サンゴはいまだに目をぱちくりとさせていた。

「どゆこと?」

 サンゴがコキリと右に首を傾げる。濃いピンクの髪がさらりと頬にかかった。

 彼女の反応も無理はない。身体を機械化された人類には、子供型などほとんどない。『子役』以外にも、純粋に趣味で子供のボディを手に入れるヒトもいるにはいるのだろうが、純粋な意味での『子供』はいないのだ。

 要するに、限りなく純粋な意味で『子供』である、このメイドイン遺跡の少女への対処など、アオが知るよしもないということだ。

「んん? その子役、誰?」

「それ、俺も知りたい。あと、この子は子役じゃない」

 一言で説明することはできないし、実際彼女が一体どこの誰なのかをアオはまだ知らない。名前を言ってくれないのだ。

「だから、どゆこと?」

 再び疑問形。今度は左がわに首がコキリ。

「ああ、わかった。順を追って説明するから」

 この光景をすんなり納得してもらうのは無理がある。アオは説明を求めるサンゴの眼差しを手で制すると、目下の問題にとりかかることにした。すなわち、お着替えである。

「はい、それじゃあこの服に着替えてくださいねー」

「やだぁ! もっと違うのがいいー!」

「でも、俺なりに、選択肢が少ない中で、ちゃんと似合いそうなのを買ってきたつもりなんですよ……?」

 もう一度、ベッドの上の服を指さす。赤やピンクの鮮やかな色の服。だぼだぼで、今にも肩がずり落ちそうになっているアオのTシャツよりは、こちらの方が断然良いと思うのだが。

「ふーん……」

 サンゴが思案気な顔で、やってきた。そして頑なに嫌がられている例の服をびらっと両手で広げると、首だけでこちらを振り返る。心なしか視線が冷たい。

「うーん、とりあえず状況から判断するけどさぁ」

 サンゴがためいきまじりに、呟いた。

「その子の服が必要になった。アオがとりあえず適当に女の子っぽいのを買ってきた。だけど全然好みじゃないのを買ってきちゃったから、その子がすねちゃった」

「正解! すごいなぁ、サンゴ!」

 全問正解パーフェクト。思わずグッと親指を突き立てると、サンゴの視線がツンドラ級に冷え切った。冷ややかな目がメンタルをえぐり、立てた親指をすみやかに寝かせる。

「もう、正解! じゃないよ、アオ。何でいきなりこの子と一緒にいることになったのかはわかんないけど、正直、この服、センス悪すぎ。かわいくない。ダサい」

 猛烈な酷評に、面食らったアオは一歩後退する。

「え……赤とピンクだけど?」

「アオの基準って、赤とピンクなら女の子ぽくてかわいい、てレベルなのね。あっきれた。そんなんだからモテないんだってば」

 はぁー、とわざとらしいくらいに深く息をついたサンゴは、泣きつかれてぐずりはじめた女の子の頭を優しく撫でてやる。

「女の子だもん、かわいい服着たいよねぇ。センスのないお兄ちゃんでごめんねぇ」

「サンゴ、結構酷いね!?」

「酷くないです。むしろアオが女心わかってなさすぎてびっくりです。よて亭は女の子多いのにアオはどこ見てんの?」

 アオが買ってきた服をぽいと放り捨て、サンゴは女の子と一緒に並んでソファにこしかけると、自分が着ているワンピースの襟元を指で引っ張った。

「アオに質問です。今、私は何色の服を着ていますか?」

「……うん? そりゃ見ればわかるけど、白いワンピースだね?」 

「ヒスイ姉さんは普段、何色の服を着てることが多い?」

「あー、あんまり気にしてなかったけど、そういえば水色とか薄いグレーのが多いかな? ……うん、ああ」

 そこまで答えて、さすがにアオもサンゴの言わんとしていることを理解した。赤やピンクの服=かわいいという短絡的な連想ゲームで服を選んだことを責められているのだ。

「赤い服を好んで着ているのはルビィくらいよ? ルビィだってこんな濃い目のピンクの服とか絶対着ないし、全身赤やピンクで固めてるわけでもないし。この色って似合うヒト相当限定されると思うなぁ。そもそも、女性イコール赤やピンクって先入観はどこで仕入れたの?」

「……本当にすみませんでした!」

 両手をついて平謝りをしていると、それが面白かったらしくようやく機嫌を直した女の子が笑った。結果オーライというべきなのか、アオは少し判断に悩む。

「ねぇ、どんな色が好き?」

 女の子はきょとんとして、サンゴを見返す。きょろきょろと辺りを見回した後、アオの髪の色を指差してにこにこと笑った。

「青いのがいい!」

「青が好きなんだ。うーん……。あ、そうだ。よて亭の衣装置き場に余ってるのがあるわ。スカートをワンピースに仕立て直そう! 生地を詰めて肩紐つければいいから簡単よ。裾に白いレースがついているの。きっと気に入るわ」

「ほんと?」

 女の子が嬉しそうに笑ってサンゴに抱きつく。サンゴが彼女を抱きしめかえす。

 ほのぼのとした光景だが、正直、この女の子の処遇をどうするか、よて亭の仲間たちに協力を仰ぐにしてもどう説明したものかと考えあぐねていただけに、アオとしては複雑な気分だった。さっきまでは説明してほしそうにしていたサンゴが、あまりにもあっさりと女の子を受け入れてしまったのが拍子抜けだったのかもしれない。

「聞かないの?」

 思わず尋ねてしまう。サンゴは苦笑いを漏らす。

「それはよて亭まで歩きながらでいいよ。この子、ここにひとりで留守番させるわけにはいかないんじゃないの?」

 まさか、今日のところは留守番させるつもりだったとは言えない。

 アオもまた、苦笑いをするしかなかった。

 まだ何も始まってはいないのだ。――まだ、何も。

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