第3話 ヒト≒ニンゲン

 昼の公演が無事に終わり、アオはそそくさと荷物をまとめて、よて亭を飛び出した。長居をすると、せっかくの休日なのになしくずしに店を手伝うことになってしまう。出勤日ならウェイターやバーテンの真似事くらいはするが、いくらチキンをごちそうになったからといって、休日返上をするほどお人好しでもなかった。

 それに、せっかくサンゴが乗り気になってくれたのだから、遺跡探索初心者でも安全に潜れるルートを確認しておきたかったのだ。

 あまり遠くない場所がいい。海の近くの方が遺跡群は多いが、万が一浸水したら取り返しがつかない。不測の事態があってもすぐに外に戻れば簡単なパーツ交換程度のケガで済む淡水湖がいいだろう。

 湖なら、郊外に良いスポットがある。サルベージ業者は海に集中しているから、湖に沈んだ遺跡は割と手つかずのまま残っている場所が多いのだ。アオが向かっているのも、簡単な調査が入っただけで、いまだに手つかずな遺跡のひとつだった。

 モノレールで片道十五分を行く。機械が文明の中心になっても移動手段は案外アナログだ。ヒトは地に足をつけた移動方法を好む。一応、空中移動ができる機械もあるのだが、物好きしか使わないのだ。機械の身体は軽量金属を使っているとはいえそれなりに重く、水分を厭うのと同じように、落下も嫌う。空を飛びたがるヒトは水にもぐりたがるヒトと同じくらいの珍獣扱いだ。

 やがてモノレールは旧人類時代風の駅にたどり着く。駅から出ると、そこは洒落た庭付きの家が立ち並ぶ、カイセイの街の中でも高級住宅街とされる地区だ。すぐそばには森が広がっていて、景観保全区に指定されている。私有地ではないので、勝手に荒らしたりしなければ自由に出入りできることになっていた。

 その森の、あぜ道を歩いて三十分ほど。

 アオのとっておきのスポットは、この小さな森の中にある湖だ。湖畔には申し訳程度にボートが備え付けられているが、あまり使われていない。アオも使ったことはない。

「今日はここに潜ってみるかな」

 水着姿になって紐で腰に防水ライトをくくりつけると、彼は思い切りよく湖に飛び込んだ。

 ほとんどが金属でできた身体は浮かび上がることはなく、冷たい色に染まった世界に深く深く沈んでいく。やがてたどり着いた水底から、上を見上げる。太陽の光が揺らめく水面から差し込んで、淡く白いカーテンを作っている。その白い揺らめきの中を、魚の群れが横切っていくのが見えた。

 アオはこの景色を見るのが好きだ。

 それよりももっと好きなのは『宝探し』だ。

 遠い昔、ニンゲンがまだ血と肉の身体で生きていた頃、世界は一度海面の上昇によって滅びかけている。『旧人類』の遺跡のほとんどが水の底に沈んでいるのはそういうわけだ。この湖も、一度海の底に沈んだ後、水が取り残されてできた。長い時を経て淡水湖となったが、かつてはここも周辺の森と一緒に海に沈んでいた場所なのだ。

 『旧人類』の遺産の有用性は証明されているのに、きちんと研究している学者が少ないことが惜しい。どういうわけか、血肉でできていた頃のニンゲンのことには無頓着なヒトが多いのだ。ヒトビトはニンゲンを健忘する。ニンゲンの文化に囚われながら、不自然なほどに。

「ロマンだと思うんだけどなぁ」

 アオは常々そう思っている。サルベージャーだって、『旧人類』の技術を解析して活用するためや、彼らが遺したレアメタルやら何やらを回収するために働いているのであって、趣味=仕事というわけではなかった。理解者はなかなかできない。

 アオはレアメタルなどの資源や、高値のつく発掘品を探すことにはさほど惹かれない。ただ、水の底でしか見られない、自分たちの先祖がかつて生きた証を、この眼に焼き付けておきたいだけだ。

 初めて遺跡を見に水の中を歩きに行ったのがいつだったか、もう覚えてもいなかった。圧縮処理された記憶の彼方だ。いつの間にか習慣になっていた。何かを探そうとしていた気もする。今は欠片もそんなことを考えていないが、一番初めはもしかすると、一獲千金を狙っていたりしたのかもしれない。

「サンゴを連れていくなら、なるべく綺麗な場所がいいよなぁ」

 女の子を連れて行っても安全で、しかも美しく見える場所。水に潜って水面を見上げるだけでも綺麗だけど、それでは遺跡探索の醍醐味は伝わらない。

 いつも潜っては探検しているのは、昔の人間が住んでいたらしい集合住宅の遺跡だった。長く水中に沈んでいるおかげで、大体の遺跡は水に浸食され崩れかけていて、危険だ。湖だから海に比べれば浸食は少ないものの、逆に大丈夫そうに見えるけれど実は危険、といった場所が点在している。

「見て回るのは外側からだけにした方が無難か」

 ぼやきながら水草の絡む瓦礫を乗り越えていくと、見慣れない光景が広がっていた。

 この辺りは幾度となく通っているのに、そこは以前とはまるで変わり果てている。

「なんだ、これ……」

 湖底の急斜面に、見覚えのない大きな横穴が空いていた。下の方に土砂が沈んでいるから、崩落によって姿を現したのだろう。横穴にライトを当てると、部屋らしき空間があるのがわかる。そういえば一週間ほど前に大雨が降ったのだ。その時に異変が起こったのかもしれない。

「未発見の遺跡か!」

 安全に、綺麗な湖底の風景を楽しめる場所を探す。そんな当初の目的は、新たな探検場所の発見によって、綺麗に覆されてしまった。今までみられなかった光景が見られるのだ。好奇心に抗いきれなかった。

 アオはその横穴がしっかりとしていて、崩落の恐れが薄そうなことを確かめつつ、少しずつ奥に入り込んでいく。

 建物が丸ごと土砂に埋まっているようだった。ところどころ土砂の重みに潰れているものの、まだ部屋の形が残っている。サルベージ業者に教えたら喜びそうな物件だ。有用なものを根こそぎ持っていかれて美観を損なってしまうので、あまり教えたいとは思わないが。

「これだけ残っているなら、どこかにすごいものが眠っていそうだなぁ。面白いものが見られそうだ」

 階段の跡を降りたり上ったり、まだ通り抜けできる廊下を進んでいるうちに、アオはずいぶんと深くまでやってきていた。たどってきた道筋はきちんと把握している。とはいえ、少し長居しすぎたかもしれない。

 そろそろ戻ろうかと、これで最後のつもりで階段を上ると、ライトの光が水面のゆらめきを映し出した。

 ――水面?

 この湖は、決して浅くはない。この遺跡は完全に土砂に埋もれていたはずだから、たとえ湖面より上に出たのだとしても、光が差していないところを見ると出口ということはなさそうだ。

 崩落を免れた部屋が、この先にある。

 気づいたら、危険かもしれないなんて考えは、消し飛んでいた。水を掻き、瓦礫に足をかけてよじ登り、どうにか重い身体を水面へと運んでいく。

 夢中だった。つき動かしていたのは、何だったのだろう。

 好奇心か――あるいは、本能だったのか。

 その水面の向こう側へと、水の抵抗をもどかしく思いながらよじ登る。

 ライトが、暗闇の中を照らし出した。うすぼんやりとした光が、しんと静まり返ったその空間の輪郭を浮き上がらせる。

 そこは、真四角の部屋だった。アオはゆっくりと部屋に這いあがると、その異様な光景をまじまじと観察する。

 壁は無数のパイプと基盤でびっしりと埋め尽くされていた。機械室のようなものだろうか。『旧人類』の遺跡でこういった機械が綺麗に現存しているのは珍しい。本当に人の手がほとんど入っていないのだ。

 永い間密室だったからなのか、意外と埃は積もっていない。だが、湿気はやはり入り込んでいるらしく、表面には錆びなどの劣化が目立つ。

 足元に気を付けながら、ライトを高く掲げて部屋の全貌を見ようとした。

 そこには――。

「何だ……これ」

 黒い楕円形の影がびっしりと床を埋めている。一瞬何かの生き物に見え、足がもつれて尻もちをついてしまった。ガタン、と防水ライトが落ちる音。しかし黒い影は微動だにしない。

「ただの装置、か。驚かせるなよなぁ」

 自立機械ですらないようだ。考えてみれば、自立機械が発展したのはヒトが機械化された後のことなのだ。『旧人類』の時代は、自立機械はそれなりに普及していたものの、まだアナログで対処していたケースも多かったという。この装置も人間が手動で操作する必要がある類のものなのだろう。

 ライトを拾って恐る恐る近づいてみると、整然と並んだ楕円形の装置は、壁から伸びているパイプと繋がっていることがわかった。何の装置かはよくわからないが、どれもヒト一人が横になれるくらいの大きさがある。床を這う小さなクジラの群れをみている気分だ。若干気味が悪い。

「どういう用途の部屋なんだ?」

 部屋中に張り巡らされたパイプと、クジラみたいなフォルムの装置。壁に沿って歩いてみると、スイッチが無数についた操作盤らしきものがこかしこにある。どれも初めて見る物で、さっぱり正体がわからない。

(もしかしたら、これはすごい発見じゃないだろうか)

 アオは改めてライトで部屋中をくまなく照らして、観察する。コードを避けるようにして歩き、ぐるりと一周して戻ってきた時。

「うわっ」

 足元のパイプにひっかかり、よろめいた。慌てて壁に手をついて、そして。

 ――カチッ

「……っっ!? 今、何か押して!?」

 慌てて飛びのいて、ライトを片手に思わず身構えたが――。

「まぁ、普通に考えたら何もないよな」

 何せ、『旧人類』の遺跡だ。遺跡にある機械のほとんどはすでに機能を停止しているものだ。大半は海に沈んだ時点で壊滅している。ここのようにかなり良い状態で保存されていたとしても、電力の供給がなければ沈黙するのみだ。

 と、思っていたのに。

 ヴヴヴヴヴ、と、くぐもった駆動音が響き渡った。間違いなく、この部屋からだ。

「え!? ええぇっ!?」

 思わず素っ頓狂な悲鳴を上げたアオは、慌てて出口を確認する。逃げるか、逃げないか。水に飛び込んだとして、通路を通って無事に安全な場所に出ることができるだろうか。ためらっている内に、どんどん音は大きくなっていく。

『――プ、カイ――、ウ――――カイシ』

 聞き取れないくらいかすかに、機械音声が何かを告げる。途端、大地震かというような揺れが部屋を襲った。

「……っ!」

 地面がぐらつき、ライトを取り落として、アオはなす術もなく床にはいつくばった。そのままどれくらい、床の上で揺れに耐えていただろうか。

 ゴウン、と分厚い鉄板を殴りつけたような音が上から響いてきて、首だけひねって上を確認する。そこで、信じられないものを見た。

 天井が割れた。

 本当に割れたのだ。綺麗に、真っ二つに。

 アオの目には、土と引き裂かれた芝生の残骸が怒涛のごとく部屋になだれ落ちる様子が映っていた。幸いというべきか、天井は観音開きをしたようで、落ちてきた土の量はその轟音に反してたいしたことはない。スライド式だったら、土砂の流入で生き埋めになったかもしれなかった。

「地上に繋がっていたのか……」

 どうやら、ここは湖のすぐ隣に埋まっていた場所のようだ。

 土をかぶった濡れ髪が、泥で黒く染まっている。うんざりとしながら、アオは部屋の隅から這い出した。まさか部屋の機能が生きているなんて思わなかった。

「はぁ、爆発とかしなくて助かったけれども、結局何の部屋でどういう装置なのかよくわからな…………んん?」

 首を傾げながら辺りを見回すと、白い水蒸気のようなものが足元に漂っていることに気がつく。どこかひんやりとしていた。かすかにアラームらしき音もしている。

「装置がまだ動いている?」

 アラームの音をたどって土の山を越えていくと、埋まることを免れたクジラ型の装置のひとつが、白い煙を大量に吐き出している真っ最中だった。

(なんか、まずい気がする……)

 さすがに、ついさっき不用意にスイッチに触れてしまって、こんな事態になったばかりなのだ。近づくのはためらわれる。見なかったことにして、帰ってしまうべきではないだろうか。

 アオがそう思うのを、誰も責められないだろう。何せアオは遺跡探索が趣味なだけで、専門学者でもサルベージャーでもない。湖と繋がっている入口は土を被ることを免れているのだから、このまま戻ってしまっても構わない気がした。

「あ、こっちからでも外に出られるのか」

 アオは壁に梯子が取り付けられていることに気がついた、天井が開いたことで、部屋に自然光が入って様子がしっかりわかるようになったのだ。

 今日は戻って、サルベージ業者にここを紹介しよう。発掘は業者の仕事だし、謎の解明は学者がする仕事だから。

 さすがに好奇心よりも危機感の方が勝ったアオは、踵を返す。梯子が劣化していなければ、このまま登ってしまえるだろう。あとは湖で泥を洗って、何食わぬ顔で街に帰る。

 それでアオの日常は戻ってくるはずだった。

 それなのに、どうしてだろうか。

 猛烈な感情の嵐が急に襲ってきて、アオは立ち止まってしまった。その感情をどういう風に表現すべきなのか、その時のアオには表現することができなかったのだが。

 ずいぶん後になってから思い返した時、その感情は『郷愁』と呼ぶべきものだった。

 懐かしくて、切なくて、美化された思い出を捨てきれずにすがるような。

 だからアオは一度だけ、煙を吐き続けるカプセルを振り返ってしまい。

 ――そこには少女がいた。

 クジラ型の装置がぱっくりと開いて、リクライニング式のシートがゆっくりと起き上がる。未だに溢れ続ける水蒸気の中で、今の時代には珍しい十歳ほどの年齢設定の『子供』がうっすらとその目を開く。一糸まとわぬ裸体のその少女はぼんやりと、辺りを探るように眺めていた。

 そしてアオの視線と、その少女の視線が絡み合う。

「……コドモ?」

 アオの小さな呟きに、彼女は大きく目を見開いて、そして。

「うわぁぁぁぁん!」

「え、えええ!?」

 まるで産声をあげる赤ん坊のように、声をあげて泣き出した。


 思えば、それが始まりだった。

 いや、もしかするとギンが『天国』に行った時に、すでに始まっていたのかもしれない。だけど間違いなく、運命の輪が回りだしたのはこの瞬間だった。

 ――その日アオは、恐らく二百年ぶりくらいに、『人間』と再会した。

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