第2話 カイセイの平和なヒトビト
カイセイの街は今日も賑わっている。
よく晴れた日の青空が素晴らしいから街の名前はカイセイらしい。単純明快で分かりやすい。それが今の『ヒト』のスタンダード。曖昧なものよりは明快なもの。
ニンゲンがヒトになったのはいつだったのか、もはや誰も覚えていない。永遠に近く生き続けるヒトは、数十年経つと膨大になった記憶データが順次圧縮保存されていく。一度圧縮されるとそう簡単には思い出せない。『記憶屋』に行ってデータをコピーしてもらって、それを閲覧してやっと思い出す。いや、もう一度覚えるという方が適切かもしれない。
それも昔になるほど取り出しづらくなっていって、そうなると誰もわざわざ思い出そうとはしなくなる。曖昧さを感受性で受け止める血肉の身体をしたニンゲンとは違い、今のヒトは必要のないものは『娯楽』としてしか愛さない。そういう風に進化した。機械の身体と共に合理性を手にいれた。
わざわざ古いものを掘り起こすのは、相当ニッチな『娯楽』なのだ。とはいっても、ニンゲン――専門的には『旧人類(ビフォアマン)』などと呼ばれるのだけど、彼らの研究をすることは一応有意義とされていて、専門家だってちゃんと存在する。今は大半が水の底に沈んでいるニンゲンの遺跡を発掘するサルベージ業者だってあるくらいだ。どちらかというと研究目的よりはお宝目当ての方が多いのだが。
要するに、あくまで趣味としてニンゲンの痕跡を追うヒトはそう多くない。
そして、アオはそう多くないニッチな趣味を持っている。
インターホンが鳴った。相手が誰だかわかっていたので、不用心に遠隔操作で玄関のカギを解除する。タッタッと軽やかな足音を立てて、サンゴはやってきた。
「アオ、また湖にもぐるの?」
顔を出すなり、彼女は呆れ顔でそう述べる。水着を入れた巾着袋と防水ライトを抱えていたので、目的地をごまかしようもない。しかもベッドの上には、昨晩読んでいた旧人類遺跡に関する本が無造作に放られていたりもする。
読書なんて電子のデータで即インストールできるこの時代に、紙媒体の本を好んで読むアオの性癖をサンゴには理解できないようだ。
「夕方までには戻るよ」
苦笑いでそそくさと荷をまとめようとすると、シャツのすそをぐいっと引っ張られた。伸びる。
「何だよ、いつも生ぬるい顔で見送るくせに」
「今日は待って。せめてお昼の部を終わらせてからにして」
お昼の部、という言葉で彼女が訪問してきた理由を察知した。仕事の話だ。
「俺、今日は非番だよ?」
「ルビィが楽器を壊しちゃって。代用品を借りに行ってるけど、間に合わないから昼は代打お願い。その後は湖に行ってもいいから。ね?」
「そんなのはギンに……あー、いや、うん、わかった」
すでにここにいないヒトの名を口にしてしまい、少しだけ気まずい顔でアオはうなずいた。これはどうも、行かざるを得ない状況のようだ。
「どうせ、ヒスイ姉さんにサンドイッチでも作ってもらおうと思っていたし」
「じゃあ、決まりね!」
サンゴがピンクの髪を揺らしながら部屋を出て、パタパタと足音を立てて階段を駆け下りていく。窓から覗くと、足の速い彼女はもう玄関から飛び出していて、急かすように手招きをした。
そしてそのまま丘の細道を下っていく。
丘の上のアパート『さしすせ荘』に、アオもサンゴも住んでいる。少し前まではギンも住んでいたし、仕事仲間のルビィや、彼女の相棒のシオン、そしてヒスイだって住んでいる。この適当きわまりない名前のアパートはいわば社員寮だ。
そしてその職場はと言うと――。
「あ、アオ。悪いわね。ルビィには今度ご飯おごらせるわ」
十席ほどの小さなレストラン。カウンターでからからと音を立てながら氷入りのサイダーを出す女性が、アオとサンゴを雇っているこの店のオーナー、ヒスイだ。その名の通りうっすらと青みがかっている透き通った翠色の髪が自慢の美人。
美人、といっても、機能性重視のヒト以外は大抵それなりに整った容姿をしているのだが。何せ顔だってオーダーメイドが可能な世の中だ。アオのようにほとんどデフォルトから手を入れていない顔だちでも、それなりに造形は整っている。
ヒスイが美人と称されるのは、彼女のご自慢の美しい髪と、お金をかけて手にいれた抜群のプロポーション、そして何よりもそこまでして整えた自分の美貌を別段鼻にかけることはしないさっぱりとした性格ゆえだろう。彼女の堂々としたたたずまいが、美形度に確実にプラスされている。
店の名前は「よってっ亭」。社員寮といい、圧倒的なネーミングセンスのなさがヒスイの残念なところであり、チャームポイントでもある。ちなみに従業員及び常連たちは「よて亭」と適度に略している。むしろ誰も正式店名を呼ばない。
よて亭の売りは美味しい食事とドリンク、そして、店の片隅にある小さなステージでのダンスと音楽演奏だ。ヒスイを合わせて、この店の従業員は五名。アオはそこでギターを弾く仕事をしている。暇な時は力仕事を手伝ったりもする。ちなみにサンゴはダンサーだ。音楽に合わせてダンスをしたり、曲芸をしたりする。楽器を壊してしまったルビィは、サックスを担当している。彼女の相方のシオンは、主に裏方担当だ。あまり表には出ないが器用なので、ステージ衣装を作ったりヒスイの料理を手伝ったりする。
歌って踊って飲んで歌って。この店はちょっとした憩いの場なのだ。
機械でできている現代のヒトは、基本的に飲食を必要としない。ケーブルでの充電が主だし、この店にだって有料サービスとして席に充電ポートが設置されている。飲み食いでも処理してエネルギー変換できる仕組みはあるが、充電した方がよほど効率的だ。それでもヒトは飲食できる構造を保持し、その一見無意味な『食事という趣味』を捨てられなかった。合理化の果てにたどり着いた機械の身体でも、血肉で動いていた頃の食の喜びまでは忘れたくなかったようだ。
考えてみれば音楽だってダンスだって、生活に必要不可欠なものではない。何だかんだで、合理的になったのは表面だけで、ヒトはまだニンゲンの頃と大した変わらない楽しみを胸に生きているのだろう。
要するに、よて亭はこれで意外に繁盛しているのである。
「でさ、ルビィがサックスを壊したって、修理が済むまでずっと俺がギター係なのか?」
アオがギターの弦を調律しながらぼやいていると、サンゴは両手を顔の前でパン、と小気味良い音をたてて合わせ、そしてふかぶかとおじぎした。
「レンタルか中古探すって。いくらなんでも音楽なしで踊るのもねぇ。生演奏だってウリなんだし、ね。お願い」
「わかったよ。まぁ、ヒスイ姉さんの飯が食えるし……」
「そうそう、従業員へのウリは美味しいまかないご飯だから」
カウンターの奥でヒスイが笑う。よて亭昼の部は午前十一時から。今はまだ十時。もう少しだけ時間がある。時間がきたらすぐに混みあってしまうので、ご飯は早めに済ませた方がよさそうだ。
サンゴのダンスを目当てにきている輩も多いから、誰もが嗜好品である食事をとるわけではない。ポートで充電料金だけ支払っていく客も多いし、飲み物だけ頼む客ももちろんいる。ただでさえ狭い店に食べる目的以外の客までひしめくから、従業員がのんびりご飯をしている余裕などないわけだ。
「今日のまかないは?」
「チキン香草焼き」
「やったー、お肉だー!」
アオよりも先にサンゴが喜んだ。ダンス衣装を振り回しながら、ぴょんぴょんと跳ねて大はしゃぎだ。無理もない。嗜好品である食事の中でも、肉は割と高級な部類に入る。魚に比べて手に入りづらいし、食肉動物を飼育する大規模な農場は近場にないからだ。
「まかないなのに、いいの?」
「もらいものよ。ちょっとしかないからここの三人の特別よ。サックスが壊れなければルビィが食べられたのにね」
「それはそれは……ちょっとだけルビィに感謝しておこう」
ほかほかと湯気の立つチキンをほおばって、じっくりと味わった。肉のうまみと香草の香りの情報が回路を駆け巡る。この喜びを考えると、機械化してまで食事の喜びを捨てられないのは、やはり人の本能なのだと思う。
「やっぱヒスイ姉さんの飯は美味い」
「ふふふ、褒めたって何もでないわよー」
そういいつつ、ヒスイはソーダの上にアイスをサービスしてフロートにしてくれた。彼女はストレートな褒め言葉にめっぽう弱い。
「ねぇ、アオ。本当にこの後、湖にいくの? いっそこのまま夜の部も手伝わない?」
隣の席でチキンをナイフで切り分けながら、サンゴはここまで持ってきた防水ライトと水着の巾着袋をじっと見ている。
「俺は非番なんだって言ってるだろ。勘弁してくれ。俺にとってニンゲンの遺跡巡りはロマンなんだ」
「だって、サルベージャーでもないのに湖にもぐるなんて、物好きの極みじゃん」
「皆、過剰に嫌がるけど、俺たちにはきちんと防水機構があるんだから、よほど大きな傷を作ってない限り、湖にもぐったくらいじゃサビもつかないからな? サンゴだってシャワーは浴びるだろ?」
「シャワーと水に潜るの一緒にしないでよぉ」
ヒトは機械でできているから、付着した汚れを洗い流す以外の理由で水にはあまり入りたがらない。しっかりと防水対策をされているから大丈夫だとは理屈ではわかっていても、やはり内部機構に水が入り込んだら大変な事態になるという恐怖の方が強いようだ。お風呂の湯船に浸かることもあまり好まず、大抵は皆、シャワーで済ませる。
もちろん、アオのように全く気にしないヒトもいる。水の底に沈んだ遺跡を発掘するサルベージャーは、専用の高機能な防水ボディを持っている者がほとんどだ。アオはお金をかけてまで防水ボディにしてはいないが、正直少し憧れる。
すべてはロマンのためである。
「ニンゲンの遺跡は基本的に水の底だ。大昔の大洪水で沈んだまま、発掘は遅々として進まない。皆、水を嫌がるからだ。サルベージャーはいつも人手不足だってさ。この前、一緒に働かないかって誘われたよ。断ったけど」
「そこまで遺跡好きなら転職したらぁ?」
サンゴの眼差しが呆れを通り越して珍獣を見る目になりつつある。アオは苦笑いをしつつ彼女にデコピンをひとつくれてやった。
「しないよ。俺は演奏家の仕事も気に入ってるしね。あくまで趣味として追い求めているんだよ。遺跡の雰囲気が好きなんだ。別に仕事にしたいわけじゃない」
「えー、そんなにイイの?」
「綺麗な場所だよ。ビルの残骸に魚が泳いで、水面から差し込んだ光が揺らめいて見える。あれを見ると、水が怖いなんて気持ちはなくなるな」
「ふーん、そっか。綺麗なんだ……」
今まで散々いぶかしげな顔をしてきたのに、綺麗な場所だと聞くと多少は興味がわいたらしい。サンゴが初めて少しだけ興味深そうな顔をした。
(そういえば、遺跡の話をきちんとしたのは初めてかもしれないな)
あまり具体的な話をしたことはなかったのだ。趣味を公言すると、湖にもぐるという時点で拒否反応を起こされることが多い。もっと遺跡のいいところを前面に出して語れば、同志も少しは増えたのかもしれない。
現にサンゴは今、アオの持っている防水ライトをじっと見つめている。
「今度連れて行こうか? 危なくない方法、きちんと教えるし」
「え、本当?」
サンゴの顔がパッと輝いた。わかりやすい。サンゴは好奇心旺盛だ。一度興味を持ってしまうと、行動に移したくなる娘なのだ。
一方、ヒスイはうろんな目でアオを見つめる。
「くれぐれもうちの花形ダンサーにケガさせないでよぉ?」
「大丈夫だって、俺はちゃんと安全な場所知ってるから」
「ほ、ん、と、にぃ?」
ヒスイは追及する気満々の様子だったが、慌ただしく皿を片付けて話を切り上げた。サンゴはすっかりノリ気になっているようだし、何よりも開店の時間が迫っている。ステージ衣装がわりに店のバックヤードに置いていた帽子とブーツを身に着けた。小さな店とはいえ、さすがに水にぬれてもいいサンダルでステージに出るのははばかられる。ただでさえ休日仕様の適当な服を着ているだけに。
慌ててギターを抱えて舞台そでの椅子に座る。サンゴはさっきまでチキンをもぐもぐと食べていたはずなのに、もうメイクまで完璧に直していて、澄ました顔でステージに立った。
「開店よ!」
ヒスイが扉を開け放つと、さっそくよて亭の半分くらいを埋めるほどの客がなだれ込んできた。どんどん客は増えていって、食べ物や飲み物を注文する者は奥へ、有料充電ポートだけを利用するものは手前のステージ近くを陣取る。
「みんな、来てくれてありがとう!」
「サンゴちゃん、今日はルビィちゃんはいないのかい?」
「ごめんね、ちょっと急用で。アオのギターで我慢して?」
「仕方ねえなぁ」
「俺のギターは我慢して聴くものなのか」
客とサンゴの言い草に若干げんなりとしながらも、チキンの分だけの仕事はこなす。ギターでかき鳴らすのはラテン調のメロディ。サンゴがその音楽に合わせてステップを踏む。短いフリルのついたスカートが揺れる度に、観客の男性陣が大喜びだ。
(ま、ぱんつは見えないけどな)
きちんと見えないようにペチコートパンツを履いている。しかし、その見えそうで見えない太ももが常連客の男どもには大好評である。
機械化されていわゆる肉欲は消え去ったはずなのに、ヒトがニンゲンだったころから脈々と受け継がれるエロ魂は絶滅にはいたらない。
ちなみにアオは既になれきっていて、今更サンゴが腰を振って踊っていても特別何と思う所もない。ついでにいえばアオのフェチは足よりはおっぱいだ。
結局誰も、煩悩は捨てきれない。機械の回路は何故煩悩まで再現してしまったのか疑問だ。疑問だが、基本的には踊り子におさわり厳禁をきちんと守れる清い大人の集まりなので、それだけでも機械化した価値はあったのかもしれない。
ご機嫌なメロディを奏でながら、アオは進化しきれない人類の性について想いを馳せていた。
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