第3章うつくしいひと……

「単刀直入に言う。ここは異次元、いや過去のクインキャッスルだ。周りを見てみろ。ここからじゃ見えんな……こっちだ」

 ミスターはすたすたと、信じられないほどの身のこなしで「ジャングル」をかき分けていく。その背についていきながらも青年の内心は……。

(あそこにいた女の子、恥じらって逃げちゃったけど、イケてたなア。目が青くて信じられないほど肌が白く輝いてて)

(金髪なんだ)

 青年はぼんやりしたような顔つきでミスターの後をついてきた。うっとりとして現実逃避である。しかし、ここが現実であるのかすらまだわからない。

 酔生夢死。

 一生わからないでいたら、よかったのかもしれない。ミスターは言葉なく、青年を振りかえった。

「はあ」

 青年は溜息だ。

 彼だとて心の底から知りたかったわけじゃないし、できればどこかに逃げ出してしまいたい。

 ここ以外の現実があるのならば。

 だが幾筋もある現実を逃げ出して後、自分の納得のゆく未来へたどり着けたとして、自分は一体いくつだろう。

「ひい、ふう……やめた」

 自分が死ぬまでに持っている時間は巻き戻せないのだ。下手をすれば死の間際、ということもある。

 真にご愁傷様な話である。いや、他人事である。少なくともしばらく前の彼らにとってはそうだった。

 後ろは手入れがされていないさびれたクインキャッスル。前は、赤い岩の転がる砂漠。

「なにか言いたいことはあるだろうが、回答役は捕まえてきた、さっきな」

 捕まえてきた、というのはさきほどベッドルームに垣間見た感じのする……。

「間男か」

「違う! フェミナとは婚約者なんだ」

「でえもお、こういうお城に普通に暮らしてるってことは……そしてこの時代なら、この城の女性はみんな王様のモノなんでしょ」

 フェミナの自称婚約者はかしこまって言った。

「王様、いつもお出かけなので、全員守り番です」

 へえ、それでお愉しみ……と下世話な発想が浮かんでくるのはなぜだろう。

 青年は一気に娘に(フェミナに)対する興味が薄れていくのを感じた。

 彼は悪い女が好きなのである。

 簡単に言えば誰にでもいい顔をする、馬鹿でカワイイ、男をふりまわす女である。

 青年は大体、受動的な性質なのであった。だから、だれかに振り回されたい、遊ばれたい、本気なんて……求めない。

 日ごろ楽しいことのない生活をしているのだろう。ちやほやされたい、異性にもてたい。

 でもかなわない。苦悩の日々。寂しいことだ。

 青年が暗い思いにふけっていると、別の女性の声がした。

「お二方、そのようなところで風にあたられていらっしゃるとお体に良くありません。城でなにかふるまいましょう」

 なにかほっとさせられる声だった。

 自称フェミナの婚約者は抗議するように言った。

「フィオナ、それはフィリアの役目だよ」

「あの子またお客様に人見知りして、出てこないから代わりに言いに来たの」

 額つきのいい娘だった。頭が良さそうだし、まだうら若く、美人だ。

 青年は首を傾げた。

「フェミナ……さん? 違いますよね? あれ? もしかして双子の一方……とか?」

 娘は快活に言った。

「ううん、あたしたち三つ子! あたしがベリービューティフルなフィオナでしょ。そこの彼氏の婚約者がちょっとキュートなフェミナで、奥に引っ込んで家事をしているのが冴えないフィリア」

「わかりづらいですね……」

「栗毛の子狐フィリアはたいてい、掃除でもしてるわ。お台所のことはお任せね」

「オレらは理解せねばならないのか……その横にだだっ広く伸びた相関図を、まるごと」

「いえ、今そんな無駄な空間、生み出さなくていいですから」

 青年はすかさずツッコミを入れる。

 ミスターが本気で真面目にそういうからだ。頭痛の種は摘んでおくのも護衛の務めだ。

「ミスター、僕ちょっと思いつきました……上から順に一号、二号……でどうです」

「上からってんなら上中下、でいいだろ」

 そんなもんですかあ? と首をひねる青年。で、誰が上で中で下なんですか? と話を振ろうとしたらミスターは途端に耳を塞いだ。

「オレは今まで口うるさくない女を見たことがない。なるべく関わらないように同じ空間に属したくない。わかるな?」

 ひそ、と眉間にしわを寄せて青年に言った。そこで彼は軽く何度も、少女のようにうなずいて、

「あー、そういう時期って割と長いことありますよねー。なあなあでどうでもいいって感じになるまで、なかなか許せなくてねー」

「詳しいなオマエ。ほっとしたぞ」

 意外そうに青年を見て、ミスターは安堵したようだ。同じ考えを持つ者に出会って。

「って、父が言ってました。酔っぱらってぽろっと」

 とたんにミスターは脱力した。

「それは、なんというか。お母上には黙っててやったのか……」

「いえ全然、大丈夫ですよ。母も文句言い合ってましたから。父は口数が少なすぎる、人の気持ちを読み取らない、子供の教育に非協力的などなど」

 ミスターは眉間にしわを寄せた。いくらなんでもおおらかと言うべきか、正直すぎる、と。

「オレの父親なら黙っておかないな……」

「えー! ミスターのお父様ってそうなんですか? この家は俺でもってんだぞー! みたいな感じですかあー?」

「おっと。……口がすべったな」

 言い当てられたか、少々不快そうに、よそをむくミスターだった。

「あたりですかァ? でもそれって、古いですよねー。女性は気遣ってあげないといろいろ都合が悪くなります」

 訳知り顔で目をすがめてうなづく青年。

「どう、都合が悪くなるのか知らんが、昨今の男児はおしゃべりに夢中なのか、フリなのか、よくわからん」

『青年は優しさを装って、こんなことを考えていたのだ』とミスターは思うにつけ腹がたった。

「ですから、なあなあですよ。意味のある事言わなくていいんですよ」

「軟派だな」

「繊細なんですよ、察する、ということじゃないですかね」

「オレはおまえを繊細とか察するとか、思ったことはない」

「まあまあ、つきつめると面倒ですから、これぐらいにしましょー」

「それもなあなあか」

「ハイ」

 周囲に遠慮ない音がして、ばきょ、と青年の頬が鳴った。

「ないがしろなセリフと、魂の抜けた構えは効かないな」

 青年は顔を押さえて、涙ぐみながら姿勢を正した。

「あち……僕は直接父からはあんまり教えられたことってないんですが、よく母が父の代わりに教えてくれました。ひとの痛みを知れ、と」

 ミスターはせせら笑った。

「説教か、ママに。おいたはいけませんてか」

「まあまあ、誤解しないでくださいね……あなたなんて、いつでもやれるんですから……なーんて。お腹すいちゃいましたよねっ」

 本当に言いたいことは小声で言って、堂々と背を見せて城へと向かう青年に、ミスターはにやりとした。

「本音、言わせてやったぜ、どあほうめ」

 そして満足そうに、青年を殴った拳をにぎりしめ、もう一度「どあほうめ」と言った。

 それはやっぱり、どこかうれしそうだった……。

「ひゃっ!」

 再度の稲光に青年は震えあがって腰を抜かした。

「大丈夫ですか」

 先ほど横に長い系譜を形作っていた子女の一人が駆け寄って、その手と手が触れあった瞬間、ドラム缶三十個くらいは下されたのではないかと思われるくらいの雷の音がした。青年は、固まったまま動かない。

「大丈夫、ですか?」

 憐憫の情でもわいたか、娘はまっすぐに手を伸ばしてきた。

「ここのところ多いわ。あ、外からいらした方……なのですね?」

 娘ははっとして頬をゆがませた。

「ああ、つい先ほどね」

「こ、ここにいる限りは平気ですよ。聖堂以外は見えない力で守られてるの。王様の力で」

「王様?」

「ええ。だから、ご安心下さいませね」

 娘は少しぎこちなさそうに、けれど彼を気遣うように微笑んだ。

「もしかしてフィリア……さん?」

「はい?」

 娘は小さく返事をし、青年の目線をしっかりと受け止めた。

「あの、どうして私の名前をご存じなのでしょう?」

「あー、なんでもありません」

 当たってしまったよ、と内心で驚く青年だったが、彼女の手のひんやりした感触は好ましいものに思えて、思わずそこにキスしてしまいたくなってしまった。

 夕日が赤色や黄色、紫色の雲を伴って西の空を彩る。

 フィリアは栗毛に近い金髪のほつれを直しながら言った。

「いつのまにか、雷も夕立も遠くへ行ったみたい。ささやかですが、お食事をなさいますか? その、使用人といっしょでよろしければ」

 そういえば腹が減っていたのだった。

 しかし、せっかくの申し出に、ミスターだけが難色を示した。

「オレは嫌だね。賓客扱いしてもらいたい」

 城外の長い階段をのぼり、乱れそうな息を殺しつつ、意固地にミスターは言った。

 そっと見ると、フィリアがその姿に見とれている。

 ミスターは金も地位もあるうえに、美しい。

(ものの本によると、物語中に男が「美しい」と評されている場合、いろいろあっても、どんな決着になろうとも、必ず生き残るし、成功するのである)

 彼はいついかなる場合においても、自己の主張を曲げないし、己以外の迷惑を一切顧みようとしない。それで万事通ると思っている。

 例外は乳母だったが、彼女だとて最後にはきっと言うことを聞き入れてくれる。

……これが彼の認識力を狭めた。

 彼はだだっ広い賓客用の食卓に居座って、食事をし、一人で満足して、酒はないかとわめいた。




 一方、机を並べてクロスをかけ、使用人一同に混じって清らかに食事をする青年は一口ごとに賞賛の声をあげ、和やかに過ごした。肉とパンとチーズが絶品だとしきりにほめるので、周囲はそれは歓迎してくれた。食後にはフィリアと話した。

「不思議だな。僕たちは君らが着ているような衣装は……なんていうか……仮装やお祭りでしか着ないものだよ」

「たしかに、あなた方はどこの国からいらしたのです? その着物は旅装束なのですか?」

 彼女は少しばかり不審げに、小首をかしげた。

「いや、べつにこれといって……」

 これといってあるのだ。

 しかし今の彼女には言わないほうが良いだろう。彼はそう判断して言葉を濁した。気が塞ぐ思いでもしたのだろうか? 栗毛のフィリアは不安そうに打ち明けた。

「私達はここへきてずいぶん経つの。家族にも会ってない。フェミナの恋人……婚約者のウィリスも同じよ」

「ああ、うん。それは良いとして、君たち名前がそっくりで区別がつきにくいから、呼び方を変えてもいいかな? フィオナがフィオ。フェミナがミナ、で君がフィリア」

「ふふ。おかしい。でもおんなじ顔だし、確かにわたしたちも間違えることがあるものね」

「ちなみに今は西暦何年?」

「セイレキって、セキレイの仲間?」




 ミスターが食後の酒を楽しんでいた頃、青年は顔を赤くしたり青くしたりして、まだらの顔をしてミスターのいるVIP席まで駆けつけた。

 そして開口一番、

「まずいですよー!」

 叫んだ。

「ん。乙女を穢したのか? その首に媚薬の牙を立てたのか? 化物のような顔をして、貴重だから鏡で見て来い」

「そ・う・じゃ・な・く・て! ミスター、そんなこと言ってる場合じゃない!」

「今最高にうまい酒を飲んでるんだ、オマエの顔など見たくもない。いね。いねと言っている」


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