第三十五話 不知火先輩の独立

 蛍宮が髪を黒くした。学校から注意されたのではなく、自主的にだった。

「夢の中でお告げがあった。俺は何千マイルもの虚無、ひどく透明な虚無性に蝕まれていたが偶発性の神が俺を救済した。その神がそうしろと言ったのでそうした次第」

「大学受験の面接とかではどうせ染める必要もあるし、っていうかバイト始めるんでしょ?」拝が言った。「黒いほうがいいよ……それでもまじめそうに見えるってことはないけど」

「俺は今、大空へ飛び立つ。人間、誰しも飛翔する機会が必要だからだ。伝説的な行動だよ。俺が成し遂げた偉業を皆に啓発するために、今後はいろいろやっていこうと思う花火とか。夏だし」

「やったらいいと思うよ。ああ、ちょっとレモンティー買ってくる」拝は部室を出て行き、戻って来なかった。


 各地の大穴が埋められたころ、今度はクラッカー集団がネットで「救済の日は近い」という画像を各所に貼り付けまくっていた。市役所とかのサイトや通販のサイト、芸能人の公式ページとかに、黒い背景に白い文字の、その画像が貼られ、もちろん何も起こらなかった――本当に? もちろん、幻京において何も起こらない日というのはないのだけれど、救済というものが成される日、そういうものがやって来ることももちろんなかった。誰もが救われず疲れていた。画像が直されることなく、ずっと有名な俳優とか、最近売れてる文庫本の表紙は「救済の日は近い」のままだった。


 池虚から広がった再整備計画は拡大の一途を辿り、メガロポリスは縦横斜めに広がりを見せていた。

 建物が拡大するだけではなく、人や情報、カルチャー、ある意味世界そのものが増殖を続けている。

 一週間ほどで、池虚方面を見ると、空までもが侵食されているのがはっきり見えるようになった。山のような黒い都市の塊が、拡大を続けている。巨大な飛行機械が、どこからか発生したのか、都市群の天井部に停泊するようになった。

 今後、夏が深まるにつれて、二十三区はすべて覆い尽くされ、要塞化するのではないかと思われた。そうしたらいずれ藤波区も飲まれてしまう。日常なんてのは曖昧なものに違いないから、あっさりと壊れ、別なものへと摩り替わる。

 虚無はもう黙って都市に漂っている気はないようだった。


 怪生物の数は増えている。虚無隊はそれを追って虚無的な狩りを始めた。単純に獲物を捕獲したり殲滅するだけじゃなく、一日中同じ地点をぐるぐると回っていたり、奇怪な絵を壁に書いたり、怪文書をばら撒いたりもしていた。きっと怪物を倒すために必要なことなのだろう。

 でもやはり手が回らないので、民間企業とか自警団も虚無に手を染め始めた。さすがに銃器は無理だったが、怪物を避ける歌とか塗料とかが売れたし、毒だんごもいろんな種類が出回って、誤飲事故とかも多発した。

 有名人や富裕層による殺人は留まらず、それが一種のステータスってところまで行き始めた。要塞化した二十三区では彼ら同士での殺し合いがひとつのムーブメントとなり始め、ゴールデンタイムに複数の放送局が実況番組を流していた。

 ついには殺人鬼、白澤銀船釈放の話も出た。監視つきで彼に動いてもらおうということだった。逮捕時にも話題になったが、彼は結構な美形で、今でも根強いファンがいることも追い風になった。ある少女が彼に求婚しながら刑務所の前で服毒自殺を図ってからは、現代の戦士、みたいな形で不自然に白澤が賛美され始め、結局釈放された。

 彼の仕事は早かった。手始めに結構嫌われているIT系企業の若い社長とか有名なブロガーを誘拐してきては殺害し、床下に埋めた。

 ネットでは早晩、〈白澤ムーブ〉という虚無的な名前で一連の挙動が注目され始めた。まず朝に白澤は誰を殺るかを自分のSNSで宣告し、正午までにはターゲットは消息を絶っている。夜には遺留品の画像がアップロードされる。次に誰が誘拐→埋葬となるのかはしばしば賭けの対象となった。

 学校ではみんなが白澤について喋っているが、鶫はどうも乗り切れず、最近買ったゲームの話とかをしていた。

 あるとき、竜胆が何かでいらいらしていて、秋葉が白澤銀船の話を振ると「あー、うるせえな」と話を打ち切ってどこかへ行ってしまった。

 その日のうちに白澤は消え、皆の記憶からも消失してしまった。竜胆がどこで何をしたのかは定かではない。


 幻京独立の話が立ち上がったのは七月の終わりだった。

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