第二十四話 不知火先輩の弊害

 部室へ行くと雨引が苦しんでいた。

「どうしたんですか、先輩、不治の病ですか?」

「いやー、なんてゆうか頭痛がひどくて」

「心当たりは? 脳内に寄生虫が入り込んだとか」

「怖いことわないで。いやたぶん疲労よ。あたし、頭痛持ちだから」

「そうだったのですか」

「あと胃も弱いし朝も弱いし、すぐ肩がこるし目もすぐ疲れるし」

「雨引先輩、病弱キャラで行こうって腹ですか? 委員長っていうか風紀委員キャラでいいと思いますけど」

「キャラ付けのために仮病を使おうなんざ思ってないよ! いやマジで、日々体調が悪いのよ」

 言いながら雨引は入り口へ向かい、扉にモップを挟んで開かないようにした。

「どうしたのですか?」

「いやー。そろそろ不知火先輩が突入してきて、『雨引さん、それは虚無が足りないからだ!』とかほざくころかと思って」

「それは被害妄想ですよ。不知火先輩がいかに高い虚無性を内包していようとも、毎度ちょうどいいタイミングで来るはずがないと思うんですが」

「そう。そうね。ちょっと頭痛がひどくてナーヴァスになっているみたいだね」

「あんまりきついようなら保健室へ行ったらいかがですか」

「確かに」

 そういうわけで雨引は、校舎の地下にある保健室へと赴いた。

 辺りは暗く、古いホラー映画に出てくる怪しい実験室を思わせた。

 周囲の温度も一気に下がったような気がする。

 扉を開けると、消毒液の臭いが鼻についた。

 中は暗く、なぜか写真現像の際に照らすような赤い電球がいくつか灯っている。

「やあ、また迷える子羊がやって来たのかい」眼鏡をかけた、青白い顔の、白衣の女性が対応した。「わたしは月島。君の名前を教えてもらっていいかな?」

「はい、雨引ってゆう者です。今日はちょっと、頭痛がひどくて」

「なるほど。ちょっと頭を見せてもらっていいかい?」

「ああ、はい」

 月島は雨引の頭を至近距離で凝視した。これにどんな意味が? と訝っていると、

「なるほど、だいたい分かったよ。これは虚無によるものさ」

「虚無ですって? 月島先生、それってどうゆうことですか?」

「高い虚無性を持った人物の近くにずっといると、拒絶反応が起こる場合がある。あまりに強い虚無には耐性がなくば、疲れてしまうものさ」

「あー。確かに、めっちゃ虚無がすごい人いろいろいますんで。なにせあたし、虚無部の人間だから。あと姉が虚無人で、けっこう虚無感強い人なんで」

「道理でね。では、抗虚無剤を出そう。これを飲めば頭痛は一発で治るさ」

 言われるがままに雨引は、紙コップに入ったゼリー状の、何か赤黒いものを一気に飲み干した。妙に甘ったるかった。

「これでいいんですか?」

「ああ、いいとも。何か変化はないかい?」

「そういえば、頭痛が収まってきた気がします。あと先生、何か変な人がそこにいるんですが」

「どういう人かな?」

「いやなんか、緑色の人です。手に松明を持ってて、ずっと『ばんじゃらぶんじゃら』みたいな呪文を唱えています」

「あー。それは副作用だね。普段は虚無にある程度親和性があるから、自然に受け止めていた虚数キマイラ的な存在が、薬で耐性をつけたとたんに、明確に認識できるようになったんだね」

「いや、それは事前にって欲しかったんだけど」

「いいじゃあないか! 面白いだろ!」

「興味深いって意味でも、滑稽って意味でも、面白くはないんだけど……あとなんかぐにゃぐにゃした蟲みたいなのが空中を泳いでいますが」

「それも普段見えないだけで我々の側にずっといたんだよ。虚無的生態系の分解者さ」

「帰りたいんですけど」

「今はあまり動かないほうがいいと思うけど、まあ野外に出るのも面白いかもしれないね! この世の真理をある種覗き込むことができるのさ。痛快じゃあないかい……」

 雨引は奇怪な生物群が飛び交う校内を早足で抜けて外に出た。

 校庭にやって来たとき、ものすごく巨大な、遠くに見える輪宿の超高層ビルよりも大きな、魚介類と言うべきか、タコとイソギンチャクを合わせたような怪物が、こちらを見下ろしているのに気づいた。

「雨引さん、大丈夫ですか?」

 と、自分に声をかけてくる相手がいた。日日谷だった。

「日日谷君、珍しくまともに話しかけてきたね、どうしたの?」

「まともって、ぼくは普段から普通に話してますけど……雨引さん、どうやらなにかキメてますね」

「ひとをジャンキーみたいにわないでよ、保健室で飲まされたの、単なる頭痛薬かと思ったら変なのが見えてるんだから」

「虚無人たちは普段からこういう世界に住んでいるということです。もちろん人によって見える世界は違ってるでしょうが。ぼくは母親が虚無人なんで、半分だけこっちに足を突っ込んでるってことですね。あと、月島先生が出す薬は、水道で十倍くらいに薄めて飲まないと逆に不健康ですよ」

「マジで?」

「ええ、ぼくは先生と付き合いが長いから分かりますけど」

「日日谷君はなんで、そんな全員と付き合いが長いの?」

「それはまあ、存在が分裂してるからです、全員ぶん。そのぶん各個体が薄まっててあんまり記憶に残らないみたいですが。逆に酩酊状態だったり、今の雨引さんみたいに、変性意識状態だったりするとはっきり会話できるんですけど」

「あ、あのでかいやつが何かすごい罵ってくる! 何なの!」

「先輩、帰って寝たほうがいいですよ……」

「うー……」

 雨引は唸りながら、どうにか罵倒に耐え、帰宅することができた。一晩寝ると、虚無的な生物たちは消えうせ、それ以来妙な頭痛に悩まされることもなくなった。日日谷もぼんやりした状態に戻ってしまったが、その後も要所要所で遭遇することに変わりはなかった。

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