第二十二話 不知火先輩の夢幻
蛍宮が部室にやって来て、怪物に追いかけられて数千ガロンの恐怖を味わった夢の話をした。怪物の具体的な姿が見えないのがより恐ろしさを掻き立てるという話だったが、聞いているほうとしてはよく分からないだけで、この前見た、老紳士が林檎に集る蝿を見ているだけの映画よりもつまらなかった。
部室内には日日谷と秋葉がいた。秋葉はかなり良心的に、蛍宮に対し、それは怖かったっしょ、大変でしたね、と応じていた。日日谷がどう答えていたかはあまり判然とせず、たぶん大したことは言っていなかったのだろう。
蛍宮が帰った後、不知火先輩が来て、「虚無に関する問題が発生したときは? どうすればいいか明確だ。我が虚無部に依頼する。それが真理」
「そんなことやっていたんですか?」鶫が聞いた。
「最近始めた。そしてこのたび依頼が入ったので解決する。響も来い、あ! お前は先週のお騒がせ少年」不知火先輩は日日谷に食って掛かっていた。どうやら彼女の生活にも日日谷は入り込んでいたようだ。「宣言通り虚無部で奉仕する気になったか? なら今すぐ手を貸すべきだ。
落研の部室は三階にあった。中に入ると、神妙な顔で一人の男子生徒が悩んでいる。
「邪魔するぞ、犬飼」
「ああ、不知火さん。ようやっと来てくれたんですか。早いところなんとかしてください。今にもまた虚無が襲ってきそうだ」
「その前に、うちの部員たちに詳細を話してやってくれ」
「ええ、手短に。まあある意味自業自得な話なんですが。俺は部長やってる犬飼です、君たちはうちの部が何をしているかご存知か?」
「落研ってくらいだから、落語の研究じゃないんですか?」秋葉がそう言うと、犬飼部長は前からやりたかったかのように、舌を鳴らしながら人差し指を左右に振る動作を行い、なぜか得意げに否定した。
「初心者の方はよくそう勘違いしてしまうんですが、落語研究会は四階に別に存在してるんです。俺らはその名の通り、オチを研究する部なんですわ。オチと言えどいろいろありますね。回り落ち、出落ち、考え落ち、デウスエクスマキナ。あらゆる小話、ストーリー、その他創作にはオチが付き物で、終わりよければすべてよしと言うように、極めて重要な部分です」犬飼はよどみなく説明する。「しかし、最近部員たちの間で『夢落ち』がブームになりはじめて、夢落ち良いんじゃない、といった安易な考えが蔓延しているのです。これは憂うべき事態。しかも、他の創作系の部の間でも夢落ちが流行りだしててもうヤバいのなんの。ミス研、漫研、文芸部、その他色んなところで物語ぶった切って夢でした、ってなのが提出されまくってるんです。しかも奇妙なことに、部員とこうやって話している夢を皆がよく見るようになりまして。何かトラブルが起こって、気づいたら夢だった、って夢を実際に見てるわけなんで、これはもう虚無だな、と思い、不知火さんに依頼する運びとなったわけです」
「犬飼」神妙な顔で話を聞いていた不知火先輩が部長に対して一言、「お前何言ってんだ?」
「え? いや何って、我が校内を蝕む虚無的なトラブルについて……さっき話したときは『私に任せろ。大船に乗った気でいろ』とおっしゃってたじゃないですか」
不知火先輩はそれをまるっきり無視し、「夢落ちの蔓延? そんなのは気のせいだ。もし夢落ちブームなんてのが実際にあったとして、この都市に蔓延るくだらない流行と同じですぐ消え去るだろう。お前はいやしくも部長として、もっと長期的な目線で、普遍的な『落ち』という文化について研究すればいいだけの話だ。夢のことなんて気にしてたら、我が部にいる蛍宮みたいなつまらん人間になってしまうぞ。そうだろう?」
「確かにそうですね……」
と、犬飼部長が納得しかけたところで、一同は近所の市民センターにいた。いつの間にか日日谷は「幻京アルマジロ」という数年前に流行ったお笑いコンビのツッコミのほうの人になっていて、「今から池虚行くんだよね」と言い、不知火先輩に「ならさっさと行け!」とものすごく大きい声で叱責され、走って行った。気が付くと全ては鶫が見ていた夢で、まだ朝の四時くらいだったので、もう一度寝て、今度は不知火先輩と野原でカバの話をするという夢を見た。
学校へ行って、普段されてるのの逆ってことで蛍宮にその話をしたら、彼は最後まで聞いてくれたが、それに対する返礼みたいな形の夢の話が、通常より二割増しくらいでつまらなく、やはり夢の話なんてするもんじゃないな、と鶫は強く自戒した。
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