第二十一話 不知火先輩の邂逅
鶫は一人で輪宿区を訪れていた。見たい映画があったからだ。老紳士が林檎に集る蝿を見ているだけの映画だ。輪宿の街はスケールがとにかく大きい。無駄に大きい。駐車場は数百、数千台が停められるようになっているし、実際にその数が無理やり停まっている。ガード下に入り込むとびっしりと違法建築の屋台や住宅が建っているし、道も幅広く車の数も桁違いで、激流のように流れている。商店は恐ろしい数の品物が並んでいて客数も大規模な祭りのように馬鹿げた数だ。街の構造そのものが、空間すべてを埋め尽くさなくてはいけないという強迫観念のもと作られたようだ。その中心となっているのが悪名高い輪宿駅で、巨大な神殿のように聳え立っている。幻京の駅にはよくあることだが、周辺の道路や建物と一体化しており、どこからどこまでが駅なのかよく分からない。鶫は北口から出たのだが、巨大戦艦だろうとやすやすと通り抜けられるであろう、広大な出口を抜けると、空の遥か上まで立ち並ぶ建造物群が密集し、自分がこの都市の中では一匹の蟻に過ぎないのだという感覚を抱かせる。
この都市はどうやってできたのか? その当然の疑問には毎回、虚無的な回答が浮かぶ。不知火先輩は、発達しすぎた都市が虚無を呼び寄せ、その結果こうして肥大化させられた舞台装置が、日々その大きさを増している、と言っていた。しかし、ひょっとすると、最初からこの街はその名の通り幻なのではないか。
辺りには虚無人が何人もいる。そして彼らの周囲にいる人達のうちいくらかは、その随伴体かも知れない。結局のところ、どこからどこまでが幻、虚無かを判別する方法はないのだ。
駅の出口で、一人の少年とぶつかった。奇妙な人物だった。髪の毛は灰色で、耳は不知火先輩や朽葉、他の虚無人たちのそれより短いが、尖っている。少年は謝罪すると、足早に去っていった。
映画館に入って、老紳士が林檎に集る蝿を見ているだけの映画を見始めると、少し遅れて隣の席の客がやって来た。先ほどの少年だった。鶫と彼は互いに会釈し、老紳士が林檎に集る蝿を見ているだけの映画を最後まで見た。つまらなかった。
一日で二度も出会うなんてたいした偶然だな、と鶫は帰りの電車で思ったが、奇妙なことにあの少年の顔を思い出すことはできなかった。全体的な印象がぼやけていて、はっきりと思い出すことができない。しかし、隣の席にやって来たときのように、一目見れば彼だと判別できるだろう、と鶫は確信していた。ああいうふうにぼやけた印象の人は、虚無人だろうとそうでなかろうと、彼以外にいないだろうから。
そして翌日の朝、少年は転校生として鶫のクラスにやって来た。相変わらず顔は判然としなかった。いくら直視しても、数年前に何度か会っただけの人みたいに印象が薄い。
それからも日日谷は要所要所で現れた。なにより奇妙なのは、それが鶫にとってだけでなく、クラスメイト全員にとってだということだった。転校前日にクラス全員が、日日谷にぶつかられ、同じ日にもう一度か二度、彼に遭遇していたのだ。この後も街角で、家の近所で、通学路で、電車の中で、家族での旅行先で、みんなが彼に何度も出会うことになった――彼は虚無部の伊集院のように、虚無に半ば飲まれた異様な状態で偏在しているらしかった。
それだけ繰り返し遭遇しておきながら、誰の記憶の中でも、彼の顔はぼんやりとしたままだった。
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