第九話 不知火先輩の消暑

 休日。鶫は始発電車に乗って、不知火先輩とともに輪宿りんじゅく区へ向かっていた。朝日を浴びて鈍く輝く城塞、台形型の巨大な建造物の密集地、幻京都の虚無の根源と言うべき地区だ。

 都庁と周辺の超高層ビルは青く霞んで、街の建物と言うよりも長大な地形の一部のように思われた。区の外れの駅で降り、周辺の建物の隙間から輪宿区を望み、鶫は先輩にここに来た理由を尋ねた。

「今日も暑くなるだろう。あまりに暑すぎるときついので、少しでも和らぐようにこの都市全体のために一肌脱ごうと思ったわけだよ」

「それは先輩の努力しだいでどうにかなることなんですか?」

「そこでならないと諦めるのは非常によくないんだ」

「どのくらい良くないのですか?」

「それは……おっと! 私が何か訳のわからない比喩をのたまい、変人という認識を新たにできるのを期待したな? 鷹無さん、それも良くないんだよ。拝君に悪影響を受けつつあるな?」

「滅相もないです。ただ、『このくらい虚無的に、だ』と両手を広げた奇怪なポーズを取るのを多少期待してはいました」

「滅相もあるではないか。とにかく、この街はすでに虚無に飲まれつつある。都市の規模も本来ここまででかくはないはずだ。異様に肥大化させられているのだ。人口、テクノロジー、建物の数、大きさ、すべてが二倍から三倍、所によって五倍に膨れ上がっている」

「それはなぜ」

「あまりにこの場所が発達しすぎたせいだ。都市が大きくなりすぎ、幻影の入る余地が増えると、人々はそれを進んで受け入れてしまう。しかしそれはどこまで行っても幻影、虚無に過ぎない。とはいえ、すでに土台から中枢までがっちりと食い込んでいるから今更排除はできまい。だから、虚無とともに生きるしかない。風土病のようなものだな」

「それで今日は何をするんでしたっけ?」

「暑さ対策だ」

「ええ、ですから、何をするんですか?」

「どうした、何をするのかそれほどまでに気になっているのか」

「ええ、この地点までわたしをわざわざ連れてきたからには、何かよほどの考えがあったのかと。あるいは、この前使用した『虚無を観測し、崩落させる』やり方で、雨を降らせるつもりですか?」

「いや。ここでしか食べられないアイスが食べたくて来たんだよ」

「アイス? それを食べると都市全体が涼しくなるんですか? というかこんな時間からオープンしているのですか?」

 不知火先輩は遥か彼方の巨大な建造物群をしばし見やり、

「その答えは、両方ともそうだ」

 そのアイス屋は古本屋街の只中にあった。売っているのは、どこかの国のなんとかという種類のチョコレートがふんだんに使われたもので、確かになぜか朝早くからやっていた。

 そこまでおいしいとは思わなかったが、はずれでもない。なにしろチョコレートアイスなのだ。

 しかし、不知火先輩が言ったように都市全体がどうにかなるようなことにはもちろんならならず、二人は電車に乗って帰った。

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