拾弐話 決着の時
「ここなら、思う存分こいつを振れる――」
机や椅子などの障害物の存在しない開けた屋上は、大鉈型の「鉄鋼殺し」の力を発揮するのに適していた。
機械化された両足で勢いよく床面を蹴って、網川は一瞬で間合いを詰め、加速の勢いを乗せた斬撃で開人の首を狙う。
「戦いやすいのはお互いさまだ」
開人は首目掛けて振り抜かれた鉈を、上半身を反らせて回避。すかさず右足で網川の足元を払うが敵もさる者。機械化された両足で軽やかに跳んで足払いを回避すると、そのまま屋上のフェンスへと着地した。
「身軽なことで」
「私が機械化しているのは足だけだからね」
「機動力は僕より上だと?」
「そういうことさ。君の身体はいわば骨董品。対して私の足は最新鋭だ」
フェンスを蹴って開人へ迫ると、網川は懐から三本のナイフを投擲。それを囮に鉈による一撃を狙うが、開人とて同じ手を何度もくらうほど愚かではない。
投擲されたナイフの内、先行してきてた二本を右手で叩き落とし、最期の一本を左手で掴みとり、機械の剛腕で、ボウガンの矢に匹敵する速度で投げ返す。
「むっ!」
動きを止めて加速の勢いを削ぐのを良しとしなかった網川は、鉈の腹を盾にナイフを防御、勢いそのままに開人に迫ろうとするが、
「いない?」
防御のために翳した鉈で視界が遮られた一瞬の隙に、開人の姿が消えていた。
「あなたの言う骨董品の実力を見せてあげますよ」
「何!」
瞬間、鉈を握る網川の右腕に、何かが叩き付けられた衝突音と共に激しい痛みが走った。
「がああああああ!」
網川の上腕は真ん中で不自然な方向へと折れ曲がり、痛みで力が入らずに鉈も手放してしまった。
網川の真横には、右腕を振り下ろした開人の姿。
「あなたが機械化しているのは両足だけ。それ以外の部分は文字通り人並み。全身機械の僕には勝てませんよ」
「ほざけ!」
瞬時に左手に鉈を持ち替えて網川は薙ぐが、その軌道の先にはすでに開人の姿は無く。鉈の一撃は虚空を切る。
「そこだ!」
微かに気配を感じ、後方に鉈を振り抜くが、
「何だと……」
振り抜いたはずの鉈は、網川の左腕ごとその動きを止めていた。網川の左手首は、万力のごとき開人の握力によってがっちりと固定されている。
「離せ!」
「喜んで」
骨が砕け散る音がし、網川の絶叫が木霊する。
「あああああああああああ!」
網川の両腕は完全に使用不能、当然鉈も握れない。残された攻撃手段は、
「……この程度の痛み。大したことはない!」
常人ならば動くことの出来ぬ激痛だろうに、網川は気力だけでその身を動かし、残された武器である機械化された足で加速し距離を取る。鋼人である開人にも勝るこの速力でヒットアンドアウェイを繰り返せば、勝機は見えてくる……はずだった。
「えっ?」
距離を取ろうと全力で駈けた網川に、開人は涼しい顔で並走した。その姿はまるで死神のようで、網川も表情を凍り付かせる。
「何故だ、最新鋭の足を持つ私にどうして追いつける?」
「いくら骨董品だろうと、軍事目的で生み出された鋼人の身体が、足を機械化しただけの殺人鬼に劣るわけがないでしょう」
無感情にそう告げると、開人の振り下ろした掌底が網川の機械化された右足を捉え、膝下から完全に粉砕した。
「がああああああ!」
片足を失った網川はバランスを崩し、加速の勢いそのままに床面に突っ伏し、その顔面を鮮血に染めた。
「……くそっ、教室での戦闘とは、まるで別人じゃないか」
「教室は狭すぎて本気で戦えない。それに、友人達と学んだあの教室を、なるべく壊したくはなかったから」
決着は、網川が屋上にフィールドを移した時点で決まっていた。網川は教室での開人の立ち振る舞いを見て、屋上ならばより優位に戦いを進められると踏んでいたようだが、その考えは浅はかだった。
鋼人相手に殺人鬼如きが奢るなど、実に愚かなことだ。
「僕は忠告しましたよ。後悔してもしらないと」
「……お前の方こそな」
不敵に笑うと、網川は姿勢を低くしたまま残された左足で床を蹴り上げ猛加速。そのまま開人の身体に体当たりし、勢いそのままに屋上のフェンスを突き破った。
「地獄へ道連れだ――」
「愚かな」
開人はあえて網川を振り解くような真似はせずに、重力に身を任せ、そのまま地面へと落下していった。
激しい衝撃音と同時に、アスファルトの地面にひびが入り、舞い上がった土煙が視界を遮る。
徐々に土煙が晴れてくると、その中から一人のシルエットが姿を現した。
「屋上程度の高さから落下して、僕が死ぬわけないでしょう」
網川の捨て身の一撃など、開人にはまったく効いていなかった。教室内で喰らった鉈の一撃の方がまだ手痛い。
反面、生身の部分の方が多い網川の身体は酷い有様だった。網川の身体からは絶え間なく血が流れだし、一部の骨は体外にまで突き出している。まだ息はあるようだが、もってあと数分といったところだろう。
「……終わったのか」
衝突音を聞きつけた春彦が現場へと駆けつけた。彼以外にこの場にやってきた者はいない。
「ああ、終わったよ」
「網川は、死んだのか?」
「……まだ生きている。けど、もう虫の息だ」
その言葉を聞き、春彦は血の海に沈む網川の顔を覗き込む。
「……あず……ま……か」
今の網川には、春彦の顔を認識できているのかも怪しい。声だけでその存在を感じ取っているようだ。
「俺はあんたが許せない。琴美を殺したあんたを、この手で殺してやりたい」
春彦の言葉を聞き、網川は血に染まった顔で不敵に笑った。
「……今の私……なら。簡単に……殺せるぞ……」
それは悪魔の囁きのようにも思えた。殺人鬼の残す置き土産。それは、一人の少年の手を血で汚すこと。
「俺は……」
あえて止めに入るような真似はせずに、開人は行く末を見守る。春彦ならきっと――
「俺はあんたを……」
春彦は落下の衝撃で散らばった網川所有のナイフの一本を手に取り逆手に持った。
「……やれよ」
「うああああああああああ!」
絶叫と共に春彦はナイフを振り下ろした――
ナイフは網川の身体には触れずに、アスファルトの地面の叩きつけられていた。
「……こんなことをしても、琴美は戻ってこない」
ナイフを手放し、春彦は両目から溢れる涙を隠すために顔を左手で覆った。怒りは本物だった。網川をこの手で殺してやりたい。殺すつもりで本気でナイフを振り下ろした。だけど、琴美の顔を思い出した瞬間、ナイフの軌道を咄嗟に変えてしまった。
「腰抜け……め……」
「春彦は、あなたよりよっぽど立派な人間ですよ」
「……」
開人の言葉に対し、網川からの返答は無い。微かに痙攣していた網川の身体はピクリとも動かなくなった。
「大丈夫かい、春彦」
「ああ」
地面に膝を着いた春彦に手を貸し、引き起こす。
「思い留まってくれてありがとう」
開人は春彦の肩を強く抱き、一線を越えぬ心の強さを持った友人へ心から感謝する。
「……この手を血で汚しちまったら、もう琴美の墓参りに行けない気がしてな」
「……琴美ちゃんを救えなくて、済まなかった」
「お前のせいじゃねえよ。琴美だって、きっと分かってる」
地面へ座り込み、肩を並べて琴美の顔を思い浮かべる。思い出の中の琴美は、笑っていた。
「須々木先生は?」
「怪我をした
「うん。彼女には、心配をかけてしまったからね」
「お前と美織先生って――」
言いかけて春彦は口を噤んだ。色々と聞きたいことはあったが、今はクラスの窮地を救い、殺人鬼と戦ってくれた友人への感謝の気持ちでいっぱいだ。
「春彦。君にだけは今の内に言っておくよ」
「何だ? 改まって」
「……僕はもうじき、この町を離れることになる」
もうこの町にはいられない。それは決定事項だった。
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