拾話 仮面
「……なんだこれは」
翌朝。開人は自宅の郵便受けに入れられていた一通の手紙と、その内容に驚愕していた。
『友永開人くん。昨日は世話になったね。お礼と言ってはなんだけど、ある催し物に君を招待したいと思う。舞台は君が通う青上高校だ。きっと楽しいパーティーとなるはずだよ――』
文面の内容からして、手紙の主は昨日対峙した仮面の男とみて間違いないだろう。意味深な言葉を残してはいたが、まさか昨日の今日で行動を起こしてくるとは開人も思っていなかった。
連続殺人犯の言う催しものだ。何をする気なのか想像に
「みーちゃん」
当然教師である美織も学校へ出勤しているはず。絶対に守り切らなければいけない。
開人は手紙を握りつぶし、鋼人の脚力を如何なく発揮した速力で学校へと駆けて行った。
青上高校2年A組の教室は、朝のホームルームを迎えていた。
この日は吾妻春彦を始めとした、昨日まで欠席していた生徒の何名かも登校してきており、幾分かは活気を取り戻していた。
まだ欠席している生徒もいる。友永開人もその一人であり、病欠という名目で欠席していた。実際には一連の殺人事件の犯人の正体を掴むため、昨日より方々を駆け回っているのだが、その事情を知るのは副担任である須々木美織だけである。
「さてと、ホームルームを始める前に、みんなに一つ報告したいことがある」
担任である網川の言葉に、クラスの全員が注目した。それは副担任である美織も例外ではない。
「先に言っておくが、これは学校関係の話しではなく、先生の個人的な発表です」
教室内が微かに騒めく。一部の生徒は「もしかして結婚でもするの」などという声も上がっている。
「先生は、今日限りで教職を退こうと思います」
「な、何を言ってるんですか網川先生」
副担任である美織でさえ初耳だった。いや、恐らく校長や教頭を始めとした学校関係者の誰も把握していないだろう。
「先生、いくら何でも急過ぎじゃ?」
一人の男子生徒がもっともな質問をする。急な病気や怪我などで職を退くならともかく、網川にそのような様子は見られない。
「すまない。今朝決めたばかりなんだ」
再び教室内は騒めきたつ。今朝決めたなんて急というレベルじゃない。冗談だと言われた方がよっぽど納得できる。
「理由は何なんですか?」
別の男子生徒が質問すると、網川は不敵な笑みを浮かべた。
「先生な、今日から殺人犯に転職しようと思うんだ」
「網川先生まさか!」
網川は懐から白い仮面を取り出し装着。その姿は温和で人気者の数学教師ではなく、凶器と欲望に支配された怪人へと変貌していた。
「みんな逃げて!」
全てを悟った美織が叫ぶ。昨日の仮面の男の声を聞いた時、誰かに似ていると思っていた。いまさら気づいても後の祭りだが、あれは網川の声だったのだ。
「に、逃げるって?」
「な、何かの余興?」
美織の必死な呼びかけを受けても、生徒達は直ぐには行動に移せないでいた。網川の言動や振る舞いは明らかにおかしいものではあったが、やはり普段の温和な網川のイメージが抜けきらず、危機感を抱けないのだ。
「須々木先生の言葉を素直に聞けないなんて、悪い子たちだ」
氷のように冷え切った言葉とともに、網川は懐に忍ばせていた投擲用のナイフを、一瞬の間に抜き放った。
「えっ?」
投擲されたナイフは、クラスのほぼ中心の席に座る男子生徒の右肩に命中。
突然の出来事に理解が追いつかなかった男子生徒だったが、次第に痛みと共に血が滲みだし、事態の深刻さを文字通り体で理解した。
「これで少しは深刻さを分かってもらえるかな?」
「あああああああ! 肩! 肩が――」
ナイフが突き刺さったという事実に思考が追いついた瞬間、男子生徒を激痛が襲い。椅子から転がり落ちてのたうち回った。肩口から血が溢れていき、床面へと垂れていく。
「うわあああああああ!」
「ほ、本当に刺した――」
網川が自らの本気度を示したことで、いよいよ教室内はパニック状態へと陥った。皆がいっせいに席を立つ。この時点で生徒達の網川に対する認識は、温和な教師から命を刈り取るハンターへと変わっていた。
「なんてことを!」
美織は肩を負傷し倒れ込んだ男子生徒へ駆け寄り安否を確かめる。痛みに涙こそ滲ませてるが、ナイフが刺さったままなのが幸いし、出血は最小限で抑えられている。すぐさま命に関わることは無いだろうが、早く治療を受けさせる必要がある。
「さて、次は誰にしようかな」
網川は二本目の投擲ナイフを取り出すと、ダーツでも楽しむかのように、出入口に殺到した生徒の背中に狙いを定める。
「よし、あそこだ」
一人の女子生徒に狙いを定め、網川がナイフを投擲したが、
「やらせるかよ!」
狙われた女子生徒の近くにいた春彦がナイフの軌道を読み、近くにあった椅子を盾として女子生徒の身を守る。ナイフは椅子によって弾かれ、二投目による被害は出なかった。
「ほうほう、咄嗟にあれだけの動きを見せるなんて、流石は吾妻だ。先生は嬉しいぞ」
「ふざけるな!」
「駄目よ吾妻くん!」
仮面の男――網川はただの殺人鬼ではない。鋼人である開人にも一撃を加える危険な相手だ。生身の人間が挑発的に乗るのは得策とは思えない。
だが、怒りと混乱に支配された春彦の耳には、美織の叫びは届いていない。
「あんたが琴美をやったのか?」
「そうだよ」
「何で殺した……」
「趣味としか言いようがないね。有原のような明るく元気のいい子ほど、殺すのは快感だ」
「何でだよ……あんた、良い先生だっただろ……」
「外面は良いに越したことはないだろう?」
網川は後悔の念を口にするどころか嗜虐的に笑ってみせた。それをきっかけに、春彦に残されていた自制心は完全に吹き飛ぶ。
目の前にいるのは恩師などではない。憎むべき仇だ。
「許さねえ!」
一矢報いようと春彦は網川へと殴りかかる。
例えナイフで斬られようとも、ひるまずに殴り飛ばしてやる。
春彦の覚悟は本物だった。
「熱いね」
「えっ?」
正面にいたはずの網川がいつの間にか春彦の背後を取り、サバイバルナイフを振り下ろしてきた。
その俊敏さは春彦の理解を遥かに超えていた。いくら反射神経に優れる春彦であっても、一瞬で背後を取られた状態では回避など不可能だ。
「吾妻くん!」
二人の間に何とか割って入ろうと美織も飛び出すが、距離的に間に合わない。このままでは、刃が春彦の背に深々と突き立てられてしまう。
瞬間。激しい衝突音と共に窓ガラスが吹き飛んだ。
「おやおや、思ったよりも早い到着だ」
網川の振り下ろしたナイフは素手で受け止められていた。
窓を突き破りこの場に現れた。一人の「鋼人」によって。
「先輩!」
「開人!」
美織と春彦が、異なる呼び方でその人物を呼ぶ。
「待ってたよ。友永開人」
「……いい度胸ですね」
皮肉気に敬語を使い。怒りに顔を歪ませた開人は、力任せに網川のナイフを握り潰した。
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