漆話 「みーちゃん」と彼は私をそう呼んだ

 琴美の通夜から三日が経過した。

 二年A組の教室には活気が無く、生徒達からは笑顔が消え失せている。

 琴美の通夜と葬式が終わり、彼女を喪ったという現実を突きつけられたことで、生徒達の精神的疲労はピークに達していた。

 いつもクラスの中心にいて、その明るさで皆を元気づけてきた琴美はもういない。琴美の使っていた机には花が手向けられており、より一層喪失感を強めていた。

 クラスに活気が無いのは精神的な理由はもちろん、単純に生徒の人数が少ないからでもある。

 2年A組の生徒22名の内7名が欠席。クラスの三分の一近い人数が欠席しているのだ。普段より人口密度の低い教室を寂しく感じるのは当然といえる。

 たまたま病気にかかり欠席した者もいたが、欠席者のほとんどは琴美の死による精神的ショックが原因だった。学校側もカウンセラーを常駐させるなどして生徒達のメンタルケアに努めているが、経過は芳しくない。


 欠席者には、吾妻春彦と友永開人の二名も名を連ねていた。


「網川先生。友永くんへの連絡はつきましたか?」


 二限目の授業を終えて職員室へと戻った美織は、デスクに着くなり隣の席の網川へと尋ねる。朝からずっとこのことが気がかりだった。


「残念だけどまだだ。何度かけても家は留守のようでね。こういう時のために、携帯の番号も控えておくべきだったよ」

「そうですか……」


 今日欠席した7名の生徒の内、6名の家からは欠席の連絡が来ていたのだが、開人からだけは何の連絡も無く、無断欠席となっていた。

 琴美の一件以来、新たな事件が起こったという情報は無いが、時期が時期だけに不安は募る。


「私、後で友永くんのお宅に様子を伺いに行ってきます」

「しかし、家にいるとは限らないよ?」

「行くだけ行ってみますよ。授業が無い四限目と昼休みを使って、少し出てきます」

「分かった。じゃあ、友永の住所を後でデスクに上げておくから」

「ありがとうございます」




 三限目の授業を終えて学校を出た美織は、開人の住所の記されたメモを参考に車を走らせていた。


「本当にこの辺?」


 住所の近くまでやってきたが、そこは閉鎖された造船所や工場が立ち並ぶエリアで、民家の数は限られている。

 本当にこの辺りに開人が住んでいるのか甚だ疑問だが、学校に登録されている住所が間違いとは思えないので、周辺を探してみることにした。


「もしかして、あそこかな?」


 廃造船所沿いを車で進んでいると、岸壁近くに一軒の白い二階建ての建物が見えてきた。

 建物のそばには「seaside bar」という立て看板が添えられている。どうやら一階部分が酒場、二階部分が居住スペースとなっているようだ。


 ――とりあえず行ってみようか。


 バーの前にはポール等があり乗り付け出来なそうなので、美織は一度車から降り、徒歩でバーへと向かった。

 入り口には住所を記したプレートが張られており、メモ書きの住所とも一致している。小奇麗な郵便受けも設置されているし、開人がここに住んでいるのは間違いないようだ。


「こんにち――」


 インターホンらしき物が見当たらないので、琴美は扉をノックして開人の在宅を確認しようとするが、


「不用心だね」


 不意に背後に声と殺気を感じた。その声にはどこか聞き覚えがあるような気がするが、少なくとも開人のものではない。


「うそっ!」


 振り返った美織は驚愕し、目を見開く。

 目の前には黒いパーカーと白い仮面を身に着け、背にゴルフバックを背負った男の姿があった。右手に持ったサバイバルナイフを振り上げて、今まさに美織に斬りかかろうとしている。

 動揺し、防御行動も回避行動も取ることが出来ない。いや、仮に冷静だったとしても、この距離感で咄嗟に対処することは難しいだろう。

 

 ――斬られる。


 反射的に目を伏せ、痛みに対して身構える。今の美織に出来るのはただそれだけだ。


 しかし、振り下ろされた凶刃は、美織の体へと届くことはなかった。


「やらせない」


 突然、第三者が美織と仮面男の間に割って入り、美織を庇い自らの右腕でナイフを受け止める。


「友永くん!」


 刃物が衝突する音と共に美織は目を開け、自らを庇ってくれた友永開人と対面した。こんな異常事態にありながら、開人はまるで美織を勇気づけるかのように穏やかな表情を浮かべている。


「みーちゃんが無事で良かった」

「えっ?」


 最後にその呼び方をされたのはいつだっただろう。美織をその名で呼ぶのはあの人しかいない。


「何故だ、何故刃物が通らない?」


 仮面の男は事態を飲み込めないでいた。邪魔が入ったことは予想外だったが、何よりも驚いたのはナイフを受けた開人が無傷であることだ。

 ナイフの軌道は開人の細身な前腕を捉えていた。例え筋肉質な腕だったとしても、このナイフの硬度があれば余裕で刺し貫いていたはず。それにも関わらず、ナイフは衣服に穴を空けただけで、肝心の腕には先端すらも刺さらず、金属的な衝突音と共に弾かれてしまった。


「君は何者なんだ?」


 仮面の男の困惑は好奇心へと変わっていた。今までやってきたどんな殺しよりも、よっぽど楽しめそうな予感を感じたからだ。


「……鋼人はがねびと

「鋼人、そうか鋼人か!」


 都市伝説的な存在の名を聞き、男は歓喜した。常人ならその名を聞いてもただの戯言だと思うだろう。だが、開人の身に直接ナイフを振り下ろした仮面の男は、体感的にそれを真実だと確信した。

 機械化された強靭な肉体。それならば、ナイフを弾いたことも納得がいく。


「……ここ数日お前のことを探していたけど、まさか僕の家の前に現れるなんてね」


 あくまでも冷静に仮面の男と向かい合う開人であったが、ふと美織を一瞥した瞬間、押し殺していた感情が溢れ出していくのを感じた。

 ギリギリ間に合ったが、あと数秒遅ければ凶刃は確実に美織の体を貫いていただろう。危うく、また大切な人を失いかけた。


「絶対に許さない……琴美ちゃんを殺め、この子の命までも狙うお前を、僕は絶対に許さない!」


 怒りを爆発させ、開人は一気に距離を詰め仮面の男へ殴りかかる。開人の身体は固さだけではなく俊敏さも備える。一介の犯罪者如きに遅れはとらない――はずだった。


「おっと、鋼人相手となれば流石に準備不足だ。今は引かせてもらうよ」


 開人の一撃を上半身の動きだけでかわすと、仮面の男はカウンターの要領で猛烈な蹴りを開人の腹部へと叩き込む。


「この威力は!」


 並の人間の蹴りなど微動だしないはずの開人の体が、蹴られた勢いで後退する。ダメージこそ微々たるものだが、常人の足でこれだけの威力を叩き出せるはずがない。


「その足はまさか?」

「想像通りだよ」


 口元で不敵に笑うと、仮面の男は開人が怯んだ隙に、驚くべき俊足でその場を退く。

 後を追おうと開人が構えた瞬間には、仮面の男の姿はもうどこにも無かった。


「機械化された足か……」


 一筋縄でいかぬ相手の存在は、開人の表情に影を落としていた。


「……犯人は、逃げたんですね」


 状況が落ち着いたことを察し、美織は開人の元へとやってきた。その口調は生徒にではなく、学生時代の先輩に向けたものへと変わっていた。


 もう隠し切れないのだということを、開人は悟る。


「みーちゃんが無事で良かったよ」

「その呼び方。やっぱり、先輩なんですね」

「今まで、知らない振りをしていてごめんね」


 普段の友永開人としての振る舞いを捨て、温和かつ大人びた印象へと変わった今の開人の姿は、美織の憧れた先輩そのものだった。

 

「……色々聞きたいことがあります」

「全てを話すよ」


 美織に真実を語ることを決め、開人は自宅に美織を招き入れることにした。


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