参話 日常は静かに狂い始めた
「……なんか、サイレンみたいのが聞こえない?」
「本当だ。何か事件でもあったのか?」
時刻は午後7時を回った頃。一通り遊び終わり、カラオケ店で会計をしていた琴美たちの耳に、パトカーのものと思われるサイレンが飛び込んできた。
それほど大きくはない町だ。事件など滅多に起こらないので、パトカーが出動する騒ぎは珍しい。
「あっ、音が止まった」
「近そうだな」
春彦と琴美の表情には、好奇心が溢れ出していた。渚町は小さい故に平和だが、同時に退屈でもある。事件の香りは、刺激を求める若者たちにとって、とても大きな興味の対象だ。
もちろん不謹慎であることは二人も自覚しているが、一度湧き上がった好奇心には、そう簡単に蓋は出来ない。
「行ってみるか?」
「うん。気になるしね」
春彦と琴美の心はもう決まっているようだった。残るはあと一人。
「開人はどうする?」
「二人が行くなら僕も行くけど、あまり遅くはならないようにね」
保護者のような開人の物言いに、春彦と琴美は「はーい」と声を揃えた。
パトカーが止まっていたのは、カラオケ店から数百メートル離れた公園の前だった。よく見ると、止まっているパトカーは一台だけではなく計三台いる。パトカーが出動するだけでも珍しいのに、それが三台となるといよいよ大ごとだ。
公園の入り口には規制線が張られ、周辺では騒ぎを聞きつけた近隣住民や通りすがりの人達が野次馬と化していた。
「思ったより大ごとっぽいな」
「もしかして、殺人とか?」
想像以上の物々しさに、春彦と琴美は興奮気味だった。何が起こったのかはまだ分からないが、明日の学校での話題はこのことで持ち切りになりそうだ。
「何があったんすか?」
状況を把握すべく、春彦が近くにいた若い男性に尋ねる。騒々しい野次馬の中にあってその男性は比較的冷静そうだったので、話を聞くのに適した人物に思えた。
「公園で死体が出たらしい。殺しだって話だよ」
「詳しい状況とかは分かりますか?」
「僕も少し前に来たばかりで、あくまでも又聞きだけど、遺体が見つかったのは20分くらい前。発見者は帰宅途中に通りがかった三人組の中学生らしい」
「その中学生たちは今は?」
「全員病院に移されたようだよ」
「もしかして、事件に巻き込まれて怪我でも?」
「いや、精神的なものでね」
「精神?」
確かに死体を発見したとなれば胸中は穏やかではいられないだろうが、全員が病院に行くほどだろうかと、春彦は少し疑問に思う。
「発見された死体はかなり酷い状態だったらしい。誰かがズタズタだって言ってたな」
「……ズタズタ」
「……そんなに」
これまではどこか陽気だった春彦と琴美も、複雑な表情で互いの顔を見合わせた。珍しく事件が起こったと不謹慎にも気分が高揚していたが、それが猟奇事件ともなれば流石に熱も冷める。恐怖というほどではないにせよ、心の底から嫌悪感が湧き上がってくるようだった。
「さっきから何人もの警察官が青ざめた顔で行ったり来たりしている。捜査のプロですらそうなんだから、発見者の学生達はさぞ辛い思いをしただろうね」
春彦と琴美は男性の話しに苦々しい表情で聞き入っていた。この公園は自分達の生活圏とも重なっていて近くを通りかかることも多い。もしかしたら自分達が発見者になっていたかもしれないのだ。
「犯人は捕まったんですか?」
「残念ながらまだ見つかっていないそうだ」
「ということは、犯人はまだ近くにいるかもしれないと?」
「まあ、そういうことになるんだろうね。物騒なことだよ」
これが大きな都市での出来事だったなら、まだ他人事と捨て置けたかもしれない。だが、この小さな町において、殺人犯が捕まっていないという恐怖はあまりにも身近すぎる。
そんな恐怖心から琴美は微かに震え、開人の制服の裾を握った。
「……私、怖くなってきちゃった」
「大丈夫だよ。すぐに犯人が捕まってそれで終わり」
やはり開人は一貫して淡々としていた。普段なら味気ないと思われることも多い開人の振る舞いだが、こういった時にはそれが心強くもある。
「開人くんは怖くないの?」
「このくらいは、何ともないかな」
開人の言葉には、経験に裏打ちされた胆力のようなものが宿っていた。
本来、高校生の経験値などたかが知れているだろうが、不思議なことに開人の言葉には妙な説得力がある。
「春彦。そろそろ帰ろう」
「そうだな」
これ以上野次馬に身をやつしていても仕方がない。開人の提案に、春彦は素直に頷いた。
「琴美ちゃん。家まで送るよ」
「う、うん。ありがとう」
開人からの思わぬ申し出に琴美の声が上ずる。開人のその言葉だけで、背に感じていた悪寒が吹き飛ぶような気さえしていた。
同日深夜。渚町で起こった殺人事件に関するニュースが報道された。
被害者は近所に住む23歳の飲食店勤務の女性。
死因は失血死。凶器は特定されていないが、傷口の形状が特徴的だったことから特殊な凶器が使われた可能性も考えられる。
被害者は生きたまま体中を切り刻まれた痕跡があり、警察では怨恨の他、快楽殺人の可能性も視野に捜査を進めている。
この時はまだ、若者たちは自分達に降りかかる残酷な運命の存在には気づいてはいなかった。
小さな町で起こった猟奇的事件に恐怖を感じながらも、結局のところは他人事だったのだ。
しかし、この事件を境に、日常は静かに狂い始める。
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