弐話 彼の存在は心を揺さぶる

「開人。一緒に帰ろうぜ」


 放課後。帰り支度をしていた開人に、春彦が声をかけてきた。


「部活は?」

「始業式だから休みだ。というわけで、帰りにどっか寄っていかないか?」

「いいよ」


 断る理由も無いので、開人は快諾した。

 クラスのムードメーカー的存在の春彦と、口数少ない印象の開人。対照的な二人だが意外と馬が合うらしく、昨年の一学期に席替えで近所になって以来、親しい友人同士となっている。

 

「それで、どこにいくんだい?」

「この間はゲーセンだったし、今日はカラオケでいいんじゃないか?」

「異論なし」


 男同士で寄り道の案を練っていると、


「あっ、私も行きたい」


 掃除当番で黒板を念入りに綺麗にしていた琴美が、両手に黒板消しを持ったまま二人の元までやってきた。


「別にいいけど部活は?」

「あんたと同じで今日は休み。ねっ、いいでしょう?」

「どうする開人?」

「僕は構わないよ。琴美ちゃんがいると盛り上がるし」

「やった、決まり!」


 琴美がはしゃいで飛び回ったため、黒板消しからチョークの粉が舞う。


「落ち着け琴美。粉が舞ってる」


 春彦の言葉を受けて琴美は慌てて動きを止め、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんね開人くん。粉かからなかった?」

「僕なら大丈夫。安心して」


 優しく微笑む開人の顔を見て、琴美はホッと一息ついた。


「琴美、俺の心配はしてくれないのか?」

「春彦なら大丈夫でしょ」

「相変わらず俺に厳しいね」


 豹変といっても差し仕えの無い温度差だった。いかに幼馴染とはいえ、琴美は春彦への扱いがいつも雑過ぎる。


「それじゃあ、掃除が終わるまでちょっと待っててね」


 琴美はそう言うと教室の窓を開け、両手に持った黒板消し同士を叩き合わせ、粉を払い始めた。




「先生さようなら」

「はーい、さようなら」


 美織は校門の前に立ち、下校していく生徒達を見送っていた。そういった仕事を割り当てられたわけではないが、赴任したばかりということもあり、生徒の顔を覚える意味も込めて自主的にそうしている。


「須々木先生も大変ですね」

「あら、有原さん」


 美織に労いの言葉をかけたのは、有原琴美だった。


「大変ということはないわ。好きでやってることだし」

「先生は真面目だな」

「有原さんだって、一年の時から学級委員長を続けてるんでしょう。誰にだって出来ることじゃないわ」

「私は目立ちたがりなだけです」

「あらあら」


 胸を張って誇らしげに言う琴美の姿が微笑ましく、美織は生徒ではなく妹でも見ているような心境になった。


「帰りは一人?」

「ううん、春彦と開人くんと一緒ですよ。これからみんなでカラオケに行くの」

「吾妻くんと友永くんか」


 友永開人の名を聞き、また初恋の先輩の顔を思い浮かべてしまった。開人には失礼だが、この違和感に早く慣れなくてはと美織は思う。


「あっ、遅いよ二人とも」

「悪い悪い」


 やや遅れて春彦と開人が姿を現した。一度は三人で玄関近くまで来たのだが、春彦が忘れ物を思い出して教室に引き返し、開人もそれに付き合っていた。


「それじゃあ先生。私達はカラオケに行ってきます」

「あまり遅くならないように帰るのよ」

「はーい」


 琴美は別れ際に、子供のように手を大振りした。


「さよなら、美織先生」

「また明日ね、吾妻くん」


 琴美に続いて春彦も去り際に挨拶を残したが、友永開人だけは無言でその場を去ろうとしていたが、


「友永くんも、また明日ね」


 何も言わずに見送るのも気が引けたので、美織は咄嗟に開人にも別れの挨拶をした。心のどこかでは、彼と言葉を交わしてみたいという気持ちもあったかもしれない。

 

「はい、また明日」


 一度振り返ると、開人は抑揚の無い声と共に会釈した。




「網川先生。友永くんって、どういった感じの生徒なんですか?」


 校門での見送りを終えた美織は職員室へと戻り、隣のデスクでプリントを作成をしていた網川にそう尋る。


「友永か、口数は多くないけど無口という程ではないし、友人もそれなりに多い。成績も優秀だし、優良な生徒だと思うよ」

「一応聞いておきたいんですが、彼の髪色は……」


 一番気になった点はそこだった。開人は口数が少ないことを除けば、至って普通の学生という印象だが、やはりあの髪色は目を惹く。髪色をいじるタイプには思えないし、あのムラの無さはおそらく地毛だ。

 副担任として、その辺りの事情は把握しておく必要がある。


「今でこそ落ち着いているけど、友永は昔は病弱だったらしくてね。あの髪色は、その時服用していた薬の影響らしい」


 網川の言葉に、美織は思わず息を飲んだ。

 

 ――また、あの人と同じだ。


 初恋の先輩にも髪色について尋ねたことがあり、先輩は、『昔は体が弱くて、その時飲んでいた薬の影響』だと答えてくれた。

 顔が瓜二つなだけではない。髪が白髪である理由までもが、初恋の先輩と一致している。

 偶然にしては、あまりにも出来過ぎだ。


「……髪色のことで、周りとトラブルになったことは無かったんですか?」


 頭の中は混乱しているが、会話の途中で考え事をしていては網川に変に思われる。咄嗟に浮かんだ疑問を口にし、美織は気持ちを誤魔化した。


「僕の記憶している限り、そういったトラブルは無いな。教師である僕が言うのもなんだけど、うちの学校は気の良い生徒ばかりだからね。特に、吾妻や有原とは早い段階で打ち解けていたよ」

「今日も、三人で一緒に帰っていましたよ」

「そうか、相変わらず仲がいい」


 満足気に笑うと、網川がコーヒーを注ぎに席を立ち、そこで会話は一旦打ち切りとなる。


 ――友永開人くん。あなたはいったい……。


 初恋の先輩によく似た友永開人の存在は、一度は落ち着きかけた美織の心を、再び揺さぶっていた。

 

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