壱話 初恋の人に彼は似ている

 春。それは出会いの季節。

 東北地方の港町――なぎさ町。そのほぼ中央に位置する青上あおがみ高校はこの日、始業式を迎えていた。

 クラス替えなどで新しい出会いが生まれる時期だが、新たな出会いというのは、何も生徒同士に限った話ではない。


「今日からこのクラスの副担任を任されることになりました。須々木すずき美織みおりです。よろしくお願いします」


 二年A組の教室で、この春赴任してきたばかりの女性教師――須々木美織が、生徒達に簡潔な自己紹介をした。

 美織は現在27歳。担当教科は英語だ。これまでは東京で教鞭を取っていたのだが、諸事情により地元であるこの渚町へと戻って来ていた。

 なお、美織は中学卒業後は東京の全寮制の高校へと進学したので、この青上高校の出身というわけではない。


「先生、彼氏はいるんですか?」


 廊下側の最前列に座る日焼けした男子生徒が、開口一番そんな質問を飛ばした。若い女性教師が赴任してきたとなれば、興味本位で聞きたくなる質問には違いない。


「今はいないよ。もしかして立候補してくれるの?」

「えっ、えっ?」


 美織が試しにちょっとからかってみると、男子生徒は狼狽してしまった。外見的には大人でもまだ高校生だ。何とも可愛らしい初心な反応だった。


春彦はるひこったら、赤くなってる」

「うるせー」


 隣の席の女子生徒が、日焼けした男子生徒――吾妻あずま春彦はるひこを小突いて茶化し、教室内に笑いが巻き起こった。


「それじゃあ、須々木先生に顔と名前を憶えてもらうためにも、一人ずつ自己紹介といこうか」


 窓際でやり取りを眺めていた二年A組の担任――網川あみかわ柊一しゅういちが笑顔でそう提案する。 

 網川は現在35歳。温和な人柄でユーモアもあるため、生徒からの人気も高い。担当教科は数学で、進路指導も行っている。


「それじゃあ無難に名簿順かな。というわけで吾妻……は、さっき勝手に質問したからパスでいいか」

「ちょっ! 先生酷くね~」

「冗談だ冗談。それじゃあ、自己紹介を始めて」


 最初に自己紹介することとなったのは、今しがた美織に質問をしてきた吾妻春彦という名の男子生徒だ。


「吾妻春彦、部活は水泳をやってます。好みの女性は須々木先生みたいなタイプです」

「あんたも懲りないよね」


 隣の席の女子生徒が、呆れるように肩をすくめる。

 先程のやり取りといい、春彦と隣の女子生徒は仲が良いんだなと美織は思った。


「ありがとう吾妻春彦くん。これからよろしくね」


 美織は微笑みを浮かべてフルネームを復唱した。仕事柄記憶力は良い方なので、一度名前と顔を覚えれば、もう忘れることは無い。


「じゃあ男女交互にってことで、次は有原ありはら

「はい」


 次に自己紹介することになったのは春彦の隣の席の女子生徒――有原ありはら琴美ことみだ。琴美はセミロングの髪をポニーテールにまとめ、程よく焼けた健康的な肌をしている。晴れやかな笑顔も相まって、快活な印象を与える少女だ。


「有原琴美です。部活は演劇部で、学級委員長も務めることになっています。ちなみに、隣の春彦とは幼馴染です」


 自己紹介を聞き、春彦と琴美の距離感の近さの理由が分かった。幼馴染というのなら、確かに互いに遠慮のない態度にもなるだろう。


「よろしくね。有原琴美さん」


 その後も男女交互に名簿順に自己紹介が進んでいき、クラスの半数の自己紹介が終わった。

 そして、ある男子生徒の番になると。


 ――えっ?


 自己紹介のために立ち上がった男子生徒を見て、美織はわが目を疑った。

 レトロな印象の丸眼鏡と、一切のムラが無い白髪が特徴的な男子生徒。身長は170センチ台前半くらい、体つきはどちらかという細身で、どこか儚げな印象を与える。

 目を惹く白髪に驚く者は珍しくないが、美織が驚いたのはまったく別の理由であった。


 ――あの人に、よく似ている。


 美織は、高校時代の記憶を呼び起こしていた。

 今から12年前、美織が高校一年生だった頃。彼女には憧れの先輩がいた。それは同じ文芸部に所属する、白髪と丸眼鏡が印象的な二年生の男子生徒で、文学の知識が豊富な大人びた印象の人だった。

 美織が進級する頃に転校してしまったので恋は実らなかったが、美織にとっては大切な初恋の思い出だ。


 美織の視線の先にいる男子生徒は、当時の憧れの先輩に良く似ている。瓜二つと言ってもいいだろう。

 だけど、初恋の先輩であるはずがない。あの人は美織の一つ年上――今年で29歳になるはずなのだから。


友永ともなが開人かいとです」


 白髪の男子生徒――友永開人は名前だけを告げて着席した。他の生徒は所属する部活や一言アピールなどを付け加えていたので、非常に淡泊な印象だ。

 

 ――名前も違う……当たり前か。


 当然ながら先輩とは違う名前だ。いったい何を期待していたのだろうと、美織は自分自身に呆れてしまった。いくら似ているからといって、生徒に初恋の人の面影を重ねるなど、あまり褒められたことではないだろう。


「――須々木先生」

「は、はい」


 網川の呼びかけで、美織はふと我に帰った。


「友永くんの自己紹介が終わりましたよ」

「ごめんなさい。少しボーっとしてしまって」


 美織は苦笑し謝罪した。赴任初日から集中力を欠いてはいけない。


「よろしくね。友永開人くん」

「はい」


 開人の反応は、やはり淡泊なものだった。

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