第二十七話「無限の未来」

「また、助けてくれてありがとう」


 頭を下げるナーイに、ディアドラは微笑みながら首を横に振った。


「礼には及ばないわ。私も得るものがあったしね。それより……」


 ディアドラは、レオンとマチルダに視線を向ける。


「あなたたちは、シェイルが冒険者になることを反対しているのよね?」

「そ、それは……」


 思わず口ごもったレオンに、ディアドラはふふっと笑う。


「確かに、この子は危なっかしいものね。……でも、シェイルは冒険者として生きていける力を持っているわ。何よりも大切な、信じる心を持っている」


 ディアドラは言う。

 自分の言葉を噛み締めるように。


「もちろん、世の中は良い人ばかりじゃない。信じたがために危険な目に会い、苦しんだり、道に迷ったりするかもしれない。でもね……この子はその度に強くなる。前を見て進む力を持っているから」


 うつむくレオン。


「それに、いざというときは私もついているしね」


 そう言って胸を叩くディアドラに、レオンは顔を上げた。


「なぜ……あなたは、シェイルにそこまで入れ込む?」

「私の生まれ変わりだから……じゃ、理由にならない?」

「それだけの理由で……」


 その言葉に、ディアドラは空を見上げる。


「この子は、私が失った心だから。……見てみたいのよ。この子となら、私が見られなかった世界がきっと見られる。そう思えるから」

「あなた……」


 憂いを帯びた表情のレオンに、マチルダがそっと寄り添う。

 頭では理解している。

 だが、感情がそれを許さないのだ。


 様々な想いが心の中で渦を巻き、沈黙が辺りを支配する。


「ねぇ……二人とも、これを見て」


 そんな二人に向かって、ディアドラは握り締めた右の手を静かに突き出した。


「この小さな手の中には、無限の未来が秘められていることを、忘れないであげて」


 そして、優しく微笑んだ。

 それは彼女があの日に忘れてきた、心からの笑みだった。


 風が吹き抜ける。

 その風に後押しされるように、ナーイが一歩前に進み出た。


「わ、私からもお願いがあります!」




―――




「う……ん……」


 心地よい揺れと、懐かしい温もりにシェイルの口から声が漏れた。


「シェイル、目が覚めたか?」

「あれ……お父さん?」


 ぼんやりとしていた意識が、次第にはっきりとしてくる。

 そこは父の背中の上だった。


「あなたは、ずっと気を失っていたのよ」


 傍らの母が優しい声で言う。

 ディアドラと入れ替わった反動で意識を失ったシェイルを父が背負い、家路をたどっていたのだった。


 驚きと照れくささが交差し背中から降りようとするが、無理はするなと諭され、ここは素直に従うことにした。

 すでに皆の姿はなく、この場にはシェイルとレオンとマチルダの三人しかいない。


「戦いはどうなったの?」

「私たちの勝ちよ。あなたと……ディアドラのおかげね」

「そっか……」


 母の言葉に、シェイルは父の肩口に顔をうずめた。

 そして、深いため息をつく。


「また、ディアドラに頼っちゃった……あたしはもっと強くなって、自分の力でみんなを守れるようにならなくちゃ」

「……シェイルよ、それはディアドラを追い抜くという意味か?」

「え? う、うん、そうだけど……」


 その言葉に、父と母は顔を見合わせる。

 そして、嬉しそうに笑った。


「シェイル、一ついいか?」


 レオンが不意に足を止める。


「昨日から沢山のことがあったな……死ぬような思いだってした」

「うん……」


 そのときのことを思い出すと、体が震えそうになる。


 思わずうつむいたシェイルの肩に、マチルダは優しく手を置いた。


「冒険者になったら、そういう場面も沢山あるだろう。それでもお前はなりたいと思うのか?」

「あたしは……」


 物語に憧れ、アドニスたちに憧れて、幼いシェイルは漠然とその道を目指した。


 物語の冒険には、とても華がある。

 だが、実際の冒険は、そうではなかった。


 暗くジメジメした洞窟や遺跡の中を漂う、むせ返るような獣臭。

 襲い来る痛みと苦しみ。

 そして、圧倒的な力と、向けられる敵意に対する恐怖。


 そのどれもが、シェイルの想像を絶するものだった。

 本を読んだだけではわからない、華やかに見える冒険者の裏側を垣間見た気がする。


 だが――


 子犬のルナルナを助け出したときの喜び。

 村に連れて帰ったときの、ルチーナの笑顔。

 信じあえる者たちと手にした、掛け替えのない勝利。


 それは本の中の出来事ではない。

 自身が実際に経験し、感じ、手に入れたものだ。


 そして、それらはシェイルの心に深く刻み込まれ、大切な宝物となった。


「こうすると……あのときの温かさが、蘇ってくるんだ……」


 シェイルは胸に手を当てた。


「あたしは、もっと沢山の感動を知りたい……知らない世界を旅して、色々な人に出会って、沢山の感動をその人たちと共にしたい」


 静かな――

 だが、揺るぎない声。


「だから……あたしは冒険者になりたい」


 真っ直ぐ前を見つめる瞳には、曇り一つない。


「冒険者になることは、あたしの大切な夢なんだっ!」


 シェイルの心からの叫びが、辺りに響き渡った。


「そうか……」


 じっと聞いていたレオンは、短くつぶやくと傍らのマチルダに視線を向けた。

 うなずくマチルダに、レオンもうなずき返す。


 その口が静かに開いた。


「覚悟はいいんだな?」

「え……」


 驚きを隠せないシェイルに、マチルダは優しく微笑み掛ける。


「さっき、ナーイちゃんに、あなたの夢を認めてあげてって必死にお願いされたのよ。二つの魂が入ったシェイルを治す術は、この村にはない。だったら、冒険者として世界を旅して探すのも手なんじゃないか……って」

「ナーイが……」

「いいお友達を持ったわね」


 その言葉に、涙が溢れそうになる。

 自分の気持ちを理解し、知らないところでこんなにも後押しをしてくれていた。

 その想いが、シェイルの心を震わせていた。


「それにね……」


 母の話は、まだ続く。


「認めてあげないと、シェイルは勝手に飛び出すかも……って」

「……うえっ!?」

「ナーイちゃんのその言葉に、その場の全員が納得してね」

「ちょ……み、みんな、そっちに納得しちゃったの!?」


 だが、一気に感動が薄れてゆくシェイルであった。


「はっはっはっ、本当にいい友達を持ったな!」

「あぅぅ~」


 爽やかに笑うレオンの背中で、シェイルは頭を抱えた。 


(シェイルには、ディアドラの言葉は言わないでおこう……この子がディアドラの全てを受け入れられる日が来るまでは)


 レオンは目を細めてそっと微笑んだ。






「えっ!? お父さんの長剣バスタード・ソード、あたしが使ってていいの!?」


 シェイルの驚きの声が、部屋の中に響き渡る。

 先程のドゴーンとの戦いの疲労も忘れ、椅子から立ち上がる愛娘に、思わず笑みが零れた。


 レオンに背負われ帰宅した直後の出来事だった。


「この剣は、俺が冒険者時代に使っていたものだ。古いものだが、手入れは怠っていない」


 受け取ったシェイルは、ゴクリと唾を飲み込むと、改めて鞘から剣を引き抜いた。

 窓から差し込む陽射しを浴びて、刀身がまばゆく輝く。

 使い込まれ、磨き上げられた剣は、手にしっかりと馴染む気がした。


「この剣は、片手でも振るうことができる。魔法を使うために片手を空けなければならない精霊使いには、最適の剣だと思うが」

「うん! ……でも、いいの?」


 シェイルは、剣を鞘に戻しながらたずねる。


「ああ。現役時代はこの剣に沢山助けられた。だから、きっとお前の助けとなるだろう」


 父の想いが詰まった長剣。

 その優しさと強さを感じ、シェイルは剣を抱き締めた。


「シェイル、お母さんからはこれを」


 母は自分の髪に手を伸ばすと、白銀の額当てを外した。

 一つにまとめられていた長い髪が、流れるようにうなじに落ちる。


「これね、お母さんがお父さんたちと冒険していたときに使っていたものなの。銀製のものだから、身に着けても精霊に嫌われることはないわ」


 精霊は鉄を嫌う。

 一説では、鉄の奏でる音色を嫌うのだとか。

 そのため、精霊使いたちは鉄の防具を身に着けることはない。

 手に持つ程度ならまだしも、身に着けてしまうと、精霊との交信を阻害してしまうからだ。


「付けてあげるわね」


 そういうと、マチルダはシェイルに後ろを向かせた。


「冒険者といっても、あなたは女の子なんだから……あまり無茶はしちゃダメよ」

「うん……ありがとう、お母さん……」

「うんうん……これで前髪を下して……ほら、できたわよ。こっちを向いてごらんなさい」


 ゆっくりと振り返るシェイル。


「あら……これは……!」


 その顔を見て、マチルダは口を押さえた。


「ねぇ、あなた!」

「ほう……これはなかなか」

「も……もう、何よ二人とも」

「ふふ、そこの鏡を見ていらっしゃい」

「……ん~?」


 首をひねりながら、シェイルは鏡台の前へと足を進める。


「いったい、なんなの……」


 しかし、言葉はそれ以上出なかった。

 鏡には長剣を手にし、額に白銀に輝く額当てを付けた、凛々しい自分の姿があったのだ。


「よく似合っているわよ」

「ああ、まるで一人前の冒険者のようだ」


 振り返ったシェイルは、勢い良く母の胸に飛び込んでいった。


「ありがとう……ありがとう、お父さん、お母さん……!」


 強く抱き締めるマチルダ。

 それを優しく見守るレオン。


(あたしは……この温もりを決して忘れない)


 少女は、小さな胸に深く刻み込むのだった。


 窓から入り込む陽射しが、三人を優しく照らしている。

 リノイの空は今日も遥か高く――

 どこまでも、どこまでも、青く澄み渡っていた……

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