第二十一話「嫌いだったはずなのに……

 星が降りしきる夜。

 満天の星々は、見上げる人々の感嘆のため息を誘う。


「あっ、流れ星!」


 不意に誰かが言った。

 人々は一斉に瞳を閉じ、願いを心に浮かべた。


「これは……?」


 シェイルは、ふと声を漏らす。

 今の自分、光をまとって飛ぶその姿は、人々の願いを受けた一筋の流れ星であった。


 流星のシェイルは飛ぶ。

 祈る人々の頭上を。

 連なる静かな山々を。

 水面みなも輝く海を越え、深い藍色の空を飛び続けた。


 この藍色の世界を、どれくらい飛び続けただろう。

 ふと、その瞳に淡い色の明かりが映った。


 眼下に広がるは、海に面して切り立つ崖。

 明かりは、そこに作られた邸から漏れていた。


「……あっ! ……誰かいる?」


 邸のバルコニーにたたずむ人影を、シェイルの瞳は認めた。

 憂いを帯びた表情の女性。

 さざ波に揺れる月を見つめるその姿は――


「ディアドラ!?」


 それは、紛れもなくディアドラであった。

 戸惑うシェイルの前で、その口がかすかに動く。


「アドニス……あなたは今、どこにいるの……?」


 弱く、小さな声。


「私の中の時は、あれから止まったまま……これから私は、どうしたらいいの……?」


 消え入りそうな姿は、シェイルの知っているディアドラとは、大きく掛け離れていた。


「ねぇ……答えて……答えてよ……」


 崩れるように、彼女はその場に座り込む。

 その肩は小刻みに震えていた。


 光に導かれ、シェイルはゆっくりと天に昇ってゆく。

 大地が、邸が、そしてディアドラが次第に遠ざかる。


「ディアドラ……泣いてた……」


 眼下の彼女はうつむいたまま。

 青い月に照らされて静やかに伸びる影は、まるで、はぐれた心のようだ。

 不意に込み上げる感情に、シェイルは胸に強く手を当てた。


「あたしは……あたしは……」


 そのとき、ディアドラの影がゆらりと動く。


『――その問いに、我が答えてやろう』


 地の底から響くような声。


「だ、誰っ!?」


 身構えるディアドラに、影は大きく伸び上がった。


『我が名はジャグナス、世界を統べる者だ。娘よ、我の元へ来い。さすれば貴様の望みは全て叶えられるだろう』

「全て……!?」

『ああ、全てだ』


 シェイルは知っている。

 この話の結末を。


 シェイルは知っている。

 この先に待ち受ける悲劇のことを。


「ダメよ、ディアドラ! ジャグナスの誘惑に耳を貸さないでっ!!」


 しかし、その叫びはディアドラには届かない。

 それでもシェイルは懸命に手を伸ばし続けた。


「ディアドラ――――ッ!!」


 そして、光の奔流の中でシェイルは意識を失った。

 シェイルが最後に見たものは、影に飲み込まれるディアドラの姿だった……




―――




 シェイルが目を開くと、そこは自室のベッドの上だった。


「夢……?」


 ディアドラに向かって伸ばしていた手は、今は天井に向かって伸びている。

 シェイルは、その手で目を押さえた。


「あたしも泣いてる……」


 しばしの間、頬を伝う涙を感じていたシェイルは、やがてゆっくりと身を起こす。


「もう……朝なんだ……」


 差し込む陽射しが眩しくて、少しだけ目を細めた。

 窓の外から聞こえる、小鳥たちのさえずる声。

 普段なら、新しい一日に心踊るときだ。


 だが――

 シェイルの口からはため息が漏れた。


「ディアドラの想い……あたしの夢……」


 その二つが、心に重くのしかかってくる。

 嫌いだったはずのディアドラ。

 しかし、今ならば彼女も、そしてその苦しみも理解できる気がする。


『それは、あなたが優しい心の持ち主だからよ』


 今、ディアドラが現れたなら、きっとそう言うに違いない。

 様々な想いが、心の中を駆け巡ってゆく。


「嫌いだったはずなのに……」


 シェイルは、ゆっくりとベッドから下りると、窓の外を眺めた。

 外には、村の復旧作業で汗水を垂らす人々の姿がある。

 その中には、雑貨屋のダナンの姿もあった。


 以前ダナンは、小さくてもいいから自分の店を出すのが夢だったと話していた。


「あのときのダナンさん、凄く嬉しそうな顔してた……」


 額に汗している今の顔は、どことなくあのときと同じようにも見える。


「ダナンさんの夢は、まだ終わらない……でも……でも……あたしの夢は……」


 下唇を噛むシェイル。窓枠に置いた手は、小さく震えていた。


「シェイルー、起きてるのー?」


 そのとき、階段の下からマチルダの声が響く。


「起きているなら、ちょっと下りてらっしゃい」


 いつもと変わらない母の声に、シェイルは扉を見つめた。

 この扉の向こう側は、いつもと同じ風景が広がっているのだろうか……


 シェイルは、もう一度ため息をつくと、扉に手を掛けた。






 階段を下りると、マチルダが待っていた。


「おはよう、シェイル。よく眠れた?」

「うん……まぁ……」


 曖昧な返事にも、マチルダは優しい笑みを返す。


「それじゃ、こっちにいらっしゃい」


 促され入った部屋には、椅子に腰掛けたレオンがいた。


「おはよう、シェイル」

「おはよ……もう、体はいいの?」


 シェイルも、父に習って目の前の椅子に腰掛ける。


「ああ、昔から体は丈夫な方でな」


 そう言って笑う父は、本当にいつもと変わらなく見える。

 胸をなで下ろすシェイルを見つめながら、母も父の隣りに椅子を並べて腰掛けた。


 そして二人は見つめ合い、真剣な表情でうなずく。


「なに……二人とも……?」


 一変した空気を鋭く感じ取ったシェイルに、マチルダは口を開いた。


「シェイル、あなた、冒険者以外なら何になりたい?」

「え……?」

「ほら、お花屋さんとか、料理人とか。あなたは本が好きだし、小説家なんかも夢があっていいわね」

「ちょ……ちょっと待って! あたしの気持ちは知ってるでしょ? なんで今、そんなことを言うの!?」


 思わず立ち上がったシェイルを諭すかのように、マチルダは微笑みながら言葉を続ける。


「違うの、シェイル。ただ、他にも目を向けてみるのもいいんじゃないかって」


 優しい口調の母。

 だがこれは、遠回しに冒険者になることを反対している。

 一つの体に二つの魂。

 そんな不安定な状態の今、賛成されないことは予想がついていた。


 しかし、実際にその場を迎えてみると、動揺は隠すことができなかった。


 二人のやり取りを黙って見ていたレオンは、短く息を吐くと椅子から立ち上がる。


「納得いかないといった様子だな」


 そして、窓に向かって歩を進めると、目を細めて外を眺めた。


「冒険者に憧れ、目指す者は星の数ほどいる。だが、その中で成功するのは、ほんの一握りだ。甘い世界じゃない」


 うつむいたままのシェイルにレオンは言葉を続ける。


「昨日のような命の危機だって沢山ある。生半可な腕では生き残ることすらできないだろう」


 ゆっくりと振り返ったレオンの表情は、とても険しいものだった。

 自らも冒険者として過ごしたことのある父と母。

 それだけにその言葉には重みがある。


(でも……それでも、あたしは……)


 シェイルは手を強く握り締めた。


 そのとき――


「レオンさん! マチルダさん!」


 二人の名を呼びながら激しく扉を叩く音。

 ただならぬその雰囲気に、三人は顔を見合わせる。


 マチルダが急いで扉を開けると、転がるようにナイジェル村長が飛び込んできた。


「そんなに慌てて、どうしたんだ?」


 レオンの問いに、ナイジェルは息も絶え絶えに叫ぶ。


「ゴブリンが! ゴブリンが攻めて来るんです!」

「ゴブリン? それなら、数体いたとしてもお前の敵じゃないだろう?」


 首を傾げるレオン。

 彼の腕は良く知っている。

 ゴブリンごときに後れを取ることはないはずだ。


 しかし、ナイジェルは頭を横に振った。


「大群なんです! それも、十や二十じゃない……これまでにないくらいの数なんです!」

「なにっ!? それは本当なのか!?」

「はい……北の森で狩りをしている者が見たんです。武装したゴブリンたちが、この村に向かっているところを! 私も確認しましたが、あの数は危険です!」


 悲鳴にも近いナイジェルの声。

 レオンは、あごに拳を当てた。


「狙いは……この村か!?」

「あなた……」

「ああ。村には一歩たりとも入れるわけにはいかない! ナイジェル、すぐに出る!」

「私は村の人を避難させてから向かうわ」


 レオンはマチルダの言葉にうなずくと、壁に掛けてあった愛用の長剣バスタード・ソードをつかんだ。

 そして、シェイルに視線を向ける。


「……シェイル、話の続きは帰ってからだ。今は母さんと一緒に行くんだ!」


 そう言うと、愛娘の横を通り抜け、家の外へと走り出す。

 その後にナイジェルも続いた。


「お父さん、あたしは……」


 走り去る背中を、シェイルは胸に手を当て見つめる。

 二人の姿は、あっという間に小さくなっていった。

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