第Ⅲ章 空の色、海の色
第二十話「輝く月に照らされて」
シェイルが目を覚ましたとき、そこは自室のベッドの上だった。
心配そうにのぞき込んでいたナーイ、長老、村長。
その顔に、笑顔が灯る。
そして親友の笑顔は、いつしか泣き顔に変わっていった。
「シェイル……心配したんだから……」
シェイルは、包帯を巻いたナーイの手をそっと握った。
確かな温もりが、そこにはある。
「もう……あまり無茶しないでよ」
「ナーイ……なんだか泣いてばっかりね」
「も、もうっ! 誰のせいだと思ってるの!」
そして、二人は顔を見合わせ――
「……あははははっ!」
どちらからともなく笑い合うのだった。
「今回は、シェイルに助けられたようなものじゃの」
「燃えた家もありますが……それでも思ったより被害は少なかったようですね」
長い顎髭をさする長老に、村長はうなずく。
シェイルが目を覚ますまで数時間。
その間に消火作業は終わり、人々は村の復旧に追われている。
だが、太陽も沈んだ今、本格的な復旧作業は明日になるだろう。
「明日から、忙しくなるわね……」
ナーイは、窓の外に目を向けた。
月が、美しく輝いているのが見える。
「ナーイ……ごめんね、その腕の火傷……」
「ううん、おばさまに癒しの魔法を掛けてもらったから大丈夫よ。シェイルこそ大丈夫なの?」
「うん……正直、まだ疲れみたいなのはあるけど……でも、大丈夫っ!」
確かに腹部を貫いた剣の傷跡と、〈
(これも、ディアドラの力なのかな……?)
そう思うと、少し悔しさが込み上げてくるシェイルだった。
「……シェイル?」
下唇を噛んでいる姿に、ナーイが不思議そうな表情を浮かべる。
「あ……う、ううん、なんでもないっ」
シェイルは、その気持ちを悟られないよう、笑顔を作った。
(ディアドラのことはともかく、みんな無事だったことは喜ばなくちゃねっ)
笑顔の三人を前に、つくづくそう思った。
だが、その瞬間、脳裏に疑問符が浮かぶ。
(えっ? 三人……!?)
今、この部屋の中にいる者は、ナーイ、長老、村長……
(お父さんが……いない……!?)
部屋の中を何度見回しても、レオンの姿はない。
自分を守るため、鮮血に染まった父の姿が、瞼の裏に蘇る。
(ま……まさか……)
心臓の鼓動が早くなってゆく。
額から嫌な汗がにじみ出た。
「シェ、シェイル、どうしたの? 顔色が悪いわよ!?」
顔をのぞき込むナーイの肩を、シェイルは強くつかんだ。
「ナーイ、お父さんがいない!! お父さんは!? お父さんは、どうしたのっ!?」
「あわわわわ……ちょ、ちょっと落ち着いて……」
ガクガクと揺さぶられ、声が震えるナーイ。
「落ち着いてなんかいられないよーっ!! ねえっ、お父さんはっ!?」
「ちょ……ちょっと、シェイルッ!!」
ナーイは、肩を揺さぶるその手を強く押さえつけた。
「シェイル、おじさまは……」
ちゃんと生きている、そう続けようとした瞬間――
「ダメ――ッッッ!!」
シェイルは、言葉を遮って叫んだ。
「やだ……そんなの聞きたくない……お父さん、ごめんね……あたしのせいで……」
体を小さく丸め、頭を抱えて震えるシェイル。
どうやら、勘違いをしているようだった。
「シェイル……違うよ?」
「違わないよっ!!」
なだめるような優しい声を出したナーイに、シェイル頭を振って叫ぶ。
「だって、お父さんは、あたしを守って死んだんだよっ!? あたしに、もっと力があれば、こんなことにならなかった……」
「や……あのね……おじさまはね……」
凄い勢いで、意図せぬ方向に進む話を修正しようと試みるが……
「『おじさまのことは仕方なかった』、そう言いたいんでしょ!」
しかし、その勢いは止められない。
「ナーイ……あたしを慰めようとしてくれる気持ち、痛いほど嬉しい……ありがとう」
シェイルはベッドから降りると、両手でナーイの手を握り締めた。
「ちょっと、シェイル!!」
その手を振りほどくナーイ。
困惑のあまり、思わず高ぶった声が出た。
「もうっ! いい加減に……」
――いい加減にしてよ!
そう叫ぶつもりが、またもやシェイルはそれを遮る。
「『もう、いい加減に現実を受け入れて!』……ナーイは、そう言いたいんでしょう?」
「え……」
「そうね……あたしはお父さんの死を、ちゃんと受け止めなくちゃいけないんだよね……」
(コ……コイツは……)
窓の外を遠い目で見つめる親友に、その体がワナワナと震え出す。
ナーイは、勘違いが止まらないシェイルの肩をつかむと、無理やり自分の方へと向けた。
「あのねシェイル、良く聞いて!! おじさまは、生きているのよ!!」
(――やった! やっと言えた!!)
これでシェイルもわかってくれるだろう。
ナーイは心の中で拳を高々と突き上げた。
「お父さんが……生きてる……?」
「うんうん!」
「ふっ……」
「……う?」
「そうね……お父さんは、永遠にあたしの心の中で生き続けるのよね……」
(そう来るか――っ!!)
驚愕の展開。
長老と村長の二人は背を向け、必死に笑いをこらえている。
「もーっ、誰かなんとかして~!!」
ナーイが、そう叫んだ瞬間――
「はっはっは! シェイル、それくらいにしておけ」
部屋の中に響く笑い声。
「えっ!? そ、その声は……」
「ナーイちゃんが困っているじゃないか」
そこに現れた者、それは紛れもなくシェイルの父、レオンであった。
レオンは、妻であるマチルダに支えられて立っている。
「お父さん……生きてる……」
「ああ……お前のおかげだ」
父の胸に飛び込むシェイル。
レオンは、その震える小さな体を強く抱き締めた。
しばしの間、二人は抱き合って互いの温もりを確かめあう。
その姿に、ナーイの口から思わず安堵のため息が漏れた。
そんなナーイに、シェイルは唇を尖らせて振り返る。
「もーっ! なんでお父さんが死んだなんて、嘘つくのっ!!」
「わ、私は、そんなこと一言も言ってなーい!!」
顔を赤く染め、手を振り回すナーイに、一同から笑いが巻き起こる。
「も、もうっ! みんな、笑い事じゃないんだから!!」
部屋の中から響く笑い声は、空高く夜の中に吸い込まれてゆく。
今宵の月は、優しく輝いている。
時折流れる薄雲に覆われ、淡く揺れ輝くその姿を、人々は仕事の手を止め眺めていた。
ようやく、村にも休息のときが訪れた。
「もう、大丈夫だ」
レオンは、愛娘の頭を大きな手で優しくなでると、ベッドに座らせる。
そして、その顔を正面から見つめた。
「今回の経緯、話してもらえるか?」
レオンの言葉にシェイルはうなずくと、静かな声でポツリポツリと話し出した。
遺跡のこと。
ゴブリンとの戦いのこと。
罠にかかったがなんとか脱出できたこと。
そして、ダークエルフとの戦いで瀕死に陥った時に現れたディアドラのことを。
「そんなことが……」
マチルダは思わず口元を押さえた。
「うむ……遺跡のことはワシらが後で調べるとして、今はシェイルの件じゃな」
「あのときのシェイル、別人だった……髪も金色で、目も怖くって……あれがディアドラ……ディアドラ・アクアマリーなのね」
怯えたように言うナーイに、シェイルは無言でうなずく。
シーツの裾を、人知れず握り締めながら。
「本当に驚いた……まさか、あの・・ディアドラが、シェイルの前世だなんて……」
ナーイの言葉に、シーツを握る手に更に力がこもる。
「……いやいやいや、これは凄いじゃないですか!」
しかし、そんなシェイルの様子に気付かない村長は、興奮した様子で立ち上がった。
「『アドニス物語』が実在の話だった。そして、その生まれ変わりが、この村にいたのですよ!」
「ちょ……ちょっと、お父さん」
ナーイが袖を引っ張るが、村長は気にもしない。
まるで子供のように瞳を輝かせている。
「あっ、そう言えば、シェイルちゃんも『アドニス物語』は好きでしたよね?」
「え……ええ、まぁ……」
マチルダは、困ったような笑みを浮かべた。
「お……お父さん、もうそれくらいで……」
更に袖を強く引っ張るナーイ。
「ええい、離しなさい! こんなに興奮することがありますか!」
しかし、村長の勢いは止められない。
「いやあ、憧れちゃいますねぇ! 私もあの話が大好きなんですよ! ディアドラの生まれ変わりだなんて……シェイルちゃんも、さぞ誇り高いことでしょう!」
嬉々として話す村長の前で、シェイルの口が小さく動いた。
「……めて」
「……え? 今、何か言いました?」
村長がたずねた瞬間、シェイルは声を荒げて立ち上がった。
「やめてっ!! あたしは、そんなのちっとも嬉しくないっ!!」
「あの……ナイジェルさん」
事態が飲み込めず、あんぐりと口を開けている村長に、マチルダがおずおずと声を掛ける。
「シェイルは……その……ディアドラのことは、あまり好きじゃないんですよ」
「ええっ!?」
「すみません……」
「い、いえ、こ、こちらこそ……それは、すみません……」
頭を下げるマチルダに、村長は慌てて頭を下げ返す。
「もう……お父さんてば……」
ナーイの口から、深いため息が漏れた。
小さくなる村長をよそに、レオンは疑問を言葉にする。
「しかし……なぜディアドラが現世に?」
その言葉に長老は黙考すると、やがて静かに口を開いた。
「これはワシの推測なのじゃが……シェイルの覚醒の儀式は、あのような形で終わりを迎えてしまったじゃろう?」
「はい……村がダークエルフに襲われて……それで、儀式は中断になった」
「うむ。そのため、前世の魂は不安定な形でシェイルと結びついてしまったのじゃろう」
長老の言葉に、マチルダは口を押さえる。
「じゃ……じゃあ、もう一度、儀式をやり直すというのはどうでしょう?」
ポンと手を叩く村長。
だが、長老は首を横に振った。
「残念じゃが、一度儀式を受けた者には、もう何の効果もないのじゃ……それに、今のシェイルのような状態、一つの体に二つの魂が宿ったままの状態では、何が起こるか想像もつかん。最悪……シェイルの魂は消滅してしまうやもしれん……」
「そんな……!!」
泣き崩れるマチルダを、レオンが抱き支える。
「じゃあ……あたしは……一生、ディアドラの影に怯えて生きてゆくの? いつディアドラが出て来るかわからない状態で……あたしは生きていかなくちゃいけないの……?」
うつむくシェイル。
その肩は震えていた。
重い空気。
沈黙が部屋の中を支配する。
その沈黙を破ったのは、長老だった。
「……じゃが、そう悲観的になることもあるまい」
「どういう……ことです……?」
レオンがたずねる。
「うむ……これもワシの推測なのじゃが……ディアドラは、宿主、つまりシェイルの身に危険が迫ったときに現れるのではないか?」
「それは、一種の防衛反応……ということですか?」
「はっきりしたことは言えんが、今回の状況とシェイルの話を聞く限りは間違いないじゃろう」
「それじゃ……」
「うむ、命の危険がない限り、ディアドラが出て来ることはないということじゃ」
その言葉に、一同の顔に希望の色が現れた。
「これから先、命の危険なんて、そうそうあるものじゃないですよね~」
村長は、屈託のない笑顔を見せる。
「ああ、あなた……」
「ああ……ほら、もう泣くな」
レオンは、涙で光るマチルダの頬に指を当て、優しくそれを拭った。
「シェイル、聞いた? あなた、普通の生活を送れるのよ!」
顔中に笑みを浮かべ、ナーイは勢い良くシェイルに飛び付いてゆく。
「良かった……ほんと良かったね!」
そう言って、ナーイは親友を強く抱き締めた。
「いや~、一時はどうなることかと思いましたよ~」
「うむ、そういうことじゃ。ひとまず心配はいらんじゃろう」
「あ……あの~……」
人々の笑顔の中で、シェイルは恐る恐る手を挙げる。
「あたし……冒険者になりたいんですけど……」
「……あ」
再び、張り詰めた空気が辺りを支配していった。
今宵の月、それは、とても綺麗なものだった……
暗い部屋で一人、シェイルはベッドの上で膝を抱えていた。
「みんな……あたしが冒険者になりたいって言ったら、引きつった笑顔で帰っちゃった……」
シェイルは、瞳を伏せる。
「あたし……みんなから呆れられちゃったのかな……」
「ふぅ……」と、ため息をつくと、背中を丸め、立てた膝の上にあごを乗せた。
「でも……冒険者になるのは……あたしの夢だったんだ……」
悲しみの声が、暗闇の中に響いてゆく。
「幼い頃から思い描いてた、あたしの大切な夢なんだ……」
夜は静かに更けてゆく。
広がる闇の世界は、シェイルの悲しみも苦しみも、全て包み込んでくれるかのようだった……
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