第十九話「溢れる涙は誰がために」
「圧倒的じゃな……」
「シェイルちゃん、すごいですなー!」
金色に輝くシェイルを前に、感嘆のため息を漏らす長老と村長。
だが、ナーイは首を横に振った。
「……違う。あれは……シェイルじゃない!」
「えっ? シェイルちゃんじゃないって、それはどういうことです?」
「わからない……でも、何かが違う……」
不安げに見つめるナーイに、金色に輝くシェイルはゆっくりと向き直った。
「その娘この言うことは正しいわ」
「えっ……!?」
「私はディアドラ・アクアマリー……この娘の前世だった者よ」
「ええっ!?」
「今は、この娘の体を借りて表に出て来ている」
「ええええっっっ!?」
ナーイたちの間に衝撃が走る。
「ディアドラって、あのディアドラ!?」
「あら……案外、私って有名なのね」
驚きを隠せない三人に、ディアドラは少しだけ笑った。
「ね、ねえっ! じゃあ、シェイルは!? シェイルはどうしたの!?」
不安を顔いっぱいに浮かべるナーイに、ディアドラは優しい頬笑みを見せる。
「心配しないで。彼女は、ちゃんと私の中にいるから」
「そ……そうなんだ」
その言葉に、ナーイは安堵の色を浮かべた。
「何をゴチャゴチャ言っている!! これを見ても、余裕を浮かべていられるか!!」
響く怒りの声。
レスタトの頭上には、巨大な炎の塊が渦を巻いていた。
その大きさ、激しさは、先ほどの〈
しかしディアドラは、それを鼻で笑う。
「〈
だが、レスタトも負けじと笑い返した。
「ククク……貴様が無事だとしても、周りの者はタダでは済むまい!」
その言葉に、ナーイたちの顔が青ざめる。
「こ、これはマズいんじゃないですか!?」
「みんな、退避するのじゃ!」
「で、でも、レオンおじさまが!」
「ククク……今更遅い!」
「レ、レスタト様! ここでそんな魔法使ったら、俺はもちろん、レスタト様まで巻き込まれて……」
血走った瞳で笑うレスタトに、アバレールは恐る恐る声を掛けるが……
「はっはっはーっ!! 全員まとめて燃え尽きろっ!!」
「ヤ、ヤベェ! 目がイっちまってる!!」
悲鳴を上げるアバレールは、転がるように広場の泉へ頭から飛び込んでゆく。
「わ、私たちも!」
「だ……だめじゃ、もう間に合わん!」
「いや――っ!!」
ナーイは頭を押さえて、その場にうずくまった。
「はっはっは、死ね――っ!!」
レスタトの手が振り下ろされ、巨大な炎の塊が放たれる。
「きゃ――っっっ!!」
耳をつんざく爆音。
灼熱の地獄。
喉を、肺を、熱風が焼いてゆく――
「……って、あれ?」
しかし、実際は何も起こってはいなかった。
「あれ? あれ? なんで?」
「バ……バカな……」
レスタトの狼狽した声に、ナーイは恐る恐る目を開ける。
その瞳に映るもの、それは――
「半透明な、水色の女の人……?」
「水の精霊ウンディーネよ」
ディアドラは言う。
水の精霊ウンディーネは、その両手でレスタトの炎を受け止めていた。
広場の泉を媒介に召喚したのであろう。
自分の周りの水が突然無くなったアバレールは、驚いて辺りを見回している。
「バ、バカなっ!? 水の精霊とはいえ、たかが下位精霊がこの俺の炎を受け止めるなど!!」
「この程度の炎、効かないって言ったでしょう」
うろたえるレスタトをよそに、ウンディーネはその炎を全身で包み込む。
炎は次第に勢いを弱め――
やがて完全に消滅した。
「『ありがとう、ウンディーネ』」
ディアドラの精霊語に水の精霊はうなずくと、自分が住まう精霊界へと帰っていった。
「すごい……」
「それほどまでに、ディアドラとダークエルフの魔力に差があるということじゃな……」
ため息を漏らすナーイに、長老は言う。
「くっ……この場は一度退くのが得策か!」
「逃がさないわ!」
距離を取ろうとするレスタトに向かって、〈
「ぐはあっ!!」
腕を、足を、腹を貫かれ、レスタトは勢い良く吹き飛んだ。
「さあ、トドメよ……!!」
天に手をかざすディアドラ。
響き渡る精霊語の詠唱。
「熱っ……!」
ナーイは思わず悲鳴を上げた。
ディアドラの呼び掛けにより辺りの炎が揺れ動き、肌を焦がすような熱風が通り抜ける。
手の上に集まってゆく炎。
それは轟き、渦巻き、槍の形を成した。
「〈
「くっ!!」
レスタトは起き上がろうとするが、〈
大きくバランスを崩し、無様に地面に転がった。
「いたぶる趣味はないわ……一思いにトドメを刺してあげる」
「くそぉぉぉぉぉ――――っっっ!!」
レスタトの叫びは雲を突き抜け、空高く吸い込まれてゆく。
「力の差は歴然じゃな」
「はい。あのダークエルフもここまでですね」
その言葉に、ナーイはビクンと体を震わせる。
「終わり……?」
その口から、不意に小さな声が漏れた。
一滴の汗が、頬を伝って流れ落ちる。
「死……ぬ……の?」
自分の腕を抱くように押さえ、うつむき震えるナーイ。
「さあ……覚悟はいい?」
ディアドラの手の上で燃え盛る炎の槍は、大きさ、激しさ、共にこれまでの比ではない。
「派手に燃え散りなさい!」
ディアドラは手を振り下ろす――
「ダメ――ッ!!」
その瞬間、ナーイは両手を広げ二人の間に割って入った。
村長と長老が驚きの声を上げる。
「う……」
槍は、すんでのところで停止していた。
渦巻く炎が、ナーイの服に焦げを作る。
「……あなたは何をしているの?」
ディアドラは、鋭い瞳でナーイを睨んだ。
「もう……やめて……もう決着はついたでしょ……」
漏れるような、細く消え入りそうなナーイの声。
「無抵抗の相手を殺すなんて……そんなのただの虐殺じゃない……」
その言葉に、ディアドラはため息をついた。
「そのダークエルフが何をしたのか、忘れたワケじゃないでしょう?」
ナーイは、力無くうなずく。
「だったら……」
「それでも! ……それでも誰かが傷付いたり、傷付けたり……そんなのはもう嫌!!」
その瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「私の親友を……シェイルをただの人殺しにしないで――っ!!」
溢れ出す涙は抑えが効かない。
しかしナーイは、それでもディアドラを真っ直ぐに見つめた。
一陣の風が吹き抜けてゆく。
「残念……ね」
ディアドラはため息をつくと、〈
槍が再び動き出す。
……しかしそれは、レスタトに向けられたものではなかった。
槍は空高く突き進み、弾け飛んで無くなった。
降り注ぐ火の粉を浴びて、ディアドラは短く息を吐く。
そして、再びレスタトに鋭い瞳を向けた。
「……この子に感謝するのね」
「じゃ……じゃあ!!」
ナーイの顔に笑顔が浮かぶ。
「まったく……これじゃどっちが悪者か、わからないじゃない」
困ったような表情を見せるディアドラに、ナーイは頬の涙を拭った。
その姿を見つめながら、ディアドラは目を細める。
「ただ……優しさだけでは救えない世界があることも、覚えておきなさい」
つぶやくような声。
再び風が吹き抜けてゆく。
ディアドラはその風を髪にまとい、辺りに視線を巡らせた。
「そこの大剣の男!」
こっそり立ち去ろうとしていたアバレールは、その声にビクンと体を震わせる。
「このダークエルフは、思うように歩けないわ」
「へ……へぇ……」
「あなた、肩を貸してあげなさい」
「へ、へいっ!」
もう一度体を震わせると、アバレールは弾かれたようにレスタトの元へと走り出した。
「さ、さあ、レスタト様」
「くっ……お前……逃げようとしてなかったか……?」
「ま、まさか! うおっ……意外と重いな……」
慌てた様子で抱き起こすアバレール。
レスタトは、屈辱に顔を歪めながらも、それに従った。
「今回は助けたけど、次はないと思いなさい!」
二人の背中に、ディアドラの言葉がグサリと突き刺さる。
(くそっ! くそっ! くそーっ! あんな小娘に、ここまでいいようにやられるとは!)
レスタトは、ギリッと奥歯を噛み締めた。
屈辱と無力感で、その体は震えている。
「あの~……レスタト様……」
そこにアバレールが、おずおずと声を掛けてきた。
「助かった喜びに震えるのはいいんですけどね……少しは自分でも足を動かしてくれないと……どうにもこうにも重くて……」
その言葉に、レスタトの顔が真っ赤になる。
「だ、誰が喜びに震えているかっ!!」
「え……だって……」
「そこっ!! 何をゴチャゴチャ言ってるのっ!!」
「「ひいっ!?」」
ディアドラの言葉に、二人は思わず悲鳴を上げた。
「くそっ……アバレールよ、何か言い返してやれ」
「えーっ、嫌っすよ~……レスタト様がご自分で言って下さいよ~」
小声でささやくレスタトに、アバレールもささやきを返す。
「バカ者! 俺はこの怪我だ! そんなことを言う余裕がどこにある!」
「えーっ……口は十分動いてるじゃないっすか……」
「貴様、悔しくないのか!」
「だから、何をゴチャゴチャやってるのっ!!」
「「うひいっ!?」」
再び飛ぶ怒声に、二人はまたもや体を震わせた。
「く……くそっ!! お……覚えてろよーっ!!」
それでもそう言い残して、二人は全力で村から去っていった。
その背中が見えなくなったところで、ディアドラは肩の力を抜く。
「やれやれ……でも、これで終わったかな……」
『――ちょっと~!』
その瞬間、心の中に響く声。
『ねえってば――』
「ふぅ……こっちの問題が、まだだったわね……」
ディアドラは、瞳を閉じた。
暗闇が広がって包まれてゆく感覚。
その中で、ディアドラはゆっくりと瞳を開いた。
「……あら、シェイル」
目の前に、シェイルの姿が浮かび上がる。
「もう、いい加減あたしの体返してよ~!」
「あなたね……助けてもらっといて、お礼も言えないわけ?」
「うっ……!」
思わず言葉に詰まるシェイル。
ややあって……
「あ……ありがと……」
小さな声が聞こえた。
「うんうん、ちゃんと言えるならよしっ!」
その言葉に、ディアドラは満足げな笑顔を見せる。
「ま~、ダークエルフには、個人的に恨みもあったし~」
「あ……あの……」
「ん?」
「あなた……お話と性格違うわね……」
「そう~?」
おどけたそぶりを見せるディアドラ。
「でも……何でディアドラが現世に現れたの?」
その問いに、ディアドラの静かに首を横に振る。
「それは、わからない……気が付いたら、私は何もない暗闇の中にいた……でも――」
そして、シェイルを見つめた。
「あなたの声が聞こえたの……助けを求める、あなたの声が」
「あたしの……声……」
「だから私は現れた。あなたの大切なものを守りたいという気持ち、強く感じたから」
「で、でもっ!!」
シェイルは高ぶった声で叫ぶ。
「あたしは……あなたのこと……好きじゃなかった……」
その言葉に、ディアドラは悲しげに微笑んだ。
「わかってるわ……アドニスを苦しめたのは、事実だから……でも! 私も……必死だったんだ……」
ディアドラは、シェイルに向き直る。
「シェイル……あなたが私を好きじゃなくても、私は常にあなたの中にいる……私は、あなたの前世なのだから……それだけは忘れないで」
そこまで言って、ディアドラは短く息を吐いた。
「ちょっと長話が過ぎたわね。体は、約束通りあなたに返すわ」
その言葉を受け、二人の体が輝き出す。
「これで、あなたの体は、またあなたのものよ」
光が強くなってゆく。
「あ……そうだ、シェイル。あなた、私のこと“嫌い”から“好きじゃない”に変わったわね」
「え……!? そ、それは……」
「ふふふ、あなたは優しい子ね……」
「そ、そんなこと……!」
「ふふっ……それじゃまたね……」
金色の輝きが世界を包む。
眩しくて、もう目を開けていることはできなかった。
眩しさ。
そして、それと共に感じる心地良い温もり。
それらに包まれて、宙に浮かび上がる感覚をシェイルは受けた。
やがて光は次第に収まってゆき、優しい温もりは、緩やかな大気の流れに変わる。
その身に重力を感じはじめたとき……
「……イル……シェイル!!」
不意に、自分を呼ぶ声が聞こえ、意識はそこに流されてゆく。
そしてシェイルは、ゆっくりと目を開けた。
「シェイル!!」
自分を強く抱き締める親友。
その瞳からは、涙がとめどなく溢れていた。
「ただいま……ナーイ……」
シェイルは微笑み、涙で濡れた親友の頬に手を当てた。
そして、その意識は再び薄れてゆく。
村を救えた安堵感と、抱き締められたその温もりに酔いしれて――
シェイルは、深い深い眠りの中に落ちてゆくのだった……
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