第十七話「あたしがみんなを守るから!」
ライナの村に一陣の風が吹く。
本来なら爽やかであろうその風は、燃え盛る炎の壁を越えて、むせかえるような熱風となる。
「赤髪の娘……次はお前が相手だというのか?」
シェイルの頬を汗が伝い、地面に落ちて黒い染みを作る。
その流れる汗は、周囲の熱気のせいだけではない。
目の前のダークエルフから放たれる、耐え難い威圧感によるものが大きかった。
「ダ……ダメだ……シェイル……逃げるんだ……」
そのとき、シェイルの背後でレオンのうめくような声が聞こえた。
「レオンおじさま!」
「こ、これはいかん!」
駆け付けた長老たちは、その体からのおびただしい出血に青ざめる。
村長が抱きかかえるが、レオンは何の反応も見せない。
すでに意識を失っているようだ。
その様子を後目に、シェイルは一歩前に出た。
「みんな……お父さんをお願い!!」
「ダ、ダメよシェイル! おじさまも逃げてって言ってたでしょ!」
だが、シェイルは悲しそうに首を横に振った。
「もし逃げたら、また周りの大切な人が傷付いてゆく……お父さんだって、アドニスだって、大切なものを守るために戦って、傷付いて……」
「シェイル……」
「だから、今度は、あたしの番なんだ!」
シェイルは前を睨む。
目の前で、冷酷な笑みを浮かべるダークエルフを。
「ダークエルフ、約束してっ! あたしとの決着が付いたら、大人しく村から出て行くってっ!!」
「シェイル!? 犠牲になろうというの!?」
「ククククク……なかなか崇高な考えだな」
余裕の現れからか、レスタトは高らかに笑った。
「いいだろう……その考えに敬意を表し、この俺に傷を負わせることができたなら、ここは大人しく引いてやっても良いぞ」
「その言葉……忘れないでよねっ!」
シェイルは、腰の小剣へと手を伸ばす。
すかっ!
(あ、あれれ!?)
が、シェイルの手は、空をつかんだ。
いつもあるはずの小剣が、そこにない。
(……あ! しまった……あたしの剣は、あのとき折れてなくなっちゃったんだった……)
シェイルの顔に、焦りが浮かんだ。
「クククッ……どうした? 愛用の武器でもなくしたのか?」
「う、うるさいっ!」
鋭いところを突かれ、シェイルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「それでどうする? まさか、武器も持たずにかかって来るわけではあるまいな?」
「武器は……」
辺りを見回すと、レオンの長剣が落ちているのが目に入った。
「お父さん、剣を借りるねっ!!」
シェイルは走り寄ると、レオンの長剣を拾い上げた。
深く息を吸い込みながら剣を上に掲げ、短く息を吐き出し胸の高さで構える。
「ほう……なかなか、堂に入った構えではないか」
「お褒めの言葉、ありがとっ!」
「それで、肝心の実力の程は、いかがなものなのだ?」
「それは……今、見せてあげるわっ!」
叫ぶと同時に一気に間合いを詰める。
突進力を加えた鋭い突きから始まる、波のような連続攻撃。
だが、その全てをレスタトは避け、あるいは細身剣で受け流した。
「くうっ……力の差はあると思っていたけど、まさかここまでなんて……」
シェイルは、肩で息を切る。
「はっはー! お前ごときの剣が、レスタト様に当たるものか!」
後ろで小躍りするアバレール。
「はっはっはっ!! さあ、レスタト様! 力の差をもっと見せ付けてやってくだせえ!」
「アバレールよ……」
「へい?」
「少し黙っていろ!」
「うひっ!!」
レスタトに睨まれたアバレールは、無様な格好で尻もちをついた。
レスタトは、ゆっくりとシェイルに向き直る。
「小娘……貴様は剣を振っているのではない……貴様は、剣に振り回されているのだ!」
「な、なにをーっ!!」
「剣とは……こう使うのだ!!」
疾風のような鋭い突き。
それは、
「きゃああああああっっっ!!」
「ククク……いい声だ」
レスタトは、恍惚の表情を浮かべて細身剣を引き抜く。
左腕が、だらんと垂れ下がる。
肩から流れ落ちる血は、力なく垂れ下がった腕を、すぐさま真っ赤に染めた。
「シェイル!」
「ま……待って!」
駆け付けようとする長老たちを、シェイルは動く右手で制する。
「あたしが……みんなを守るから……!」
そう言うと、シェイルは歯を食いしばり、再びレスタトに斬りかかった。
「馬鹿の一つ覚えか!」
その攻撃を避けつつ、細身剣をシェイルの腹部に突き刺す。
「はうっ……!」
脇腹に走る熱い痛みに涙がにじみ、口の中に血が広がってゆく。
「勝負を捨てたか?」
「そ、それは……どうかしら……!!」
次の瞬間、細身剣を握るレスタトの手首を強く握り締める手。
それは、肩を刺されて動かなくなったはずのシェイルの左手であった。
「ほう……先ほどの垂れ下がった腕は、この為の演技だったというわけか」
「すっっっごく痛かったけどねっ!!」
「それで……この後はどうするつもりだ?」
「……こうするのよっ!」
パッと右手を開くシェイル。
長剣がその手から滑り落ちた。
剣が地面で高い音を立てると同時に、空いた右手が空中に印を描く。
「『炎の精霊よっ! 燃え盛る炎の矢を放てっ!!』」
響き渡る〈
レスタトの背後で、燃え盛る炎が大きく揺らめいた。
「いっけ――っ!!」
シェイルの渾身の叫びと共に、炎の中から〈
目標はレスタト。
背後から襲いかかる矢は、完全な不意打ちとなる。
レスタトの体は、瞬時に炎に包まれた。
「よしっ!! 次は、あたしが逃げないと……」
自らの炎に焼かれないよう、掴んでいた手首を放し、両手でレスタトの胸を強く押した。
体が離れると共に腹部に刺さった剣が抜け、熱く激しい痛みが駆け抜けてゆく。
「うっ……くうぅ……!」
剣が抜けたことで再び出血が始まった。
意識が薄れ、視界が次第に狭くなる。
だが、それは出血のせいだけではない。
気力を振り絞った〈
「うぅ……」
がっくりと、崩れるように片膝を付くシェイル。
(これで倒せるとは思わないけど……)
『この俺に傷を負わせることができたなら、この場は大人しく引いてやってもよいぞ』
その約束が守られるならば、この戦いに決着がつく。
(これで……終わるんだ……)
安堵感から、シェイルの顔がほころぶ。
――が、次の瞬間、その笑みは凍り付いた。
「……何が可笑しいんだ?」
氷のナイフのような鋭く冷たい声。
「クククク……全てが終わったつもりにでもなっていたのか?」
レスタトは、炎に包まれたまま怪しく笑っていた。
「この程度の炎など、どうということはない」
レスタトが気合いと共に息を吐き出すと、体を包んでいた炎は全て吹き飛ばされた。
その体は、肌はおろか、髪の一本ですら焦げた様子はない。
「そ……そんな……力が、違いすぎるというの……?」
「お前なんかがレスタト様にかなうワケがねーんだ! 無駄な抵抗はやめて観念しろー!」
アバレールの罵声が飛ぶ。
「……アバレールよ」
レスタトは、ゆっくりとアバレールを見た。
「ひ……ひいっ、すんません!」
思わず首をすくめるアバレール。
レスタトはフンと鼻を鳴らすと、再びシェイルに視線を戻した。
「しかし……そういうことだ。おのれの無力さを噛み締めながら死んでゆくがよい!」
「ま……まだよ……」
シェイルは拳を握った。
「あたしは、剣士レオンと精霊使いマチルダの子だ――っ!!」
気合いの声と共に、歯を食いしばって立ち上がる。
「絶対に諦めたりなんか、しないんだっ!!」
熱い想いを拳に込めて、レスタトの顔面めがけて繰り出した。
「まだ、そんな力があるとはな……」
しかし、レスタトはその拳を難なくかわし、シェイルの腹に膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐはあっ!!」
体を“く”の字に折り曲げて吹き飛ぶシェイル。
ナーイが悲鳴を上げる。
「も……もう我慢できん! ワシらも加勢するぞ!」
村長と長老は武器を握り締め、雄叫びを上げて走り出した。
それを横目に、レスタトの口から精霊魔法の詠唱が響く。
「『炎の精霊よ! ここに集い走りて炎の壁となれ!』」
「うわっ!?」
その瞬間、轟音と共に立ち上がる炎の壁に、二人はすんでのところで足を止めた。
服の裾が焦げる匂いがする。
猛る炎の壁は、走り寄ろうとした二人の進路を、完全に塞ぐ形でそびえ立っていた。
「今が一番楽しいときなのだ。邪魔はしないでもらおうか」
「くっ……〈
「フッ……そういきり立つな。この娘を始末したら、お前たちもすぐに後を追わせてやる」
「なっ……!?」
腹を押さえてうずくまっていたシェイルは、驚きの表情を浮かべて顔を上げた。
「や……約束が違う! あたしとの決着が付いたら、大人しく村から出て行くって……」
「俺は、この体に傷を負わせることができたらと言ったのだが? ククク、俺はまだ無傷だぞ」
「そんな……」
シェイルは呆然とする。
「あたしのせいで村が……なのに……あたしは、誰一人守ることができないの……?」
「ハーッハッハッハ! 希望を絶たれ、全てに絶望したその表情! ……最高の表情だ!!」
レスタトは、自らの両肩を抱くように押さえ、恍惚の表情で体を震わせた。
「……終幕のときだ! 我々、闇の者の恐ろしさ、とくと知るがよい!」
血走った瞳で笑うレスタト。
その様は、アバレールですら鳥肌が立つものであった。
「シェイル! 逃げてシェイル!!」
しかし、ナーイの叫びは届いていないのか、シェイルはうつむいたまま微動だにしない。
響くレスタトの精霊魔法の詠唱。
それと共に取り巻く炎が一斉に揺れ動き、燃え盛る矢が浮かび上がった。
その大きさは、シェイルのそれとは比べものにならない。
「さあ、真の〈
レスタトの命を受けた矢は、うなりを上げて空を切り、シェイルを炎で包み込んだ。
「きゃあああああああっっっ!!」
天を貫くシェイルの悲鳴。
しかしそれは、豪火の轟きにかき消されてゆく。
「ククク……小娘よ、なかなか楽しませてもらったぞ」
シェイルの体が焼けてゆく様に、レスタトはうっとりとした表情を浮かべる。
「うあああ……ううっ……」
その悲鳴は次第に小さくなってゆき、やがてシェイルは崩れるように倒れ込んだ。
(お父さん……ごめんね……あたし……勝てなかった……)
自分をかばって倒れた父。
一命を取り留めていることを願うばかりだ。
次第に閉じてゆく瞳。
瞼の裏に、母の優しい笑顔が浮かび上がる。
(お母さん……あたしの精霊魔法……アイツには通用しなかった……もっと……ちゃんと練習すれば良かったな……ごめんね)
「シェイル――ッッッ!!」
(ナーイ……)
その声にシェイルは再び瞳を開く。
かすむ視界に、親友の姿が映った。
「シェイル、待ってて! 今、行くから!!」
行く手には炎の壁が立ちふさがっている。
しかし、ナーイは足を止めることをしなかった。
「こんな炎!」
叫びながら、立ち上る炎の壁の中に手を入れる。
炎は、瞬時にナーイの袖を燃やし尽くし、その下から現れた白い肌を容赦なく焼いた。
「ナーイッ!!」
村長が、慌ててナーイを炎の壁から引き剥がす。
「離してっ!! シェイルが……シェイルが!!」
村長に羽交い締めにされたナーイは、それを振りほどこうと必死にもがく。
「シェイルが死んじゃうよぅ!!」
ナーイの両の瞳から涙が溢れる。
その滴が村長の腕を濡らした。
「残念ですが……あの炎を越えるのは無理です……」
ナーイの初雪のように白く美しかった腕は、今や火傷で酷くただれてしまっている。
おそらく、激しい痛みがその華奢な身を襲っていることだろう。
「でも……でもっ!!」
しかし、ナーイはそれでも懸命に手を伸ばす。
炎の向こうで倒れた親友に向かって。
村長は唇を強く噛んだ。
抱き締める腕に、更に力が入る。
「ワシらは無力じゃ……近付くことすらできん……」
憎々しげに長老は言う。
それは、何もできない自分への苛立ちだった。
「いやっ、シェイル!! いや――――っっっ!!」
(ナーイ……泣かないで、ナーイ……)
シェイルは、残された力を振り絞り、その顔を親友に向けた。
(危険な目に合わせちゃって……それなのに守ってあげられなくて……ごめん……ね)
「シェイル……!?」
(さよなら……あたしの……大切な……友達……)
炎の向こうのシェイルは微笑んでいた。
悲しみを、その瞳いっぱいにたたえ、静かに微笑んでいた。
「シェイル――――ッッッ!!」
「ハッハッハー! 悔しいか? 悲しいか? 赤髪の娘よ! ……心配するな、友達もすぐに後を追わせてやる! 」
レスタトの声が響く。
しかし、その声はすでにシェイルには届かない。
(も……う……何も……感じな……い……)
シェイルの瞳が、静かに閉じてゆく。
(熱さ……も……痛み……も……何も……か……も……)
そして、シェイルは闇の中に落ちていった……
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