第十五話「守るべきもの」

 緑が溢れる山道。

 その木々は、この先の不安を煽るようにざわめいている。


 村へと続く坂道を駆け下りてゆくシェイル。

 その瞳に、先に出発した三人の背中が映った。

 先頭はレオン。

 次いで長老。

 そして、最後尾には二人から大きく離された村長の姿があった。


「お父さん……なんで長老様より足が遅いの……」


 不意に背後から聞こえたため息に、シェイルは驚き、走りながらも振り返る。


「ナーイ!? なんでついて来たの?」

「だって、あなた一人で行かせたら、暴走しかねないでしょ?」

「暴走って……で、でも、危ないかもしれないんだよ?」

「それはシェイルも一緒でしょ。それに……シェイルは今すぐ危ないわよ」

「えっ? ――おぶーっ!!」


 その瞬間、何かにぶつかる衝撃。

 思わず、口から変な悲鳴が飛び出す。


「いたたたた……もー、なによー?」


 ぶつけた頬をさすりながら、シェイルは前を向いた。


「お前は何をやっている……」


 そこには、足を止めこちらを見ている父の姿があった。

 どうやら、よそ見をしていたせいで、父の背中に激突したようだ。


 レオンは、厳しい表情を二人に向ける。


「お前たちは来るなと言っただろう! ダークエルフは恐ろしい敵なんだぞ!?」

「知ってる! だからこそだよっ! ……あたしのせいで大変なことになってるかもしれないのに、隠れてなんかいられないよ!」


 悲痛の表情で叫ぶシェイル。

 吹き抜ける突風が、長い赤髪を激しく揺らしてゆく。

 レオンは、その暴れる髪を優しく押さえた。


「まったく……お前の真っ直ぐさは、昔から変わらんな」


 そう言うと、レオンは長老と村長に目を向けた。

 二人は、深くうなずく。


 しばしの沈黙の後――


「……いいだろう。原因がシェイルにあるというのなら、お前はその真実を知る義務がある。ただし、村に着いたら、二人は安全な場所に身を置くこと。決してダークエルフの前に姿を現すな!」


 その真剣な眼差しに、二人はゴクリと唾を飲んだ。

 その様子に、レオンは「フッ」と笑うと、少し屈み込んで二人の肩に手を置いた。


「心配するな……必ず俺が守ってやる」


 温かく大きな手。その手の優しさと頼もしさに、二人の顔に笑みが浮かんだ。


「よし、それじゃ、早く行きましょうか」


 汗を拭き拭き立ち上がる村長。

 その言葉に一同はうなずき、そして村へと走りだす。


(あたしが原因だというのなら、あたしはその真実から目を逸らしちゃいけないんだ……)


 シェイルは、走る父の背中、そして真っ赤に燃える村の姿を、じっと見つめるのだった。






 村に到着した一行は、まず全体が見渡せる小高い丘に移動した。

 そこから見える村の姿に、一同は驚きを隠せなかった。


 村の家々を焼く、盛る炎からは、天をも焦がす勢いで火柱が立ち上る。

 緑が美しかった村は、今や赤一色に染め上げられていた。


「ひどい……」


 その場に崩れ落ちるナーイ。

 シェイルは寄り添うように腰を落とすと、肩をそっと抱いた。


「……むっ!」


 そのとき、レオンが声を上げた。

 その険しい表情に、シェイルもレオンの視線の先を辿る。


 そこには……


「ダ、ダークエルフ!!」


 漆黒の肌、鋭く伸びた長い耳、冷たい色をした切れ長の瞳、流れるような銀の長髪は、周囲の炎の色を映して赤く輝いている。


「あれが……ダークエルフ……!」


 ダークエルフは、村の中心部にある広場で、ゴブリン共を従え静かに佇んでいる。

 それが、かえって不気味さを醸し出していた。


 不安の気持ちが顔をついて出ているシェイルに、レオンは微笑んだ。


「心配するな。お父さんの剣の腕は、お前も知っているだろう?」


 父は凄腕の剣士で、熟練の冒険者だったと聞いている。

 その父が敗れるなど想像もつかない。


「……うん、そうだよね!」


 シェイルは、不安を吹き飛ばすかのように、努めて明るい声を出した。


「それじゃ、行ってくる」


 そう言って、レオンはシェイルに背を向けた。


「頑張って、お父さん!」

「……シェイル」


 しばしの後、父は背を向けたまま娘の名を呼んだ。


「……ん? ど、どうしたの? そんな怖い声出して」

「お父さんがやられたら……お前たちは、すぐに裏山に逃げるんだ」

「えっ!? それって、どういう……」

「行くぞ!」


 シェイルが言い終わるのを待たず、レオンは走り出した。長老と村長もその後に続く。

 二人が見守る中、その背中はみるみる小さくなった。



―――




「まだ、赤髪の娘は見つからんというのか……」


 ゴブリンからの報告を受けたダークエルフは、苛立ちを吐き捨てるようにつぶやいた。


「……ええい、忌々しい!!」


 ダークエルフは、目の前にあった大地母神の像を力任せに蹴る。

 押されるように蹴られた像はユラリと大きく揺らめき、激しい地響きを上げて倒れ込んだ。


「ふん……」


 ダークエルフは鼻を鳴らし、その像の上に腰を下ろすと、鋭い視線を辺りに巡らせた。

「レスタト様ー!」


 その緊迫した空気を割いて響く声。


「……アバレールか」


 レスタトと呼ばれたダークエルフは、座ったままの姿勢で首だけを巡らせる。


 そこに現れたのは――






「――大剣の男!」


 丘の上から見ていたシェイルは、思わず立ち上がった。


「知ってるの?」


 ナーイがたずねる。


「うん……ルナルナを見つけたときにね……」


 男は、遺跡で見たときと同じように大剣を帯びていた。

 身に着けたボロボロのマントの隙間からは、金属板で構成された鎧、板金鎧プレート・メイルも見える。


「重戦士……ってとこね……」


 ナーイの言葉にシェイルはうなずく。


「あのとき、レスタトって人を迎えに行くって出て行ったけど……あのダークエルフを、迎えに行ったのね」


「ね、ねえ、シェイル、見て! 村の人たちが捕まってる!!」


 ナーイの示す先。

 そこには、縄で縛られた五人の村人の姿があった。


 その光景に、二人はショックを隠せない。


「なんで……こんな……」


 高台から見下ろす二人の前で、ゴブリンは村人を縛っている縄を乱暴に引き寄せた。

 その勢いに、足がもつれて転ぶ中年の男性。


「あれは、雑貨屋のダナンさん!」


 牙をむき出して威嚇するゴブリンに、ダナンは慌てて起き上がる。


「そんな……あたし……後でお店に行くねって約束してたのに……」


 シェイルは立ち上がると、青ざめた顔でフラフラと歩き出した。


「シェ、シェイル!? どこ行くの!?」

「行かなくちゃ……あたしが助けなきゃ……」

「ちょ……ちょっと待って!」


 ナーイは、慌ててシェイルの腕をつかむ。


「シェイルが行って、どうなるっていうの!?」

「で……でも……」

「大丈夫……レオンおじさまたちを信じて待とう……ね?」

「う……ん……」






 二人が見つめる先で、レスタトは静かに口を開いた。


「アバレールよ、娘はいたのか?」

「はっ……それが……」


 大剣の男、アバレールは、頭をかきながら口ごもる。


「まだ見つからぬのだな……」

「で……ですが! 逃げ遅れた村人を捕まえやした!」


 アバレールが示す先、そこには縄で縛られた五人の村人の姿があった。


「こいつらを人質に、例の娘を呼び出すってのは……」

「そんなことを、させるわけにはいかんの!」


 アバレールを遮って響く声。


「な……なんだ、お前ら!?」


 突如現れた三人に言葉を遮られ、憤りを感じつつもアバレールは叫ぶ。


「この村の長老じゃ!」

「この村の村長です!」

「そして……赤髪の娘の父親だ!」


 その瞬間、レスタトの眉がピクリと動く。


「ほう……父親だと? 確かにお前も赤い髪をしているな」

「娘に何のようだ!」

「いやなに……貴様の娘に、それなりの報いを受けてもらおうと思ってな」


 人質に目を向けるレスタト。

 その口元に笑みが浮かんだのを、レオンは見逃さなかった。


「報いだと!? 何をする気だ!!」

「ククク……今から一つ、余興をしよう。これから人質を一人ずつ殺してゆく……お前は、人質が全て殺される前に娘を連れてくるのだ」

「な……そ、そんなこと!!」

「ククク……心配するな……人質を一気に殺すような、そんな無粋な真似はせんよ」


 そう言うとレスタトは、さも可笑しくて仕方がないという風に笑った。


「外道め……!」

「おっと、無駄な抵抗はするんじゃねぇぜ!」


 今にも斬りかかって来そうなレオンを、アバレールが制する。


「これだけの数を相手に、お前一人で何とかできるものか! 人質の死期が早まるだけだぜ?」


 歯噛みするレオン。

 だが、アバレールの指摘はもっともだった。


 レオンの目の前にゴブリンが四体。

 その後ろに、大剣のアバレール。

 更にその後ろに、ダークエルフ・レスタト。

 そこから少し離れた場所に、人質の見張り役としてゴブリンが一体。


 流石のレオンと言えども、これだけの数の敵を突破し、人質を開放するのは不可能だ。


「あ、あなたたち! 憎しみからは何も生まれませんよ!」

「綺麗事を抜かすんじゃねぇ!」

「ひいっ!」


 必死に説得を試みた村長だったが、アバレールに恫喝され、情けなく尻もちをつく。


「……それでは、ゲームを始めようか」


 腕を広げるレスタト。その目は、残酷なまでに冷酷だった。


「ダメだ、レオンさん!」


 そのとき、人質にされていた一人の男が叫んだ。


「雑貨屋の……ダナンさん!?」

「あんたは親なんだ! 親は、どんなことがあっても子供を売ったりしちゃあいけない!」

「そうよ、レオンさん! 私たちのことは気にしないで!」

「あんたはシェイルちゃんを……村のみんなを守ってやってくれ!」


 ダナンの勇気がキッカケとなり、他の人質たちも叫び始める。


「シェイルちゃんの無邪気な笑顔を、曇らせちゃいけない!」

「しかし、それでは……」

「大丈夫……例え殺されても、あんたらを恨むヤツは、ここにはいないさ」


 ダナンの言葉に、人質たちは首を大きく縦に振った。


「ダナン……さん……」


 レオンの目に熱いものが浮かぶ。

 だが、溢れそうになるそれを、目をとじてジッとこらえる。

 涙は見せぬよう、熱い想いを逃さぬように。


 その様子に、レスタトはギリッと強く歯噛みした。


「アバレール……」

「へい、アイツら、なかなか粋なことを……」

「虫酸が走る……!」

「え……? あ……そ、そうっすよねー! お、俺も、そう思ってましたー!」

「人質を一人殺せ!」


 その瞬間、辺りに戦慄が通り抜ける。


「くだらぬ茶番劇など……二度とする気にならぬよう、その心に恐怖を刻み込んでやる!」

「へ、へい!」


 アバレールは、たどたどしいゴブリン語で人質のそばのゴブリンに命令する。

 その命を受け、ゴブリンは天に向かって大きく吠えた。

 ゴブリンは、ゆっくりとダナンに歩み寄り、手にした無骨な棍棒を高々と振り上げた。

 目をとじるダナン。

 その瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。


「や……やめろォォォ――ッッッ!!」


 レオンの悲痛の叫びが、燃え盛る村の中に響き渡った。

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