第十四話「おかえり大切な人」
その日の空は、高く青く澄んでいた。
雲一つない空を見つめていると、その青の中に吸い込まれてゆくような感覚になる。
しかし、それを抑えてくれるのは、高く昇った太陽だった。
輝く太陽は、深緑の木々を照らし出す。
切り立った崖の上に作られた祭壇は、木漏れ日を浴びて白く輝いていた。
その祭壇の前で、古代語の呪文を唱えながら杖を振る老人。
村の長老だ。
名前をジーヤという。
長老の前には、頭を下げ、ひざまずく少女がいる。
ここ、ライナの村の裏山で、覚醒の儀式が執り行われているところだった。
「これで儀式は終わりじゃ……」
「ありがとうございます、長老様」
壇上のナーイは、深々とお辞儀をする。
観客から巻き起こる拍手と歓声に顔を赤らめながら、ナーイは壇を後にした。
そのまましばらく進み、人だかりから離れたところで近くにあった木にその身を預ける。
「ああ、緊張した~」
背をズリズリとこすって座り込むナーイ。
握り締めていた手の中は汗でぐっしょりだ。
時折吹く風がその熱を少しずつ連れ去り、ナーイはようやく一息をついた。
「お疲れ様、ナーイちゃん」
そのとき、不意に自分を呼ぶ声。
ナーイは嬉しそうに顔を上げる。
果たして、そこにはシェイルの母、マチルダが立っていた。
今のマチルダは、白銀色に輝く額当てで髪を一つにまとめている。
その額当ては、マチルダが冒険者時代に愛用していたものだとナーイは聞いていた。
「儀式、立派だったわ。お父さんも……そして、亡くなったお母さんも喜んでいるでしょうね」
そう言って微笑むマチルダ。
ナーイは、幼い頃に母を亡くしている。
以来、マチルダが母親代わりとして愛情を注ぎ、ナーイもそれを嬉しく思っていた。
祭壇では、二人の男が次の儀式のための準備をしている。
一人は、筋骨隆々で引き締まった体型の男。
その名はレオンという。
元冒険者で、マチルダの夫であり、シェイルの父親だ。
もう一人は、常に笑みをたたえた、とても恰幅の良い男。
名はナイジェルといい、ナーイの父親で、この村の村長だった。
二人の働く姿を見つめながらマチルダはつぶやく。
「それにしても、シェイルはどこに行ったのかしら? 儀式も、後はあの子だけなのに」
「あ……えっと……おばさま、実は……」
ナーイはおずおずと、それまでの経緯――
ルナルナを追い掛けて村を出たことを話した。
「そんなことがあったの……」
マチルダは深くうなずきながら、チラリと祭壇の方に視線を送る。
その視線に気付いたレオンが、足早に二人の元へとやって来た。
ナーイに変わり、マチルダが事の経緯を説明する。
「あの子のことだから、ルナルナと走り回って遊んでるなんてことも……」
「だが、シェイルは覚醒の儀式を楽しみにしていただろう?」
「はい……だから、忘れてることはないと思いますけど……」
あれやこれやと話し合う三人。
「まさか……トラブルに巻き込まれたとか……」
ナーイの言葉に、レオンとマチルダの顔色が変わる。
「村の周辺ならまだしも、山の中には魔物もいる……」
「あの子、まさか……」
「うんっ、山の中にはゴブリンがいたよっ!」
「えーっ!? それは大変! わ、私、村の外を見てきます! ……って、あれ?」
背後から響く明るい声に、三人はゆっくりと振り返った。
「シェイル!?」
「たーだいまーっ!」
そこには、シェイルが笑顔で立っていた。
「じゃ~ん、ルナルナも一緒だよっ」
見れば、シェイルの足元には、はちきれんばかりに尻尾を振るルナルナがいる。
「良かった……無事だったのね……」
押し寄せる安堵感に全身の力が抜け、ナーイは、へなへなと力無くその場に座り込んだ。
「えへへ、心配してくれたの?」
「あ、あなたね! 人の気も知らないで……」
「あっ、ナーイ、ちょっと待って」
文句の一つでも言ってやろうとしたナーイを、シェイルはあっさり制した。
そして、大きく息を吸い込むと、口の横に手を当てる。
「ルチーナ、お姉ちゃん帰ってきたよ――!!」
裏山中に響き渡るその声。
しばしの後、小さな体が人混みを掻き分けて飛び出してきた。
「シェイルお姉ちゃん!!」
「ルナルナもちゃんといるよっ!」
ルナルナは嬉しそうに吠え、ルチーナの元に元気に走り出す。
腕を広げるルチーナ。
その腕の中に飛び込むルナルナ。
一人と一匹は、頬をすり寄せてお互いの再会を喜びあった。
「もう、遠くに行っちゃダメだからねー?」
強く抱き締めるルチーナの頬を、ルナルナは愛しそうに舐める。
その様子を見つめる人々の顔に、優しい笑みが浮かんだ。
「お姉ちゃん、ありがとー! ホントにありがとー!」
「あははっ、どういたしまして」
シェイルは、満面の笑みで手を振った。
「……って~、ナーイ、途中になっちゃってごめんね! 何の話だった?」
「ううん……何でもないわ」
たずねるシェイルに、ナーイは「ふふっ」と笑って首を横に振る。
(だって……この二人の笑顔見たら、文句なんて言えないじゃない……)
ナーイは、胸にそっと手を当てた。
「シェイル、よく頑張ったわね」
不意に背後から掛けられる声。
シェイルは笑顔で振り返る。
「お母さん!」
照れくさそうに笑うシェイルの服や鎧、そしてむき出しの腕や足には無数の傷が見えた。
「じっとしてて……」
マチルダ優しく微笑むと、腰に下げていた水筒の口を開ける。
「『麗しき水の乙女ウンディーネ!』」
凜とした声の精霊語が響く。
その声に呼応し、水筒の口から水の塊が吹き出した。
水塊は、青く透き通った髪の長い女性へと姿を変える。
水の精霊ウンディーネだ。
「『ウンディーネよ、優しき水の力を今ここに!』」
マチルダの言葉を受け、水の乙女は手を伸ばした。
その手から青い滴が流れ落ち、優しい潤いがシェイルの体を包んでゆく。
〈
「ありがとう、お母さん!」
「いつでも癒してあげるけど……でも、くれぐれも無茶はダメよ?」
「無茶……」
遺跡内での出来事を思い出し、シェイルは思わず苦笑いを浮かべた。
そんなシェイルの背を、レオンは大きな手で優しく叩く。
「さぁ、早く行け。祭壇で長老がお待ちかねだぞ」
「今年の覚醒の儀式は、シェイルで最後なのよ」
「シェイル、しっかり!」
「うん、ありがとう! 行ってくるねっ!」
シェイルは三人に笑顔で応えると、踵を返して走り出した。
小さくなってゆく背中を、父と母はじっと見詰める。
「まだまだ子供だと思っていたのにな……」
「シェイルが冒険者として旅立つ日も、そう遠くはないかもしれないわね……」
高く青く澄み渡るリノイの空の下で、様々な想いが交差していった。
―――
「遅れちゃって、ごめんなさいっ!」
祭壇に着いたシェイルは、勢いよく頭を下げた。
たとえどんな理由があろうと、儀式に遅れたことは事実だ。
叱られる覚悟はできている。
そんなシェイルを見つめ、長老は長い白髭をなでた。
ややあって、その口が開かれる。
「話は聞いておる。シェイルよ、村を代表して、そしてルチーナの祖父として礼を言うぞ」
「い、いえ、そんな……」
シェイルは、ゆっくりと頭を上げた。
そこには、優しく微笑む長老の姿があった。
「覚醒の儀式も、残るはシェイルだけじゃ。さあ、壇上に上がるのじゃ」
「はいっ!」
シェイルの真っ直ぐな返事はライナの木々に、リノイの山々に、そして、高く澄んだ青空に吸い込まれていった。
人々が見守る中、儀式は執り行われている。
ひざまずき、瞳を閉じるシェイルの前で、杖を振り、一心不乱に古代語の呪文を唱える長老。
長老が語気を強めると、それに合わせてかがり火も揺れる。
観衆が固唾を呑んで見守る中、不意に長老の詠唱が止まった。
「シェイルよ……これより、お前の前世の魂を呼び出し降臨させる。そして、前世の魂と現世の魂を融合させれば儀式は完了じゃ」
(いよいよなのね……)
「では、行くぞ……」
再び始まる長老の詠唱に、シェイルは汗がにじむその手を強く握り締めた。
ゴクリと唾を飲む。
心臓は、興奮のあまり必要以上に強く脈打っている。
(あたしの前世は……きっと白銀の勇者アドニスだーっ!)
「シェイル……目を閉じたままニヤケてる……まぁ、何を考えてるかは、だいたい想像つくけど」
儀式を遠くから見つめていたナーイは、呆れたようにため息をついた。
「それに、降臨させても、前世が誰かなんてわからないのに……」
顔が緩みっぱなしのシェイルはそのままに、長老の呪文が響き渡る。
「『――天よ地よ! 古より我々を見守り続けるものよ! 今その記憶を紐解き、シェイルの前世の魂が現れんことを!』」
(……ん? 周りの音が……小さくなってく……)
人々の声、鳥たちのさえずり、草木のざわめきが、次第に遠く小さくなってゆく。
その感覚に不安を覚えたシェイルは、そっと瞳を開いた。
「……あ、あれ?」
しかしそこは、木漏れ日輝くライナの裏山ではなく、何も見えない闇の空間であった。
「どーなってるのーっ!?」
『落ち着くのじゃ、シェイル』
闇の中、不意に長老の声が響く。
「ちょ、長老様!? これは……?」
『ここはお前の心の中……ワシはお前の心に直接話し掛けている』
「あたしの心の中!?」
シェイルは驚く。
「あたしって、こんな真っ暗な心の子だったのか……」
そして、がっくりとうなだれた。
『……勘違いするではない』
長老は、少し困ったように言う。
『確かにお前の心の中ではあるが、ここはほんの一部分じゃ。ここは、前世の記憶と魂が眠る場所、現世との繋がりの場所なのじゃ』
「あたしの前世が眠る場所……」
シェイルは顔を上げると、ゆっくりと辺りを見回した。
「……なーんにも見えない」
『もっと意識を集中するのじゃ。目で見るだけではなく、全身で魂を感じるのじゃ』
シェイルはうなずくと、ゆっくりと息を吸い込み、目の前の空間に手を広げた。
何一つ見えない暗闇。
だが――
「風を……感じる……」
そうじゃ、それが前世の魂の息吹きなのじゃ』
息吹きはシェイルを包み込む。
それは、とても優しく懐かしい感じがした。
トクン――……
トクン――……
と、その風に乗って音が聞こえてくる。
「この音は……?」
『それが、魂の鼓動じゃ』
その温かくも力強い音は、逸るシェイルの心をそっと落ち着かせてくれた。
『前世の魂は、お前と共におる。魂を同調させ、目の前にあるものを見つめるのじゃ』
「……やってみる」
シェイルは、静かに目の前の空間を見つめた。
「こんにちは、前世のあたし……」
そっと手のひらを上に向けた。
息吹きが、鼓動が強くなる。
「大丈夫……何も怖いことはないよ……」
その瞬間、手の上に小さな光が生まれた。
光は風を巻き、鼓動と共に大きくなり――
やがて金色こんじきに輝く球体へと姿を変えた。
その輝きに威圧感や嫌悪感はなく、それはむしろ、温もりを感じさせてくれるものだった。
「あなたがどこの誰で、どれだけの時を越えて来たのかはわからないけれど……」
目の前の魂に、シェイルは優しく微笑んだ。
「おかえり、あたし――」
その瞬間、魂は一際強い輝きを放ち、シェイルの中に吸い込まれていった。
シェイルは胸に手を当ててみる。
そこには、新たな鼓動が響いていた。
「懐かしい感じ……あたしは、この温もりを、よく知っている気がする……」
淡い金色の輝きに包まれたシェイルに、長老の静かな声が響く。
『それでは、これより儀式は最終段階に入る。その魂を融合させ、儀式は終了となる』
「は、はいっ!」
『それでは、始めるぞ――』
長老がそう告げた瞬間、地を揺るがす激しい爆発音が轟いた。
それと共に、暗闇の空間が砕け散る。
「きゃわわわわわーっ!?」
不意に足元がなくなり、果てしない穴の中に落ちてゆく感覚。
「あ、あたし、落ちてばっかりいる気がする――っ!!」
シェイルは叫ぶが、その意識は次第に薄れてゆく。
「あたしは……前世の魂と出会えたんだ……これから……よろしく……ね……」
そしてシェイルは、意識を失った。
「イル……シェイル……」
「う……」
急激に聞こえて来る外界からの音。
小鳥の声、草木のざわめき、そして自分を呼ぶ友の声に、シェイルはゆっくりと瞳を開いた。
「シェイル、気が付いた!」
ナーイの顔に笑みが浮かぶ。
「ここは……」
シェイルはゆっくりと体を起こす。
その瞳に映る景色は、見慣れた裏山のそれだった。
「あたし……帰ってきたんだ……」
まだ少しボーっとする頭を、左右に振る。
「もう少し、優しく終わってくれればいいのに……あたし、また落ちたじゃん」
唇を尖らせるシェイルに、長老は言う。
「儀式が終わったわけではない……」
「そうなんだ……って、えっ!?」
驚き顔を上げると、長老は険しい表情で遠くを見つめている。
「どうしたんだろ……?」
シェイルは、首をひねりながら振り返った。
そして、次の瞬間、言葉を失う。
その瞳に映るもの、それは、激しく燃えるライナの村の姿だったのだ。
「なに……あれ……」
かろうじて、かすれた声が出た。
一同が見つめる前で次々と爆発が起こり、それと共に火柱が立ち上る。
「村が……燃えてく……」
ナーイは、シェイルの袖をキュッと掴んだ。
「長老様ーっ!!」
そのとき、一人の村人が裏山の道を駆け上がってきた。
「はぁっ、はあっ……む、村が……村が、ダークエルフに襲われました――!!」
「ダークエルフじゃと!? ダークエルフが、何故に村を!?」
全力疾走してきたのであろう彼は、息も絶え絶えになりながらも首を横に振った。
「わかりません……ただ、赤い髪の娘を出せと叫んでいます」
「あ、あたしーっ!?」
その場にいる者たちの視線が、一斉にシェイルに集中する。
「シェイル、あなた、何をやったの!?」
「あ、あたし、何もしてないよー!」
厳しい視線のナーイに、シェイルは両手を振って否定した。
「――とにかく、俺が村に戻る! 村に戻れば、詳しいこともわかるだろう」
腰の剣を確かめ、レオンは叫んだ。
「うむ……ならば、ワシも行かねばなるまい!」
「わ、私も行きましょう!」
長老と村長も後に続く。
その言葉に、レオンは力強くうなずいた。
次にレオンは、マチルダに視線を向ける。
「マチルダは、ここに残ってみんなを守ってくれ!」
「わかったわ……気を付けてね、あなた!」
レオンは最愛の妻に微笑むと、シェイルを見た。
「お父さん、あたしも一緒に……」
「ダークエルフは危険すぎる! お前は母さんと、ここにいるんだ!」
何か言いたげなシェイルの肩に優しく手を置くと、レオンは踵を返して走り出す。
その後に村長、そして長老が続いた。
「大丈夫かな……相手は、あのダークエルフだもんね……」
小さくなる三人の背中を見つめてつぶやくナーイに、シェイルの肩がピクッと動く。
「一般に禁じ手って言われる毒だって、平気で使うって言うし……」
「ナーイ……あのね……」
「うん?」
シェイルは、勢い良く顔を上げた。
「あたしも、村に戻るからっ!」
そう言うが早いか、シェイルは身をひるがえして走り出す。
「ちょ、ちょっとシェイル!! あなた、レオンおじさまの言葉、聞いてなかったのー!?」
ナーイの口をついて飛び出した驚きの言葉が、シェイルの背中に突き刺さる。
「聞いてたよっ!!」
「だったら何で……」
「だって……そのダークエルフは、あたしを狙って来たんでしょ? みんなを危険な目に合わせてるのに、あたしだけ安全なとこにいるなんて……そんなことできないよっ!」
シェイルは、そっと左肩に手を当てた。
そこは、先ほどレオンが触れた箇所であった。
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