第Ⅱ章 金色の魂

第十三話「金緑色と子守唄」

「きゃはははは~!」


 無邪気な声を上げて、幼い少女が花畑の中を走る。

 赤色の髪の少女と、茶色の髪の少女。

 二人の頭には、色とりどりの花の冠が乗せられていた。


「えーい!」


 赤い髪の女の子はポーンと飛び上がると、そのまま咲き乱れる花に身を預ける。


「あー、わたしもー!」


 次いで、茶髪の女の子も身を預けると、二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑いあった。




 その様子を、空から見下ろしている者がいた。


「あれは……幼い頃のあたしとナーイ?」


 宙に浮かぶシェイル。

 しかし、その姿は幼いシェイルとナーイには見えていないようだった。


「ねー、シェイル、ヒカリゴケって しってるー?」

「ヒカリゴケ~?」

「うん! くらいとこで、ピカピカって ひかるんだけど……それって、おそとの ひかりをもらって、ピカーッてしてるんだってー」

「すごーい!」

「何の話をしてるんだか……」


 宙のシェイルは、思わず苦笑いを浮かべた。


「ねぇねぇ、ナーイ!」


 今度は、シェイルが話し掛ける。


「ナーイは、『アドニスものがたり』って、よんだ~?」

「よんだ、よんだ! おもしろかったー!」


 たわいもない会話は、大好きなアドニス物語の話になった。


「ナーイは、だれが すきー?」

「わたしは、やっぱりアドニスかなぁ」

「うんうん! アドニス、かっこいいもんねー!」


 キラキラと瞳を輝かせる少女二人。


「そう言えば、あんな話をしてたっけ……」


 その微笑ましい様子に、宙を舞うシェイルはクスリと笑った。


「じゃあさ、じゃあさ~、きらいな ひとはー?」

「きらいな ひと~?」


 ナーイは首を傾げ、少しだけ考える素振りを見せる。


「……やっぱり、ジャグナスかなぁ」

「うんうん、ジャグナスわるいもんねー!」


 そう言いながら、幼いシェイルは何もない空間に握り拳を突き出した。

 おそらく、そこには仮想ジャグナスがいるに違いない。


「じゃあ、シェイルは~?」


 ナーイは体を傾け、幼シェイルを見つめた。


「シェイルの きらいなひとは、だぁれ~?」


 幼シェイルは、眉をひそめて空を見る。


「あたしは、ジャグナスもイヤだけど……ディアドラのほうが、もっとイヤだなぁ……」

「え――っ、なんで――っ?」

「だってぇ……」


 幼シェイルは唇を尖らせた。


「……ディアドラ、アドニスこまらせるんだもん」


 一瞬、ポカーンとした顔になるナーイだったが、次の瞬間、お腹を抱えて笑い始めた。


「な……なによぅ! なんで わらうのー!」

「うふふふふ、ディアドラのキモチがわからないんじゃ、シェイルも まだまだコドモよね~」


 その言葉に、幼シェイルの顔が真っ赤に染まる。


「な……なによ! ナーイだって、おないどしじゃないのさ――っ!」

「うふふふふふ……」




―――




「……ンワンワン!」


(……ん)


「ワンワンワン!」


(……子犬の声が……聞こえる)


 耳に聞こえてくる鳴き声に、シェイルはゆっくりと目を開いた。


「あれ……ここは……?」


 その目に映るのは薄暗い洞窟と広大な地底湖、そして尻尾を振るルナルナの姿だった。


「あれ……さっきまでお花畑にいたのに……」


 まだはっきりとしない頭を押さえて辺りを見回すが、しかし花畑などどこにもない。

 シェイルが今いる場所、それは地底湖の岸辺であった。


「ワンワンワン!」


 その瞬間、ルナルナが嬉しそうにシェイルの胸に飛び込んできた。

 ルナルナは千切れんばかりに尻尾を振り、シェイルの顔を舐め回す。


「ちょ……ちょっと、ルナルナ! あはは、あははは!」


 くすぐったさに、シェイルの口から笑い声が飛び出す。

 その刺激で、次第に意識がはっきりしてきた。


「あははは……って、あ――っ、思い出した! あたし、騙されてここに落とされたんだった!」


 途切れていた記憶の糸が一本に繋がる。


「ル……ルナルナ、大丈夫っ!?」

「ワンッ!」


 どうやら、ルナルナは無事のようだ。

 元気に応える姿に思わず安堵のため息が漏れた。


「あたしは……」


 立ち上がり、少し体を動かしてみる。

 右の腕と肩に強い痛み、そして体のところどころに多少痛みがあるものの、動けないほどではない。


「もーっ! 今度会ったら、タダじゃおかないんだからっ!」


 シェイルは天を睨んだ。


「それにしても……ずいぶん高い所から落とされたのね……」


 長い吹き抜けの先に、薄明かりが見える。

 ふと、落とされたときのことが頭に蘇り、シェイルは身震いをした。

 いくら下が湖でも、普通に落ちていたら大怪我は免れなかったろう。

 剣を岩壁に突き立て、一度落下を止めたことが、気絶程度で済む結果を生み出したのだ。

 シェイルは、額に浮かんだ汗を拭った。


「ところで……出口は、どこなんだろ……?」


 命が助かっても、ここから出られないのでは意味がない。

 もし、出口が落とされた穴のみだった場合、飛行の魔法が使えない者には脱出不可能だろう。

 そして、シェイルはそんな魔法は使えない。


「あたし、終わった!?」


 シェイルは、両手で頭を押さえた。






 それからしばらくして――


「あー、やっぱり出口がないー!」


 周囲を探索し終わったシェイルは、がっくりと腰を落とした。

 四方の岩壁や地面を調べてみたものの、ヒカリゴケが生えていることに気付いたくらいで、他には何も見つからなかった。 


 失意から思わず涙が浮かぶ。

 それを励ますように、ルナルナはそっと頬ををすり寄せた。


「あ……だ、大丈夫、まだ諦めてないよっ! きっと何とかするからっ!」


 シェイルは涙をぬぐうと笑顔を向けた。


 こんな子犬でさえ、必死に励ましてくれる。

 なのに、自分がここで負けるわけにはいかない。


 その想いが、今のシェイルを支えていた。


「そうだ! ルナルナに歌を歌ってあげるね」


 そう言って、シェイルは小さな友の背中をなでた。


「この歌はね……小さい頃、寝る前にお母さんがよく歌ってくれたものなの」


 シェイルは、そっと歌いだす。


「眠りなさい母の胸で 眠りなさい母の手で

 こころよき歌声に包まれて 

 むすばずや楽し夢 むすばずや楽し夢……」


 優しさと懐かしさを感じさせる歌。

 心地よいその調べに安心したのか、ルナルナは体を預けて夢の世界へと旅立っていった。

 その様子に、シェイルは小さく微笑んだ。


「でも……やっぱり困った状況よね……」


 辺りを見回しながらつぶやく。

 洞窟探索の知識がある者なら、脱出の手掛かりを見付けられたかもしれない。

 しかしながら、シェイルにその知識はない。


「目の前には大きな地底湖と、ヒカリゴケしかないし……」


 地底湖のほとりや岩壁で、金緑色きんりょくしょくに輝くヒカリゴケ。

 それはとても幻想的で、しばしの間、その色をぼんやりと眺めていた。


「綺麗だなぁ……って、あれっ!?」


 その瞬間、脳裏に幼ナーイの言葉が浮かぶ。


『ヒカリゴケは、おそとの ひかりをもらって、ピカーッてしてるんだってー』


「そういえばそうだ……ヒカリゴケは、暗闇に入ってくる僅かな光を反射して光るんだった!」


 シェイルの瞳に、光が灯る。


「もしかして、外に出られるかもっ!」






「ここね……」


 シェイルとルナルナは、とある岩壁の前にいた。

 ヒカリゴケの輝きを追って辿り着いたその岩壁には、確かに薄くヒビが入り、外の光が差し込んでいる。

 シェイルがヒビを叩くと、衝撃で少しだけ広がりを見せた。


「おっ! これ、いけるんじゃない?」


 シェイルは辺りを見回すと、自分の握り拳より一回り大きい岩を拾い上げた。


「せーの……たあーっ!!」


 気合いの声と共に、ヒビに向かって投げ付ける。


 ボゴッ!!


 っと、岩は見事にヒビを砕き、岩壁に穴を空けた。


 にわかに広がる光に、笑顔が浮かぶ――

 が、その顔はすぐに曇ることとなる。

 壁に空いた穴は思ったよりも小さく、シェイルはもちろん、ルナルナですら抜けることができなかったのだ。

 穴周りの壁は硬く、シェイルの筋力ではこれ以上穴を広げられない。


「でも、〈炎の矢ファイア・ボルト〉なら貫けそうなんだけどなぁ……」

「ク~ン?」

「うん、気絶してたこともあって、精神の力は多少回復してるんだけど……」


 シェイルは、深いため息をついた。


「ここには、火がないのよ……」

「キャーン!」


 自然界の精霊の力を借りて使う精霊魔法は、その精霊の力が働いていない場所では使えない。

 火が無ければ火の精霊の力を使うことはできず、当然〈炎の矢ファイア・ボルト〉も使うことができなかった。


 シェイルは、恨むような目で外の光を見た。


「う~、光だったら、いっぱいあるのに……」


 穴から伸びる陽の光はとても暖かく、入り込む穏やかな風の流れは体を優しく包み込む。

 その陽射しを手で受け、風を胸いっぱいに吸い込むと、全身に力がみなぎってくる気がした。


「……よしっ! 光の精霊を呼び出してみる!」


 シェイルはうなずくと、壁の穴に目を向けた。


 通常、自分の実力以上の精霊を呼び出そうとした場合、精霊界を繋ぐ扉が上手く開けず、その精霊は霧散してしまう。

 だが、まれに霧散せず実体化する精霊もいる。

 その場合、精霊は精霊使いの命令を受け付けず、暴走して襲いかかってくるのだ。


(暴走したら、今のあたしに戦う力は残ってない……)


 襲い来る精神的な重圧に、額から汗が吹き出し、息は荒くなり、胸の鼓動は早くなる。

 それを吹き飛ばすように、シェイルは頭を振った。


(でも、ゴブリンシャーマンだってできるんだ! あたしにだって……)


 瞳を閉じ、呼吸を整え、精神を集中させる。


(さっき目の前で見て、体感したんだ! 失敗したらどうしよう、じゃない!)


 シェイルは、ゆっくり瞳を開いた。


(あたしなら……できる!)


「『光り輝く小さな友達……!』」


 精霊語の詠唱が、洞窟内に響き渡った。




―――




「シェイル、遅ーい!」


 落ち着かない様子で、うろうろと歩きまわる茶髪の少女、ナーイ。


「もう、覚醒の儀式が始まっちゃうじゃない!」


 会場である村の裏山は、すっかり準備ができている。

 いつ儀式が始まってもおかしくはない。


「お姉ちゃん、大丈夫かな……」


 傍らにたたずむルチーナの顔にも、不安と心配がありありと浮かんでいる。


「あ……だ、大丈夫よ、ルチーナ!」


 ナーイは、努めて明るい声を出した。


「シェイルは約束を守るから! きっと、もうすぐルナルナと一緒に帰ってくるはずよ」

「……うん」


 ルチーナはうなずき、ナーイの手をキュッと握る。

 ナーイも、その小さな手を握り返した。


(シェイル……心配してるのよ……だから、早く元気な姿を見せてよね……)




―――




 伸ばした手の先に光が集まってゆく。

 それは螺旋を描いて、次第に大きさを増す。

 それと同時に精神に襲い来る疲労感に、シェイルは奥歯を噛み締めた。


「『光の精霊ウィル・オー・ウィスプ……あ……あたしの呼び掛けに応えて――っ!!』」


 その瞬間、目の前の光球がひときわ激しく輝き――

 そして、青白く輝く光の精霊が現れた。


「や……やった!」


 青白い輝きで辺りを包み込む、光の精霊ウィル・オー・ウィスプ。

 召喚には成功した。

 だが、暴走している可能性はまだ否定できない。


 シェイルは、ゴクリと唾を飲み込むと……


「『右へっ!』」


 精霊語で叫ぶと共に、上げていた右手を横に振った。

 その瞬間、ヒュッ! と、風を切って、ウィル・オー・ウィスプが右に動いた。


「おっ!?」


 今度は、腕を左に振ってみる。

 すると、まるで糸で結ばれているかのように、光の精霊は左へと動いてくれた。


「わあっ!」


 シェイルの顔に笑みが浮かぶ。

 光の精霊は見事シェイルの支配下にあるようだ。

 命令するたびに、風を切って宙を飛び回る。


「もしかして、あたしって天才? これでもう、“弱い”なんて言わせないんだからっ!」


 しばらくの間、光の精霊を自在に操り、堪能したシェイルは、おもむろに壁の穴を睨んだ。


「行くよっ! ルナルナ、離れててっ!」


 ルナルナが飛び退くのを確認したあと、シェイルはウィル・オー・ウィスプを頭上に待機させた。


「あなたの力、期待してるから……」


 その言葉に応えるように、光の精霊は輝きを増す。

 シェイルはうなずき、気合いの声と共に右手を振り下した。

 命を受けた光の精霊はうなりを上げて飛び、穴周りの壁に激突した。


 その瞬間、崩壊するウィル・オー・ウィスプ。

 発生する激しい衝撃波。


「うわ―っ!?」


 雷が落ちたような衝撃と音、もうもうと巻き上がる爆煙に、シェイルは目を細めた。


「ど、どうなった!?」


 煙の中、目を凝らす――


「わぁ……!」


 口から飛び出したのは、歓喜のそれだった。

 光の衝撃波は見事に岩壁を砕き、人一人が余裕で通り抜けられる穴を開けていたのだ。


 広がる緑の風景。

 爽やかな風。

 眩しい太陽。


 その全てが懐かしく、とても愛おしく思えた。


「行こう! みんなが待ってるよっ!」


 シェイルとルナルナは、外の光に向かって走り出す。


「帰ろう! あたしたちの村に!!」

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