花を喰らう君と星の海を泳ぐ姫君

「カラカラ姫を助けましょう」

 予想通りの君の提案に、僕は溜息を飲み込んだ。

 可愛げのない少年をロープで椅子ごと縛りつけ、何事かと問い詰めたら不機嫌な声で訥々と語り出した。よくある悲恋、父と息子のすれ違いの話だ。僕にとってさほど重要ではない。完結した物語に興味はなかった。それに加え、肝心の登場人物は柩の中だ。覚めることのない夢を見続けている彼女を、いったいどうしろというのだろう。

「助けるって、どうやって?」

 僕の意地悪な質問に、君は言葉を詰まらせた。

 下唇を軽く噛み、潤んだ蒼の眼に見つめられる。あの瞳には、星でも入っているのではないのかと疑ってしまいそうになる。視線を注がれると力になりたくなるのが不思議だ。彼女が魔物ではないかと思うのは、そういうところからきていた。

「……わかったよ。僕の負けだ。そんな顔をしないでくれ」

「魔物さん、ありがとうございます」

「魔物?」

 きょとんとした声が横から入ってきた。

 彼女はしまったと言わんばかりに、口を両手で覆った。少年の話から、彼の父親の願いを叶えたのは僕ではないのかと推測していたのだろう。言わないでくれたのは、彼女なりの気遣いだったのかも知れない。

「そうだよ、僕は魔物だ。夢を代償に願いを叶える魔物さ」

 何か言いたげな視線を彼女から送られたが、大きな音によって逸らされた。椅子に縛られた状態で少年が横倒しになっていたのだ。彼女の顔を見ないように被せていたバケツがはずれ、転がっている。

「お前が、あの魔物なのか……?」

 焦げた茶色の目が大きく見開かれ、声は掠れていた。濃い隈は疲労の証。ぼさぼさの乾いた髪や日に焼けた痩せた肌から、染みついた潮の匂いがした。故郷を離れても匂いは消えないらしい。

「君の父親の夢を食べたのも、きっと僕だろうね」

「俺の親父を? 本当か!」

 少年の大声に彼女の肩が跳ねた。僕の許可なく顔を視界に入れた挙げ句、怯えさせるなんて。文句の代わりに少年を細目で見下ろし、冷徹に言い放つ。

「はじめに言っておく。君の夢は食べられない」

「は?」

「君が子どもだからだ」

 期待に満ちた顔が落胆へ変化する。次に沸き起こったのは怒りだ。なぜだどうしてだと唾を飛ばして畳みかける。そのたびに少年にくっついている椅子ががたがた揺れた。ひとしきり暴れたかと思えば、今度は涙声になっている。表情が次々と変わる慌ただしい人間だ。

「どうして、子どもはだめなんだよ!」

「子どもの夢は若い。それに僕は、彼女の夢を食べる約束をしている」

 少年は彼女を捉えた。頭から爪先まで観察している。紙袋がない状態でじろじろ見られ、彼女は石のように硬直してしまった。

「姉ちゃんだって子どもじゃないか」

「君より年上だ」

 緊張で体が強ばっているのか、固く口を閉じている。微かに肩が震え、冷や汗をかいていた。彼女専用の品の良い椅子を引き、肩を押して座らせた。背中を向け、それとなく少年の視界に入らないようにする。

「なぁ、あんたが姉ちゃんの夢を食べれば、俺の夢も食べられるようになるのか」

 原因を作ったのは明らかにこいつだ。全く気づいていない明るい声に、眉間に皺を寄せた。殴りたい衝動に駆られたが、暴力的なことをしたら彼女に怯えられてしまうだろう。

「さっきも言っただろう。君は子どもだから無理だ」

「じゃあ、予約する。大人になったら食ってくれ」

 この少年には言葉が通じないのだろうか。

「だから子どもは嫌いなんだ」

 試しに嫌悪を零してみると、少年はきょとんとしていた。

「魔物さんにも嫌いなものはあるんですね」

 服の裾を控えめに引っ張られ、小声が聞こえた。

 なるほど、僕の言葉が通じているのは花喰い娘だけのようだ。


 ※ ※ ※


 花喰い娘は、紙袋の娘に戻ってしまった。

 突然、顔を直視され、動揺していた彼女を責められるはずがない。

 約束を破った罪悪感からか、膝に視線を落としてこちらを向いてくれなかった。紙袋の中から聞こえた消え入りそうな謝罪の声に、彼女の肩を軽く叩いた。

 彼女と少年は椅子に座って向かい合い、僕は二人を見守るように間の壁に背中を預けた。彼女の隣にいたかったが、これ以上甘えられませんと断られてしまった。それでも気になってしまう。引っ張られた服の裾には、まだ温もりが残っているような気がした。

 彼女は緊張をほぐすために、胸に手を当て深呼吸をする。少年は紙袋の顔に訝しげな視線を送っていた。紙袋について質問して良いのか悪いのか迷っている様子だ。数回、深呼吸を繰り返し、準備が整ったのかぴんと背筋を伸ばした。

「カラカラ姫を海に帰しましょう」

 聞き間違えかと思った。

「生き返らせることは難しくとも、故郷に帰すことはできるでしょう」

 続けざまに発せられる声に迷いはない。てっきり生き返らせる方法を捜しましょうと言い出すのかと思っていた。

 少年は納得いかない顔だ。両膝の上に置いた拳を強く握り締めている。彼女の言う通りに縄をほどいたが、身の安全のために縛りつけた方が良かったのかも知れない。

「ここまで来たのに、海に帰れと?」

「海は広いです。何もあなたの故郷だけではありません」

 言い切る彼女は、怒声に怯えていた小さな少女とは違っていた。顔の下の表情は窺えない。どういうこころで話しているのかわからなかった。

「あなたは彼女を救いたいとおっしゃいました。具体的にはどのように救いたいのでしょうか」

「それは……」

「もし生き返らせたいと思うのならば、救いを求めているのはあなた自身です」

 顔を隠した彼女に容赦はなかった。紙袋から覗く蒼色の眼が少年を見据えている。

 焦げ茶の目は一瞬揺らいだが、逸らすことなく彼女を見つめ返した。

「わたしに、あなたのような勇気はありません。立ち向かう姿勢は尊敬に値します。だからこそ、申し上げます。眠った姫君を連れて歩くのではなく、彼女が安心できる場所へお送りしたほうが良いのではないのでしょうか」

 しばらくの間、少年は黙っていた。沈黙が部屋を包む。彼女は背もたれに寄りかかることなく姿勢を正して待っていた。

「お前に」

 真剣な面持ちで、少年は口を開く。

「俺の、何がわかるっていうんだ」

「肯定はしません。……あなたは、わたしが紙袋を被る気持ちがご理解できますか」

 不意をつかれたようにぽかんと口を開けたかと思えば、目を細め、笑顔になった。何がおかしいのか僕にはさっぱりだが、彼女との意志の疎通はできたらしい。紙袋の頭が頷き、焦げ茶の目が笑っていた。話に置いていかれたみたいで、僕としてはたいへん面白くない。

「それで、どうするんだ」

 思ったよりも不機嫌な声がでてしまった。二人の視線が自然と集まる。

「カラカラ姫を海に帰すのか?」

 少年のどこかすっきりとした面持ちは、彼女も僕に見せたことがある。大切な約束をしたときの顔と似ていた。

「姉ちゃんの言う通りだ。眠っている姫君を俺のせいで引きずり回してしまったからな。俺のわがままだというのはわかっている……。でも、あいつと話がしたい。伝えなくちゃいけないことがあるんだ」

「子どもの癖に殊勝だね」

「おい、魔物。大人になったら、俺の夢を食べて彼女に会わせてくれるんだろ」

 この子どもの耳はおかしい。僕の話を聞かないどころか、約束したと思っている。

「何の話だ」

「俺の夢を食う話だ」

 とぼけて見ても無駄だった。簡単に引き下がるつもりはないらしい。紅玉の眼で睨みつけてみるが全く動じない。怯えもせずに見返す姿は愚かだ。

 溜まりに溜まりきったものを全て吐くような、大きな溜息をついた。

「死人に会いたいのか」

 少年は窓に視線を動かした。窓の外には柩がある。塔の下で騎士の子どもが守ろうとした姫君が眠っている。

「……いや、生きている彼女だ」 

「それは無理だ」

「夢を渡せば、なんでも願いを叶えてくれると聞いた」

 いったいどこから聞いてきたのだろう。ずいぶん有名になったものだ。

 壁から離れ、彼女に背を向けた状態で少年の隣に立つ。腰を屈めて囁き声を落とした。

「夢を食べられた人間は、不幸になるとも聞いたか」

 焦げ茶の目は驚きを露わにした。やはり、都合のいいところだけ伝わっていたようだ。

「それ、姉ちゃんは知っているのか」

 同じく潜められた声に、目を伏せる。

「彼女は、自分が人を不幸にする存在だと思っている」

 あのとき、紙袋の少女は確かにそう言った。

 魔物である僕に恐怖したのではない。

 顔を隠して花を食べる異質な存在に関わるなと言ったのだ。

「彼女を不幸にしていいのは、僕だけだ」

 彼女は花喰いを認めていた。治るはずがないと半ば諦めていた。花喰いをやめさせようにも、願いを叶えるための夢を見ていないと言った。

 夢を見なければ、彼女の願いは叶えられない。

 夢に詰まっている彼女のこころはわからない。

 もし、花喰いを終える物語を見ることができたのなら、探し求めていた僕のこころが現れてくれるかも知れない。

 もし、こころを得ることができたならば、もっと彼女に触れられるかも知れない。

「それでも、君は僕を求める?」

 人には、不幸になってでも叶えたい願いがあるという。

 少年にとっては他人事ではない。腰に挿した豪奢な剣には見覚えがあった。持ち主がどういう人間でいつ食べたのかはおぼろげだが、あの味は今でも記憶に残っている。

 何も収められていない空っぽの剣。重たい味は食べるのに苦労した。どこまでも真っ直ぐで辛みも甘みもない。微かに残る煌めきを全て飲み込んだ。

「……親父は、何を願ったんだ」

 きっと彼の夢も、父親と似た味がするのだろう。

「君の父親が願ったのは、幸福だ」

 ひそひそ話をやめて、彼女にも聞こえる声で告げた。踵を回して彼女に笑いかける。今度は紙袋を被っていても、どういう表情をしているのか想像がついた。

 小鳥のように首を傾げている彼女は、きょとんとした顔になっているはずだ。

「自分の幸福ではない。他人の幸福だ。夢がたくさん詰まった剣を捨てる代わりに、妻であった人間の幸せを願ったんだ」

 焦げた茶色の瞳が、大きく揺らいだ。

「守りきれる自信がなかったって言っていたね」

 この少年は愚かだ。

 だが、気づくべき事柄には気づいている。

「そして夫は願いを叶え、代償として夢を失った。夢を失ったせいかはわからないが、父親は不幸にあったようだ」

 間を置いてから、椅子に座る少年に微笑んだ。

「彼の大切な息子も、自分と同じ過ちを繰り返そうとしている不幸だ」

 ようやく、騎士の子どもに言葉が届いたらしい。

「もう一度聞くよ。それでも君は僕を求める?」

「魔物さん」

 僕の問いかけに彼女が割って入った。回答を出せずに少年は項垂れている。彼女だけではできなかったから、僕も手伝ってあげたのに。

 責めるような蒼の視線が妙に突き刺さる。

「なに?」

 そのとき、僕はどういう顔をしていたのだろう。彼女の肩が跳ね、怯えたように感じた。

「早急に答えをださなくてもよいのではないでしょうか。わたしたちは勧めましたが……」

 彼女が言わんとしていることがわからないわけではない。だけど、正直に言えば僕は少年に関心などなかった。物語は完結している。それを無理矢理進ませようと勝手に足掻いているだけだ。海の姫君は悪い魔女によって眠らされたわけではない。この世界にいられる存在ではなくなってしまった。

「君は子どもに優しいんだね」

 そして何より、彼女が少年の肩を持とうとするのが気に食わなかった。

「魔物さん……?」

「ねぇ、紙袋の娘さん。そこにいる子どもの大事な姫君は、すでに物語から退場してしまっている。子どもはないものをあるように変えようと願っているんだよ。君もわかっているだろう。死体は死体のままだ。例え生き返らせたとしても、それは同じ姫君だとは言い難い。時間は元には戻らない。進むしかないんだ。本のページをめくるようにね」

「魔物さん」

 また、僕を呼ばれた。

 彼女の視線の先には、奥歯を噛みしめ目を赤くした小さな子どもがいる。紙袋の二つの穴から覗く視線が、先程よりも鋭いものになっていた。

「……まぁ、その。僕は彼女に協力すると言ったから」

 頬を掻き、斜め上に目を滑らせる。

「だから、生き返らせる以外なら手伝ってあげてもいいかな、とか」

「魔物さん!」

「あぁ、もうわかったよ。わかったって。言い過ぎなんだろう。君の目は不思議だ。だからそう僕を」

「騎士様は姫君とお話をしたいとおっしゃいました。息を吹き返せなくても、会話だけはできませんか」

 話を途中で折られ、淡々と返された。

「可能性が全くないわけではないけれど……。ねえ、どうしたの?」

「わたしは、とても怒っています」

 抑えつけているような平坦な声は、奇妙なくらい僕の耳に響いた。

「意地悪する魔物さんなんて、嫌いです」

 彼女は席を立ち、部屋を出て行った。

 どうして怒っているのか、ちっともわからなかった。彼女の意に沿うよう、生き返らせることを諦めさせるようにしたのに。

 嫌いと言われた。

 どこかに放り投げられたような気がした。何かがころりと落っこちて、穴に沈んでいくような心地だ。こんな気分は初めてだ。

「だっせ」

 やっぱり、この子どもは一度殴っておくべきだろう。とりあえず、一発げんこつをお見舞いしておいた。

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