第21話「約束と誓い①」

 ヴァルヴァラ様は俺の背に手を回したまま、しっかり抱きついていた。

 そして、


『ケン、こうしていると温かい。昔の思い出が甦る……鮮やかに』


『…………』


『かつてお前と冒険した日々は……今は亡き愛弟子まなでしラウルと共に、私にとって大切な宝物なのだ。まるで……きらめく宝玉のようにな』


 異世界で俺と冒険した日々、そして俺と別れた後、ラウルを育てた日々……

 ……ヴァルヴァラ様にとっては、とてもとても大切な思い出……

 『煌めく宝玉のような宝物』とまで言われ、俺は胸が熱くなる。


『ヴァルヴァラ様……』


 俺に名を呼ばれたが、ヴァルヴァラ様は首を振った。

 そして身体を少しだけ離し、俺を真っすぐに見つめる。

 真剣な眼差しだ。

 

『ケン、悪いが……本名で呼ばないでくれ。あの時、一緒に冒険をしたのは、お前の幼馴染みであるひとりの少女だ』


『…………』


 俺は、すぐに言葉を返さなかった。

 何故ならば、幼馴染みといっても……

 その少女は名前だけではなく、幼馴染みという出自さえも仮初かりそめなのであるから。

 

 しかしヴァルヴァラ様は、何か思うところがあるようだ。


『ケン、頼む……お前が考えている通り、私にとっては、所詮仮初かりそめの名と出自ではあるが……その少女の名で呼び、優しく抱きしめてはくれまいか?』


 サキには、本当に申し訳ないと思うけど……

 ここまで言われれば、俺に断る事など出来ない。

 

 「切ない!」という波動も伝えて来る、ヴァルヴァラ様……

 いや、ジュリエットの純な想いに応えよう。


 目を閉じたジュリエットを、「そっ」と抱き寄せ、俺は「きゅっ」と優しく抱き締める。


『ジュリエット……』


『あ、ああ……ケン!』


 抱き締められたジュリエットが、熱い息を吐き、俺の名を呼ぶと……

 彼女が告げた『思い出』の映像が、俺の心へ流れ込んで来た。

 

 ああ!

 何だか……もう遥か昔のような気がする。

 あの異世界で、経験した様々な記憶が甦る。

 ……セピア色に染まった、懐かしいシーンが、凄い速度で通り過ぎて行く。


 ジュリエットと、初めて出会った広大な草原……

 商隊を助けた、ゴブリンとの戦い……

 父親の命を助け、可憐な幼い少女ビアンカに深く感謝され、ふたりで共有した大きな喜び……

 居酒屋ビストロで、楽しく語り、美味い酒を酌み交わした夜……

 冒険者ギルドで、一緒に受けたランク認定試験……

 そして、優し過ぎた純粋な王子ラウルとの出会い、冒険、別れ……


 ああ!

 俺だって……同じだ。

 絶対、忘れるわけがない。

 

 大事に大事に、そっと心の奥底にしまっていたもの。

 けして、ジュリエットだけの思い出じゃない。

 俺にとっても素敵な、宝物みたいな思い出なのだと。


 追憶の映像が終わり、

 ……気が付けば、俺とジュリエットは自然に唇を合わせていた。

 甘く懐かしい、全身が震えるような、絶対に忘れない、そんなキスだった。


 キスをした後も……

 ジュリエットは、俺を暫く抱きしめていた。


 そしてようやく、俺から離れると……

 照れたように、そして寂しそうに笑った。 


『ありがとう、ケン……お前と過ごした、僅かな日々から生まれた、切ない小さな想いを……今迄、大事に大事にして本当によかった』


『…………こちらこそ、ありがとう、ジュリエット』


『ああ、ケンよ、聞いて欲しい……』


『はいっ!』


『……私のこんな、ささやかな想いなど……恋に経験豊富な、男慣れした女は、所詮、思い込み、錯覚、迷妄、虚像……けして真の恋や愛ではない! そうあざけり、笑うやもしれぬ』


『…………』


『自分でも……分かっている……私はとても不器用な女だ。しかし……こんな気持ちに、男性へ真剣になったのは……生まれて初めてなのだ』


『…………』


『どんなやからに、何をどう言われようとも、これが私の恋だ。誰にも絶対に文句は言わさぬ』


『…………』


『再び礼を言おう、ありがとう、ケン』


『…………』


『お前が癒してくれたお陰で……手塩にかけて育てたラウルが死に、悲しみ立ち止まっていた私は……また、猛き戦女神いくさめがみヴァルヴァラとして歩き出せる……』


 温かい感謝の波動と共に、ヴァルヴァラ様――ジュリエットの固い決意が伝わって来る。

 だけど……

 同時に押し寄せた、彼女の悲しみの波動が、俺の心を深くえぐった。

 

 ああ、ジュリエット……

 俺は、思わず心の中で、愛しき仮初の名を呼ぶ。

 

 ……初めて知った。

 愛弟子ラウルの死が……

 こんなにも大きく、お前の心を傷つけていたなんて。

   

 一人前以上に育て上げ、人生を全うして死んだ『ふるさと勇者ラウル』。

 彼が送った生涯に、満足していたんじゃなかったのか?

 

 こんなに深く悲しみ……多くの血を流し、ふさがらなかった心の傷を……

 しっかり隠していたなんて!

 俺には、分からなかったよ。

 

 何だよ!

 あんなに平気な顔をして、「しれっ」とラウルの死を告げた癖に。

 実は、物凄いショックを受けてたんじゃないか!

 単にカッコつけて、強がっていただけじゃあないか!

 

 逞しい戦女神の、ひどく脆い部分を感じ、俺は「ほろり」となる。

 でもジュリエットは……

 ここで俺に、自分の心の内を全て見せてくれた。

 俺への愛と共に……


『ジュリエット……』


『うん! ジュリエットか……何度聞いても、素晴らしいな名前だな、いっそ改名するか』


 今の、俺には分かる。

 ジュリエットは俺との愛の交歓で、『愛弟子の死』を何とか乗り切ったと。

 まだまだ痛みはあるだろうが、やっと冗談が言えるようになった。

 ならば、俺も空気を読もう。


『はい、そうしましょう……俺、その名前に完璧、惚れましたから』


 俺も、半分本気半分冗談で返すと、ジュリエットは心底嬉しそうに笑う。

 まるで、大輪の薔薇が咲いたように。


『ははははは! ケンよ、……お前とその少女が冒険した思い出は勿論の事、今日の日もまた、私にとっては……大切な大切な良き宝物となる』


『俺もですよっ』


『うむ! 死んだラウルと共に、お前の優しい思い遣りは……私の心の中では、未来永劫、消えたりはしないだろう』


『ええ! 俺だって、一生忘れません』


『おお、ありがとう、ケン! 本当に嬉しいぞ! もうお前は私の本心の隅々を知ったから、もっともっと聞いて欲しい事がある』


 ジュリエットはそう言うと、晴れやかな、そして真剣な表情で俺を見つめたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る