2章3節 蒼空と台風
8月終わりのある日のこと。
何時ものように二匹で仲良くごろごろと、正治が居ないことを良いことに
正治の家で遊んでいたら。
急に天気が悪くなってきてしまって、風もすごいし雨もすごい。
これでは蒼空はお家に帰れそうもない。
困ったなと真っ黒になった空を見つめる蒼空。
「うーん、縁さん帰ってきたら。心配しちゃうかなぁ」
「そうね、雲が切れたらいいんだけど」
六花と二匹で窓際で嵐を見ていた。
「ただいまー、うひゃー、濡れた濡れた」
と、そこに正治が帰ってきた。
「あ、正治さん、お邪魔してます!」
ピンと白い尻尾を伸ばして、正治の足元に絡みつこうと近づく蒼空だったが。
「蒼空君、ストップ。濡れちゃうよ、俺着替えてくるから!」
どたどたと脱衣所まで駆けていった。
「まぁ、そんなに降ってるの。正治さんてば風邪引かないといいけど」
六花は慌ただしい様子の正治を目で追った。
「やれやれ、大変だったよ、車降りてから家に入るまでの間だけでああだもんな、
まさにバケツをひっくり返したようなって奴だ。
蒼空君のとこの下条さん、心配してるんじゃないかな。
俺は濡れたからもう変わらないし、蒼空君家まで送ってってあげようか?」
頭をタオルで拭きながら、困った様子でいる蒼空を見かねて正治が提案する。
「え、その、悪いですよ」
「自動車乗るの怖いかな?」
「いいえ、正治さんの運転なら大丈夫だと思いますけど……」
「ふむぅ」
ちょっと考えた様子の正治は。
「六花も一緒に蒼空君
六花は少し悩んだようなそぶりを見せたが、鈴を
「うん、飼い主さんが心配すると悪いから、
私が一緒なら安心して乗っていけるでしょうし、そうしましょ、蒼空さん」
「六花さんがそう言ってくれるなら――うん。そうするよ」
よし、決まり! と正治はちょっと喜んでから、押し入れをひっくり返して、
猫用の籠を二つ取り出して、
「まぁ、無くても君たちなら大丈夫だろうけど一応シートベルトしたいし、
入ってくれる?」
「はい」
「ええ、ありがとう正治さん」
二匹は大人しく籠に収まって、アパートの屋根から出るときは濡れないよう、
えいやっと行ってものすごい勢いで車まで駆けて行ったのだけど、
正治は扱いが上手いのか中の二匹は揺れも濡れもしなかった。
車の中に入ってからひとしきり正治が頭を拭いてから。
二匹の籠を後部座席にしっかり留めたところで。
「あ……」
と間抜けな声。
「ど、どうしたの正治さん?」
つい六花も心配になってしまう。
「……いや、俺、蒼空君のお家知らなかった」
「あ、そうだった。ごめんなさい、僕お家の説明とかしたことありませんでしたね」
「こう嵐じゃ、鼻が利かないだろうし、籠の中からじゃ風景での案内も出来ないか、
猫って視力良いんだっけ?」
「その、眼はあんまり良くないんですよ。
でも、帰巣本能っていうか、なんとなくお家の方向は解りますし、
直線でもそんなに離れてませんから。ここからでも案内は出来ると思います」
「おお、そりゃ良かった。でも後部座席を俺が向くわけにも行かないから~」
一旦締めたシートベルトを外し、蒼空の籠をひょいと持ち上げて助手席に据える。
わざわざ六花の籠と向き合う様にしていたのだがちょっと酷かなぁと思いつつも。
「六花、ごめんな」
「ううん、正治さん、大丈夫よ、私達は匂いで解るし。安全運転でお願いします」
「はは、そう言われたら仕方ないな。了解だ」
大嵐の中の二匹と一人のドライブは順調で、
ものの数分で蒼空のお家のアパートに着いてしまった。
やっぱり人間の車は速いなぁと蒼空は思う。
「ふう、何とか車も駐められたし。後は覚悟を決めて、玄関ポーチまでダッシュ!」
助手席のシートベルトを籠から外して蒼空の籠ごと脇の下に抱え込んで、
飛び出すタイミングを窺う。
「六花、ちょっとだけ待っててな。すぐ戻るから」
「うん、蒼空さん、また晴れたらウチに来てね。あ、正治さんゆっくりでもいいよ。」
妙に含みを持たせるふんわりとした言い方を六花がしたので正治は首を傾げたが、
「六花さんまたね! 正治さん、今雨の音弱くなりましたよ! 行きましょう」
と言われて慌てて飛び出た。
玄関ポーチまでわずか数メートルだったのにも関わらずびしょ濡れになる正治。
「まぁ、タオル持ってるし大丈夫。蒼空君ちょっと待ってな」
かろうじて水が滴れない位まで拭いてから、インターホンを押す。
どなたですかと確認する間もなく、玄関から飛び出てきた縁が、
慌てた様子で正治の持ってる蒼空の籠に顔を寄せた。
「わーん! 蒼空! おかえりいいいー 心配したよう。
こんにちは! 貴方、りっかちゃんの飼い主さんね! ありがとうございます!!」 鳴きそうな声かと思ったら、ぴょんぴょん大喜びしている元気な女性の急な登場に
六花さんの飼い主の正治さんは眼を丸くしていた。
まぁ無理もないよなぁと蒼空は思う。
籠の中で耳の裏が痒くなってしまう恥ずかしさだ。
「はは、蒼空ちゃんをお届けに参りました。山田と申します。いつもうちの子が
お世話になってるみたいで」
「もう、縁さん、過保護なんだか親ばかなんだか僕恥ずかしいよ。
こちらの山田正治さんがお天気が悪いから連れてきてくれたんだ、
ちゃんとお礼してよね」
よっと玄関先に籠を下ろして、正治さんがフタを開けてくれたので、
籠から出て縁の足元にすり寄る。
「よかった、心配してたんです。どろんこになって帰ってくるんじゃないなって。
わざわざ済みません、ホントにありがとうございますー。
あれ? でもどうしてお家が解ったのかしら」
足許に頬を擦りつけて喉を鳴らしながら、
「僕が案内したんだよ。猫だって道くらい解るんだから」
とちょっとだけ威張る蒼空に、縁は驚いて。
「あら、そうなの、蒼空くんやるぅ! あ、そんなこと言ってる場合じゃなかった!
山田さん、びしょ濡れじゃないですか! 風邪引いちゃいますよ!
ちょっと入ってちゃんと拭いてって下さい!」
「え、でも女性の一人暮らしなんじゃ――」
と正治はそれでも固辞しようと思ったのだったが、
「ええ、まぁそうですけど、気にしないで下さい。山田さん大丈夫そうですし!」
大丈夫そうですしという認定をされてしまうのはトホホなのでは、と僕でも思う。
足許から見上げた縁さんは、何時ものようなTシャツにスカートの部屋着で、
色気はないが防御力も無さそう……でもまぁ正治さんなら大丈夫……なんだろう。
「あ、あの、縁さんもこう言ってますし。水拭くくらいなら中に入っても」
蒼空が気を遣おうとしたが、縁が問答無用で正治の腕を引っ張って
部屋に引き入れてしまった。
「上がってってくーだーさい! 私タオル持ってきますから!」
ぱたむと後ろ手に閉まるドア。
目を合わせる蒼空と正治。
「ごめんなさい、縁さんああなると聞かない性格なんですよね」
「なるほど六花が言ってたのはこういうことか」
たたっと玄関に舞い戻る縁は大きなバスタオルを正治に手渡し、
「よっく拭いてって下さいね。玄関先じゃなんですし、ちょっと上がって下さい」
「タオルありがとうございます。そんな、この上上がり込む訳には――」
と言ったが、引きずり込まれそうだったのでそれよりはいいかと、
正治は自分から縁の家に上がった。
あらかた拭き終わってふう。と息をついたら、
「ほんとにありがとうございました。あったかいコーヒーで良いですか?」
六花の声とはまた違う女性らしい声だが、
その態度は器量よしというか面倒見が良すぎるというか。
「え、コーヒーまで!? すみません、なんか。はい、大丈夫です」
「まぁまぁ、蒼空くんの恩人ですし、さぁそこに座って下さい。すぐ淹れますね」
勢い負けしてしまったが、それでも六花をそんなに待たせるわけにもいかず。
コーヒーだけ頂いたらさっさと退散しよう。
というか変な下心が出てくる前にそうしないと俺もボロが出るぞ、と
目の前のあんまり美しい女の子の振る舞いを見て正治がつばを飲む。
足許で、解ってます、という顔でぽんと手をついてくれた蒼空が憎らしい。
すぐに部屋中にいいコーヒーの香りが漂ってきて、
外の雨の音は相変わらずだけどなんとも心地よくなってしまった。
「はい、お待たせしました。あ、お砂糖とミルクもいりますか?」
「いえ、ブラックで大丈夫です」
「すごい。私ブラックじゃ飲めないんですよね。コーヒー」
この子ちょっと天然なんじゃ……と正治は思うが蒼空を見てるとそうも思えない。
いただきますと言ってコーヒーを飲むとほっとする味ですごく美味しかった。
彼女は向かいの椅子に着いて、髪を耳に掛け、
「ほんとありがとうございました。それと……、ごめんなさい。
急に引き留めちゃったりして、外の雨丁度酷かったから、追い返す訳にもいかないかなって」
はにかんでるところを見ると根は素直で優しい子なよう。
「いいえ、こちらこそありがとうございました。タオルと、美味しい珈琲」
「美味しいなんて、そんな、インスタントですよそれ」
言われるまで気がつかなかったけれど、誰かに淹れて貰ったコーヒーだから
美味しかったのだった。でも彼女も微笑んでくれていた。
ちょっとだけ二人で歓談して、コーヒーが無くなるところで、実は外に六花を待たせてるんで、と正治が切り出すと、まぁ! ごめんなさい私と縁が言い。玄関で傘を差して、車まで送ってくれた。
車まで来ると、籠の中で寝ていたような六花が起きて窓側に顔を寄せる。
「ゴメン、待たせたな六花」
正治が言っても大欠伸をしてるだけだったが、
「六花ちゃん、ありがとうございました」
と一緒に車の脇まで来た縁がこっそりとした声でいうと。
「いえいえ、どういたしまして」
と澄まし声で返したのだった。
帰路その遣り取りが気になった正治がさっきのどういうこと? と訊いてみたが、
「ふふふ、女の子のヒミツ」
と誤魔化されてしまった。
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