隙間
秋口峻砂
隙間
昼下がり、私は遅い昼食をとる為に職場近くの小さな公園のベンチに力なく座り込んでいた。人付き合いが苦手な私はいつも誰もしたがらない仕事ばかりを押し付けられてしまう。ただそれでも曖昧に笑いながら引き受けるしかない自分が嫌いだった。
私にはそれを断る権利がない。身勝手な親が遺した借金という負の遺産は、私のような小娘が返すにはあまりにも大きく、今の会社はそれを知った上で雇ってくれている。それが私から断るという選択肢を奪った。
衣食住も限界まで切り詰めて、早朝から深夜まで必死に働いても、その借金の額はなかなか減らなかった。今日の昼食だって、昨夜閉店前のスーパーで買っておいた半額のサンドイッチと、どこで作られているのかも分からないような怪しいウーロン茶だけだ。
繰り返されるそんな日々に、私はもう疲れ果てていた。
私はどうしてこんなに苦しみながらも生きているのだろうか。勿論、親が遺した借金は返さなくてはならないと思う。でもそれって私のせいなのだろうか。
例えそれが酩酊した両親が誰かを巻き込んで事故死していたためだとしても、生きている理由がその償いだけだなんて辛すぎる。
口に含んだ安物のサンドイッチ。パサパサのパンと馬鹿みたいにカラシをきかせたマヨネーズの味にうんざりとした気持ちになった。
最近、何を食べても美味しいと思わない。世の中は入学だ入社だ花見だ恋だ愛だなんだかんだと幸せそうだ。でも私の時間はずっと止まったままだ。
食べる気が失せたサンドイッチをパックに戻し、大きな溜息を吐く。空を見上げれば、呑気に太陽が輝いている。
ふと、人の気配を感じて視線を向けると、ちょうど対面のベンチに一組のカップルが座っていた。今時の派手な格好をした二人を見て、私は小さく鼻を鳴らす。あんな格好したくたって私にはそんなお洒落をするお金なんてない。
大体、こんな格好の連中にろくな奴なんかいない。どうせ親のスネをかじって楽に生きているに違いない。
ベンチに座る二人の間には拳二つ分ほどの隙間があった。しかめっつらの男と悲しげな女の表情からして、どうやら別れ話にでもなったのだろう。
内心「いい気味だ」と嘲いながら、私はウーロン茶を口に含んだ。
目に浮かんだ涙を拭い、女は曖昧な笑顔を浮かべながら、足元に置いていた派手なボストンバッグから三段重ねのランチボックスを取り出し広げた。
どう見ても二人で食べるには多すぎる。一番下の段なんて、小さめのおにぎりが詰め込まれている。上の二段がおかずだろうから、関係を修復させたいとはいえ、私には彼女が空回りしているようにしか見えなかった。
顰めっつらの男は、広げられたランチボックスからおにぎりを一つ取ると、無言でそれを口に放り込んだ。だが塩辛いのか、そのしかめっつらを更にゆがめて顔を伏せた。
そんな男を見て、女は小さく何かを呟くと、同じようにおにぎりを一つ手に取り、それを口に含んだ。そして小さく震えながら嗚咽を上げた。
どうやら関係の修復は難しいらしい。私はそんな彼らを横目で見ながら、心の中で「ざまぁみろ」と呟く。
ふと見ると、女は嗚咽を上げながら小皿を二人の隙間に置き、そこに幾つかのおかずとおにぎりを盛り付け、小さなフォークを添えた。そしてそれをじっと見詰めながら悲しげに唇を噛み締める。男に目を向けると、彼は顔を伏せながら、膝の上に置いた両手を強く強く握り締めていた。
不意に気付く。あの男と女に空いた隙間に、本当は何が在るのか。いや、何が在ったのか。どうして二人の間に隙間があったのか、彼女が作った弁当の量があんなに多かったのか。
なぜ彼らが二人の隙間におかずとおにぎりを盛り付けた小皿を置いたのか。
私は馬鹿だ。格好がどうとか、外見で何が分かるというのか。今の私の姿を見て、「親の遺した借金で苦労している」なんて誰が理解できるのだろう。
彼らの外見が派手だからって、真剣に生きていないなんてどうして言えるだろう。私は彼らの何も、何一つも知らないというのに。
いたたまれなくなった私は、パックに戻したサンドイッチを強引に口に詰め込んだ。ききすぎたカラシが鼻からツーンと抜けて、思わずむせてしまう。
涙が零れたのはカラシのせいで、悲しいからじゃない。悔しいからじゃない。涙を拭ってウーロン茶を一気に飲み干す。
不幸自慢はもうやめよう。
私が感じている苦しみも、彼らが感じている悲しみも、いつか乗り越えられるはずだ。いや違う、乗り越えていかなければならない。
ほら、空を見てよ。今日も呑気に太陽は輝いているじゃない。その陽に向かって花壇の向日葵も上を向いているよ。私もあなた達もすぐには笑えないと思うけれど、いつかきっとまた笑えるよ。
私は偲び泣く彼らの背に、小さく「ありがとう」と言葉を投げ掛け、公園を後にした。
隙間 秋口峻砂 @dante666
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