第8話 エピロ─グ~海へ~

〈8.エピローグ~海へ~〉



 橙の灯火が街中を照らし出す。

 月の光も霞ませる熱量が、夜を埋め尽くしていた。

 数日間休むことなく続く聖フォルトゥナ祭の賑わいは、全てを掻き消すように感覚を麻痺させ、あの前夜祭の出来事も夢か現か曖昧になっていく。

 人々はただ、今に酔いしれ祭りに興じる。

 広場では老いも若いも男も女も問わず、笑い合い踊り明かしていた。

「……………」

 そんな喧騒から遠く離れた、町外れの海辺にひとりの少年は足を向けていた。

 予感、いや確信したからこそ此処に来た。

 最近になって何度も見つめてきた風景の一部に、濃紺の空と海に一つずつ浮かんだ月を眺める後ろ姿があった。

「……………」

 言葉はかけなかった。

 あの時のように、ただ隣に並んだ。

「………来てくれるって思ってた」

「……ああ。遅くなって悪かった」

 おさげの髪はほどかれ、背中に流されていた。剥き出しの腕は水に滴り、艶やかに輝く。

 少女は少し恥じらうように、首を傾げる。

「もう行かなきゃいけないんだって」

「………そうか」

「あの後………」

「大丈夫だ」

 申し訳なさそうに顔を覗き込んできた少女に、───上手く微笑むことは出来ただろうか。

 ただ、見つめたその表情もまた綻んだから、平気だったのだろう。

「あのねテオドール───」

「フィー」

 思いがけず名前を呼ばれて、少女は驚いて目を丸くした。

 人の名前を呼ぶことなどあまりないと自分でも思うのだ。だがもっと。今までなら考えられなかったことを、伝えたい。海の色に揺らめく幻想的な光景に霞んでしまわないように。しっかりと瞳を重ねて、想いを込める。

「また、会おう」

「っ」

 少女の瞳がまるで満天の星々を湛えるように潤んだ。

「うん。また、ね……!」

 にっこりと微笑んだその姿は何よりも美しく。伝った一滴は何よりも愛しく。

 他に言葉はいらなかった。

 これからもずっと、こうしてまた会えばいい。

 約束をしなくても、自然と出会えていたのだから。

 遠いあの日のように、また。


 少女は海をいく。

 水掻きのような耳に、鱗模様に反射する腕。足は魚の尾を纏って。

 ───人魚へと姿を変えたセイレーン達と共に。自らもその姿になって。



 海の色が世界を染め上げる。

 これは、セイレーンが姿を変えた一つの<うた>の記録。

 ひとりの少女とセイレーンの物語は、生きとし生けるすべての<いのち>へと繋がるはじまりの伝承となる。

 そうして物語は、海から空へと向かっていく。



セイレーン<完>

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第一楽章~セイレーン~ el ma Riu(えるまりう) @el_ma_Riu

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