「困ったもんだ」「マシュマロ」「※作中で方言を使うこと」(2016年07月21日)
矢口晃
第1話
「困ったもんだ」「マシュマロ」「※作中で方言を使うこと」
「遅いなあ」
たけしは、大好きなマシュマロを口の中へ放り込みながら、時折そうつぶやいた。
ようやく春らしく暖かくなりはじめて、道行く人の中にも、軽装の人が目立つようになった。
たけしは駅前にある三人掛けのベンチの真ん中に座り、駅構内のコンビニで買ってきたマシュマロを、ぽんぽんと口へ放り込んでいた。
「あったかいなあ」
思わず、そんなつぶやきがたけしの口を洩れる。普段、季節感にはそれほど敏感ではないと思っているたけしにも、今日の春らしさ、暖かさは、しみじみと実感されるものだった。時々吹き抜ける風には、まだ冬の名残のような冷たさが残っているものの、日向にじっと座っていると、脇からじっと汗のにじんでくるのを感じる。
「それにしても、遅いなあ」
たけしは少し苛立たしそうに、左腕に巻いた腕時計の文字盤を見た。二時十五分を指している。もう、十五分も一人で待たされている勘定だった。
袋の中のマシュマロは、すでに半分ほどなくなっていた。たけしは、マシュマロを食べるのが子供のころから好きだった。それは、たけしの幼少時代の誕生日に要因があった。
子供が三人いて、それほど裕福とは言えなかったたけしの家では、誕生日になると、両親がケーキの代わりにマシュマロを買って祝ってくれたのだった。しかも、ただ袋のままテーブルの上に出すのではない。水飴やハチミツ、チョコレートクリームやホイップクリームなどを使って、もこもこの建物のようにマシュマロを積み上げてくれるのだ。それを、食べる直前まで冷蔵庫でキンキンに冷やす。すると蜜が固まって、マシュマロ同士がケーキのようにひっつくのだ。それに年齢分のろうそくを立てて誕生日を祝ってくれた。
たけしは、市販されているケーキなんかより、このマシュマロケーキのほうが断然好きだった。赤や青や黄色や緑、色とりどりのマシュマロが、ぽこぽこと出っ張ったり引っ込んだりしながら、何となくかっこ悪く、でもとてもかわいらしく引っ付きあっている。その見た目が、何より好きだった。
そして、食べるとたまらなく甘かった。場所によって蜜の味が違うし、ところどころココアや抹茶で苦みをつけてあるから、味に変化があって全く飽きない。たけしは、自分や兄弟の誕生日が来るのを、いつもとても楽しみにしていた。
たけしは高校生になって、大好きなマシュマロをいつでも自分で買って食べることができるようになったのをよかったと思った。
それにしても、待ち合わせをしているようこは遅い。一体何をしているのだろうか。
たけしは、待ち合わせ時間に遅れながら、電話の一本もよこしてこないようこに対して、すこし苛立ちを覚え始めていた。
時計は、二時三十分を指そうとしていた。ふわふわとマシュマロのように暖かい空気に包まれているうちに、どうやらたけしは少しうとうとしていたようだった。
はっと気が付いて見上げると、目の前に黒い大きな影が立っていた。
影は、たけしにやさしく話しかけていた。
「お隣、いいかしら」
「ど、どうぞ」
たけしが慌ててベンチの左端の方へ体をどけると、影は、
「ありがとう」
と、一音一音を丁寧に発音しながらゆっくりとベンチの右端へ腰を下ろした。
「す、すみません」
たけしはベンチを一人占めしてしまっていたことを、影に詫びた。
影の正体は、一人の老年の女性だった。髪は九割がた白髪だが、顔の肌にはそれほど深い皺はなかった。服装は焦げ茶色に白の大きな花の模様の象られたアロハシャツのようなワンピースで、その上から淡いベージュのカーディガンを羽織っていた。年は取っているものの、実年齢より相当若く見えているに違いないという印象だった。
「あったかいわねえ」
おばあさんは、たけしに話しかけた。
「そうですね。今日は特に」
実際には、おばあさんはたけしの方は見ず、目の前の空気を見ながら話していたから、たけしに話しかけているとは限らなかった。しかし、たけしは、その場に自分しか話しかける相手がいないという状況を考えて、おばあさんは自分に話しかけている可能性が高いと判断した。
「あなた、このあたりの人?」
今度は、おばあさんははっきりとたけしの方を見て、そう尋ねた。
「あ、はい」
「そう」
たけしの答を聞いて少し満足したように、口元に微笑みを浮かべた。きれいな人だな。そんな印象が、たけしの脳裏をふっとかすめた。
「お待ち合わせ?」
「そうなんです」
「マシュマロ、下さる?」
と、おばあさんは右手の人差し指でたけしの持っていたマシュマロの袋を指差した。
「ど、どうぞ」
たけしは急な話の展開に振り落とされないようにこらえながら、マシュマロの袋をおばあさんの前に出した。
おばあさんは無言のまま、少女のように自分の胸の辺りで両の手をお皿のようにした。
たけしは、その手のひらに、マシュマロを四個落とした。
「なつかしい」
四個のマシュマロのうちの一個を口に入れると、おばあさんは遠くの空を見ながら、そうつぶやいた。
おいしい、ではなく、なつかしい、とおばあさんの言ったのに、たけしは少し驚いた。おばあさんが、マシュマロに対して、たけしと同じ感慨を持っていることを知ったからだ。
「来ないの?」
不意に、またおばあさんがたけしに尋ねた。たけしはマシュマロに伸ばそうとしてた手をぴたりと止めると、
「あ、は、はい」
と慌てて答えた。
「そう」
おばあさんはまたにっこりとほほ笑むと、二つ目のマシュマロを口に運んだ。
「便利になったわよねえ。私たちのころより」
おばあさんは、また遠くを眺めるような目をしながら、呟くように言った。おばあさんが何について話しているのかわからなかったたけしは、今度はすぐに相槌を入れることができなかった。
「ピンポーンって、あれね」
そういいながら、おばあさんは駅の構内の方へ視線を送った。どうやら、自動改札機のことを言っているようだった。
「昔は、駅員さんが立っていて、一枚、一枚、切符を切っていたのよ」
「それは、大変ですね」
そうとしか、たけしには言うことができなかった。
おばあさんは三つ目のマシュマロを口に入れた。そしてそれを、ゆっくりと噛みしめた。
「そう。大変。でも、大変な中に、いいこともあるの」
たけしは何も答えない代わりに、マシュマロを口に入れた。
「マシュマロもね、昔は、各家庭で、自分たちで作ったものよ」
「え、マシュマロをですか」
たけしは驚きを素直に表現した。たけしは、マシュマロと言うのは買うものだとばかり思い込んでいて、それを自分で作ると言う発想が欠落していたことに初めて気が付いた。
そういえば、あのマシュマロケーキだってそうだ。両親は、子供たちのために、マシュマロを使ってケーキを作ってくれた。しかし、そのマシュマロ自体は、どこかのスーパーで買ってきてくれたものだったはずだ。
「そうよ。作るのよ。卵白を使ってね」
おばあさんは、目を細め、口角を上げ、本当に楽しそうにほほ笑んだ。きれいだ。また、たけしの脳裏にその言葉が、今度はさっきより確信を伴って浮かび上がった。
「マシュマロって、卵から作るんですね」
「そうよ。私の子供のころは、卵だって貴重だったからね。毎朝、鶏舎を見に行って――分かる、鶏舎って?」
「鳥かご、ですか」
「そう。歩いて入れる、大きな鳥かご。昔は、どこの家でも自分の家で鶏を飼っていて、卵を産ませていたの。食べ物のない時代だったからね。卵は、とっても貴重なものだったのよ」
「はい」
たけしは、そのような時代を、実際には知らなかった。たけしの生まれた時代は、すでに鶏の卵も、マシュマロも、店に行けばいつでもたくさんあるのが当たり前の時代だった。だから、それらがないと言う時代の話をおばあさんから聞いて、たけしは、なるべく現実的に、その時代の様子を頭の中に思い描いてみた。
「卵がたくさんあった日は、当たりの日。夕方、学校から帰ると、母がマシュマロを作って待っていてくれたの。時々は、私も手伝ってね。卵の白身をかしゃかしゃ泡立てて、粉砂糖を付けてね。今みたいに、ふわふわじゃないのよ。でも、とってもおいしいの」
そういいながら、おばあさんは四個目のマシュマロを口に入れた。
「今は、何でも便利になったでしょう? マシュマロも、ピンポンも」
どうやらおばあさんは、「自動改札」という名称を、知らないようだ。しかし、そんなことにこだわる様子もなく、話を続ける。でも、たけしはおばあさんの話につきあうことが、意外なほどに、少しもいやではなかった。
「携帯電話だって、あるでしょう? 待ち合わせなんか、昔は大変だったんだから」
「まあ、そうでしょうね」
もし、携帯電話がなくなったら。その不便さは、たけしにもすぐに想像ができた。しかし、たけしがまだ話してもいないのに、おばあさんが、まるで自分がようこと待ち合わせをしていることをあたかも知っていたかのように話してきたことには、少なからず驚いた。
「待っても待っても来てくれなくて、困ったものだったわよ。それで、翌日学校で会うとね、駅の南と北の改札をお互いに間違えてて。皮肉なものよね。同じ時間に、確かに同じ場所にいて、しかも二人の距離は、ものの百メートルも離れてなかったのに、お互い、落ち合うことができない。今だったら、電話でピッピッ、でしょ? それが、昔はできなかったんだから」
ピッ、ピッ、ではないけど、とたけしは思いながら続きを聞いた。
「今はなくなっちゃったけど、昔は、駅に必ず伝言板と言うものがあってね。そうやって、同じ駅にいるはずなのに落ち合うことのできない人たちが、いつでも掲示板がいっぱいになるほど、何人も何人も、伝言を残して行ったのよ」
「へえ、どんな?」
「どこどこにいます、とか、会えないので先に行きます、とかね」
「へええ」
たけしは、たくさんの人が藁をも掴む思いで、最後の頼みとして伝言を残していく古ぼけたボードのことを想像した。そして、心の中のそのボードに、今の自分の心境をつづった。
「ようこへ。来ないから帰ろうと思ったけど、わけがあって、まだしばらくここにいます たけし」
ようこは、駅前のロータリーを通り越して、駅の向かいに植込みの日陰に隠れながら、腕に巻いた時計に目をやった。
「けえへんやないの」
苛立たしそうに「チッ」と舌打ちを一つすると、早歩きで再び駅の構内の方へ戻ってきた。
「おじさん」
ようこは、苛立ちに任せて、つっけんどんに改札口の駅員に声をかけた。
「なんですか?」
「あそこんとこに、さっき誰か立っていたの、見ませんでした?」
そう言いながら、ようこは先ほど自分が立っていた方向を指差した。駅員は、指差された方を見ながら、
「さあ。別に気にしてなかったしなあ」
とつぶやいた。
これにはさすがに「もっともだ」と思ったようこは、もう三十分も待たされていることにむしゃくしゃして、しばらくそのあたりを歩き回った。もう約束を無視して、帰ってしまおうか。そんなことを考えているらしいことは、誰の目にも明らかだった。
ようこが駅員のそばを離れると、駅の構内から、改札口に向かってたくさんの人が歩いてきた。どうやら電車が到着したようだ。ようこは、この人の波の中に、待ち合わせているたけしの姿が見つからなかったら、今日はもう帰ってしまおうと決心した。そして、改札を出てくる一人一人の顔を、じろじろと大きな瞳を動かしながら素早く確認していった。
まだ、自動改札などこの世にない時代のことである。人々は一人ずつ、みな片手に電車の乗車券を持っていて、改札を出るところで、それを素早く駅員が回収していく。その無言のやり取りは、受け取る方も差し出す方も、さながら職人のようである。特に堺からの人の出入りの多いこの大阪の駅では、乗客の出入りが激しいため駅員は乗車券の確認に行きつく暇もない。
やがて、人の波が一段落した。しかし、その人ごみの中に、たけしの姿は見つからなかった。しびれを切らしたようこは、ぷくっと頬をふくらましながら、駅窓口の近くにある、伝言板のところまで速足で行った。そしてそこに転がっていた白く、小さなチョークを人差し指と親指の間にはさみ、伝言板に目を移した。
伝言板には、すでにたくさんの人たちによる書き込みがあり、ようこの割って入る余地は残されていなかった。
ようこは、そこにあった黒板消しを左手に持つと、伝言板の左半分側の書き込みを、大胆に消し払った。
そして、そこに、チョークを力任せにぶつけるようにしながら、次のように書いた。あまりに力を入れ過ぎて、時々、黒板と爪とがこすれていやな音が立つのも気にならないような様子で。
「たけしへ。ちっともけえへんし、帰るで。ようこ」
書き終えると、右手のチョークを投げつけるように受け皿に返し、タイル張りの構内に、パンプスの裏側をかつかつ強く鳴らしながら、駅外へと立ち去って行った。焦げ茶色に白の大きな花の模様の象られたワンピースに、淡いベージュのカーディガンを羽織ったそのようこの後姿が駅の構内から見えなくなるまで、そう時間はかからなかった。
「ところで、誰を待っているの?」
おばあさんが、たけしに尋ねた。
「どうして、僕が待ち合わせをしているとわかるんですか?」
たけしは、心に浮かんだ疑問を、素直におばあさんに投げ返した。
おばあさんは、くすっと笑うと、
「わかるわよ、それくらい」
と答になったようなならないような返事をたけしに返した。
「私も、昔はそりゃよく待たされたから。待ち合わせをしているなっていうのは、すぐに感づいちゃうのよ」
「そうなんですね」
変な特技だな、とたけしは思った。
「待っても、待っても、来なくてね。けえへんやないのって、ずいぶんかりかりしたものよ、若いころはね」
突然おばあさんが大阪の言葉を使ったので、たけしは少し驚いた。
「以前、関西に住まわれていたのですね」
「ええ。若いころはね。でね、次の日にその人に会うと、ちゃんと待ってたって言うのよね。どこに? って聞くと、北口にってね。でも、私がいたのは南口」
そうか。それでさっきのくだりに結びつくんだ。たけしは話が急につながったことが面白く、にっこりと笑った。
おばあさんは、たけしの笑顔を見て自分も笑顔になりながら、続けて話した。
「若いころは私も勝気だったから。伝言板に書こうと思っても、前の人の伝言で、ボードがいっぱいなの。そんな時は、前の人のを黙って消しちゃったわ」
「乱暴ですね」
「ええ。そうよね」
二人はまるで親子のように、声を出して笑った。
「もう、どれくらい、待っているの?」
おばあさんに尋ねられて、たけしは改めて腕時計を見た。時計は二時五十分になったところだった。
「あ、気が付いたら、もう少しで一時間になります」
おばあさんは首を小さく前後に動かしながら、
「そう。まだ、待つの?」
とたけしに聞いた。
「そうですね。この後、メールしてみようと思います」
「そう」
おばあさんは、そこで少し間を開けてから、
「ところで、一つ、聞いたもいいかしら?」
と言ってたけしの手に自分の手を重ねた。
「はい」
たけしが答えると、おばあさんは、たけしの手に置いた手の平に、少し力を込めながら、
「そのお嬢さん、お名前は、なんておっしゃるの?」
とたけしの瞳を見つめるように言った。
「ようこです」
たけしが明るく答えると、おばあさんはたけしの手に自分の手を重ねたまま、また一度、遠くを見るようなまなざしをして、
「――やっぱりね」
と、つぶやくように言った。
「やっぱり?」
たけしは思わず聞き返したが、その時には、おばあさんはすでに、駅前のロータリーに並んで止まっているタクシーの方へ向かって、歩き始めていた。
まだ驚きの去らないたけしは、金縛りにでもあったかのようにベンチから立ち上がることもできず、ただ黙って、遠ざかるおばあさんの後姿を見送ることしかできなかった。
たけしとタクシーとの、ちょうど中間あたりの距離まで歩いて行ったおばあさんは、そこで突然振り返り、たけしに向かって、大きな声で、
「マシュマロ、ごちそうさま」
そう言うと、額の辺りへ右手を上げて、二、三度たけしに向けて振った。そしてそのまま、今度は振り返らずにタクシーのところまで歩いて行って、そのままタクシーに乗ってしまった。
花柄のワンピースのおばあさんを乗せたタクシーが駅のロータリーを出て行くまで、それほど時間はかからなかった。
時計の針は、ちょうど三時を指していた。
たけしは、もう一時間も、駅前の、三人掛けのベンチに座って、ようこの来るのを待っていた。
しかし、不思議なくらいに、たけしの心には、待たされているという感覚が、湧き上がってこなかった。
それよりも、もっと強くたけしの心に湧いていたのは、すでに、ようこと会ったような充実感だった。
なぜかは、たけしにも、よくわからなかった。
しかし何となく、たけしは、すごく長い時間、ようこと二人で、話をしていたような気がして、ならなかった。
「困ったもんだ」「マシュマロ」「※作中で方言を使うこと」(2016年07月21日) 矢口晃 @yaguti
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