シーン・1日目・夕食・3

「なるほどなるほど」


 『旦那様』のいうこともわかる。要するに、異世界といったところで、こちらの世界と類似点があればそこから、何らかの類推をできることがある、もちろん、それが推測の妨げになることもあるが、基本的には知識は思考の助けとなる。


 だからこそ、こんな状況においても、勉強がしたい、と。


――その心意気は立派です。


「答えてあげたいところですが……さて」


 教員免許を持っているわけでもなんでもない、わたしが人に教えるような役が務まるのかということに自分でも疑問である。しかし、『旦那様』はいう。


「そんな固く考えないでください、僕は中学校にも行っていないので、僕が疑問に思ったことについて、少しばかり話し相手になってくれれば十分です」

「ふむー」


 そんなに期待されないというのもそれはそれでさみしいものがあるが、過剰な期待よりはいいだろうか。けれど、教材もないし、『旦那様』も昼間の仕事で疲れているだろうし……。


「だめですか? ――教えてください『お姉ちゃん』」

「はい、よろこんでー!」

「本当ですか! わぁい」

 おう、脳に届く前に脊髄が返事しやがったぞ。

――でも、まぁ。

 旦那様の笑顔を見ているとそれでもいいか、と思う。



「――つまり、実用性重視ですね」

「そのほうが学習、復習、実践も短いサイクルで回せますし。僕的には、実利があったほうがやる気がでます」


 そうですねぇ、こちら的にも『旦那様』のやる気の出るスタイルを崩していく必然はない。それに、確かに、現状実利というのは急務であることに間違いない。


 学ぶということを実利に直結しようとするのが好みに合わないというのと、『旦那様』に教えるというのが個人的なロールプレイに反しているのとを屑籠に放れば、『ドキドキ授業二人きり――ただし、人口二人きり』の完成だ。


――これは、授業優先ですわ。


 まぁ、軽い確認が済んだところで初めにするべきは。


「どうせ教科書も何もないですからね。――どんなところから始めましょうか」

「えっと、じゃあ、基本的なところだと思うんですけど」


 ちょっと言いづらそうにする『旦那様』。基本的なことを質問するのにためらいがあるのはよくわかる、しかし、そういった基本をきっちりこなしておかないとあとで困るのも間違いのない事実なのだ。――あと、そういう恥じらいは無くさないのがいいと思います。

 というか、無くさないでね。


「燕麦って、なんですか」

「おおぅ」


 たしかに。私はちょっとした前職の都合で知っているものの普通の生活をしていたら麦の種類なんて、小麦、大麦ぐらいしか耳にしないだろう。薄力粉と強力粉の違いが分かっていれば十分すぎるくらいだ。――自分が知った気になっているというのは確かに問題を生む可能性があるのだと、今、結構痛感した。


「今度からわからないことは早めに共有しましょう。もう一人が知っているのに共有できないのは損失でしかないですし。わからないならそれなりに一緒に考えることができますし――わたしがわからないことはお願いしますよ」

「ぼ、僕で力になれれば」


「のんのん、そういうときは『できる範囲のことは任せてくれ』くらいにいってくれていいんですよ」


 『旦那様』はこくこくとうなずく。


「……さて、燕麦についてですが、まず、麦の一種です。これはあのボードに表示されたから知っていますね」


 何しろ、こちらにあわせてくれたのかご丁寧に漢字表記だった。『旦那様』も頷いている。


「一部地域では主食となっていますが基本的には雑穀というか、小麦より優先されない穀類として扱われます――寒いところで育つとか、税制の関係でとか、飼料用としてとかの理由で育てられることはありますし、歴史的経緯から調理法も結構あります。最近は栄養的に先進国で見直されているとかなんとか」

「栄養的にってことはほかの麦とは違う感じですか?」


「まぁ、ぶっちゃけると、たんぱくの量が多めですね。肉の代わりに食べるとかしてるんじゃないですかね。サンドイッチのお店とかパン屋でオーツって書いてあると大体これ――のはずです。日本だとおおよそ小麦より高くなっちゃいますね――これは流通量の関係とかですが、そうですね、経緯等含め小麦と燕麦の関係は、日本での米と粟稗の関係に似ているといえるかもしれません」

「――えっと、不人気?」


「まぁ、いろんな種類のものを育てるよりも一種類に集中したほうが技術発展の第一段階としては効率的ですからね。どこかのやったことが同じ種類ならすぐにフィードバックできたりとか」

「あぁ、なるほど。品種改良したり適した農機具を作った時にみんなで一斉に使えるとかそういうことですね」

「そんな感じです」


 こちらの世界での燕麦とはそんな感じだが、今必要な知識は少し違うだろう。

 今必要なのは、麦がどのあたりに繁殖するのかなどの情報だと思うのだが。


「まず、第一段階として森の中で麦が育つというのは難しいと思います。何本かというならともかく木々の合間に麦穂が沢山というのはあまり現実的ではないでしょう」

 

 黄金の麦穂が風に揺れる森の中というのもある種幻想的ではあろうけど、


「でも」


「そうですね。でも、集団で生えている場所があって今回は持ち帰ってくれたと……それが偶然ではないなら、何かそうなる必然があるのでしょう」


 さて、と手のひら上に向けてその腕を『旦那様』に向ける。考えてみてほしいという意味でやったアクションは通じたようで『旦那様』は考え始めた。


「えっと、麦っていうか、イネ科の植物って一面に生い茂るイメージがあるんです」

「ほう、なるほどそれで?」


「なにか、ゼロの状態をどうにかするような方法があるのではと」

「それは例えば、稲作のために水田にするような類ですか?」


「あー、そういえば、湖の岸辺には葦みたいなのが生えてましたね、そんな感じで」


 ふむふむ、とうなずく。次は質問だ。


「その湖の周りにイネ科が生えていたという事実について、ですが。どうして、岸辺には木ではなく草が生えていたのか……わかりますか?」

「それは……木よりも草にとって成長しやすい環境だから?」


「そうですか?」

「え……え、いや。草のほうが育つのが早いからかな」


 自分で考えるということができるとわかれば、少なからぬやる気があることがわかる、いい傾向だ。


「はい、両方正解です。程度によりますが泥っぽい土地では普通の森になるような木は育ちにくいですが、イネ科の中には湿地帯に繁殖するようなものもあります。そして、真っ平らな地面に木と草の種があれば、普通は草のほうが早く目につくレベルまで育ちますので、さきほど上げた両方が間違っていません」


 つまりは均衡。つまりは遷移。『旦那様』が言葉の上でしか知らなかったことに中身を与えていく作業。学ぶ側がやる気になってくれればこんなに楽しいことだとは。


「さて、そして。普通の土が生えているところなら先行する草が最終的には木々に負けて優占種が木になり最終的には森になりますが、その池周辺のような木が育ちにくいなどの付帯的条件があればイネ科植物が優占種になるところもある……と」


 口にしながら自分の中でも考えをまとめる。

 要するに、普通の土の上では森という相は到達地点である。それは間違いないがそこに至るまでの過程で常に最優であるわけではない。であれば、何が言えるのか。


 イネ科植物があるとすれば、それは池のような普通の森と違う到達点にいたる場所か、あるいは到達地点にまで達していない場所か、だ。


「第一候補は森の外だけど、それは今回の条件から外れている可能性がある、と考えているんだったね」

「えっと、もしも、森の外ならそれは普通の麦になっちゃうんじゃないか、と」


 つまり、第一条件の害獣であるということに反していると『旦那様』は考えたわけだ。


「――それなら目標は森の中なのに麦が生えている場所を見つけることになるね」

「そ、そうです。そうすれば、もう少し集められるんじゃないかと思うので」


 そんな状況はなかなかないだろう、しかし、先ほどまでの推測から得られた情報として相の到達点に至るまでのどこかに入り込むことはあり得ないともいえない。


「そうだね、ある程度、森になるのが止められたような場所ならあり得るかな。要するに――んー、さっきもあった湖の周り、それが第一の候補なわけだけど……そういうのもひっくるめて『旦那様』の探し方は正解だと思います」

「探し方っていうと、あ、空が見える場所?」


 はい、と頷く。


「空が見えるというのは、要するに林冠が……いえ、木の成長がなんらかの理由で途中の場所ということになりますので。そこに生えていた木に寿命が来たとか、そういうのが多いと思いますが」


「つまり、森林の相が逆戻りしちゃったエリアを探せば」

「そうですね。そういうところがねらい目だということです」


 説明をすると、『旦那様』はなるほど、と深くうなずいた。

 少しは参考になったのであればいいのだけれど。

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