ぼくのかなしいちょっとしたゆだん
無人の車両を行き大阪よりの先頭車両から二両目に移る、こちらには乗客がいた。
品のよさそうなご夫人とその旦那、ご夫人は美術館か何かのパンフレットを見ながらしきりに旦那に話しかけており、旦那もニコニコと応えている微笑ましい老夫婦。
その車両には不審物は無かった。
三両目、人はいない、ざっと見わたし網棚にも座席にも何もないことを確認する。先ほど降りた男性客でもいたのだろうか男性用の香水の匂いがする……あまり、好みではない。
四両編成なので、次が最後。
四両目に入ると、ごとん、と電車がカーブに差し掛かったのか揺れて少しのたたらを踏んだ。自然に閉まりかけていた扉がはずみで加速度を持って、ぐしゃんと、少し大きな音を立てた。
踏み込んで足裏に衝撃。思わず浅い息を吐いて、鼻から吸う吸気には匂いが混じっていた。
何とも言い難い匂い。嫌な臭いではないのだけれど、嗅ぎ慣れない匂いで――少し時間がたつと幾つかの匂いが混じっていることが分かった。
勿論、ベースにあったのは電車の匂いだが、そこにせっけんと、挽いたコーヒーが混じっている。古い木の独特のノートが混じっていて、どうしてその匂いが嗅ぎ慣れないのかがわかった。
落ち着く匂いだったのだ。落ち着いてしまう事に違和感を感じながら前を見る。
その車両には大きな荷物を持った女の人がいた。
旅行に出るところなのだろうか。
女性の年齢を見て取れる方ではないので正確にはわからないが、少なくとも年下ということはないだろう。
大人の女性らしい丸みを帯びた肉付きを薄いニット生地のベストと麻か何かのシャツで包んでいる、ふんわりとした膨らみとすぼまりのある風船の様なスカートも似合っている。
眠っていたところを起こしてしまったようで長いまつげと薄そうな瞼がゆっくりと動くのが見える。
彼女の手荷物はキャリーバックにリュックサック、そして、トートバッグの三つ。
そして、彼女の隣、少し空いた座席には非起動状態のタブレット端末があった。
この時、
もし、彼女が足音で目覚めないほど深く眠っていたら、
もし、彼女が中学生の男の子が慌てた様子を無視する程度に非人間的であれば、
もし、彼女が隣にあるタブレットに気づかないほどに寝ぼけていれば、
もし、彼女がそれを手に取って渡そうとしなければ、
もし、彼女がその時ボタンに触れなければ、
それは起こらなかった。
もし、ぼくが手渡されようとしたタブレットをつい受け取ろうとしなければ、
それは起こらなかった。
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