第0日目

わたしとぼくの0日目

 駅のホームで『伊勢物語・現代語訳』の表紙を撫でる。田舎に帰る記念としてもらったのだが、なんというか、皮肉が効きすぎていてやばい。


 むしろ、エスプリが効きすぎていて大好きだが、さすがに、胸に黒いものがよぎるのは止められない。東下りの段の最初に差し込んである京風のしおりなどはもう。


 投影しろというのか、京都で大資本のカフェに圧殺されてしまった、わたしの四年間を。


 とはいえ、わりかし、切り替えが早い方のわたしは積み上げたものを早々に切り売りしたので、収支的には軍資金を割り込むこともなかったので撤退自体は成功だったのだ。経験を積んだ今ならもっと効率のいいモデルも考えられるかとは思うけど、結局、個人経営と大資本ではルールが違う。アクションゲームとターン制バトルくらいに違う。


 わたしは後出しじゃんけんで負けるような賭博にベットするほど脳が灼けていないのだ。

 

 だからこそ、数年前には熱狂に浮かされた『夢』を早々に損切ることが出来たのだけど。


 全く、自身の冷淡さに呆れる。学生時代から『致命傷は負わなそうな立ち回り』という不名誉で名誉な表現を当てられたのもむべなるかな、わたしはある一点を除いて身を持ち崩したことがないのが自慢でありコンプレックスだ。


 新幹線をやめてゆったりと観光をしながら電車で帰ることにしたのは、単純に殆ど沿線の風景すら見たことが無いからだったが、田舎とは違って六月でも吹く風には熱がある。


 ようやく、駅に電車が来た時には額の汗は垂れ落ちんばかりになっていた。

 電車に乗る。がらがらで車両にはわたし一人。扉が閉まり、動き出して、『不審な荷物がありましたら係員まで』という定型のアナウンスが聞こえる頃にはすでに瞼も重く、まどろみに落ちていた。


――数分後の自分の運命もしらず。





 ぼくは途方に暮れていた。まぁ、仕事の途中に会社がつぶれたというようなことを聞かされれば誰でも途方に暮れると思うので、自分の感情制御が未熟だとは思いたくない。所属している『百地警備保障』は歴史こそあるものの、近年は敵を作りすぎていたので解体もやむなしかと思っていたが、さすがに、急すぎて……。


(何らかの陰謀の可能性もあるかな?)


 経営自体が黒かったのは間違いない。それは次の事実をあげれば十分だろう。

 いま、駅のホームで正体不明のアイテムの回収業務を担当しているぼくは、孤児院から集められてきた十四歳の未成年である、と。

 別に、ぼく自身には今の生活に文句はない。学習指導要領程度のことは自分で学べるし、同僚も自分と同じ孤児院出身者ばかりなのでそれを理由にした差別もない。元の孤児院よりも所有の概念がはっきりしているし、自分の努力が自分の生活レベルに跳ね返ってくるのを実感できる。


――あ、文句はないというよりも『いい生活』だと思っていたらしい。


 はぁ、とため息をつく。連絡用の携帯電話をポケットに入れるとため息を吐いた分だけ肺に空虚が染みてきたのがわかった。


 胸を掻きむしりたくなるような喪失感は、知らずに失った平穏に対するものなのだろう。


 もう一度、携帯電話を取り出してルームメートに大事なものだけは最低限持ち出してくれるように連絡をしておく、思い出の詰まった品、なんてものは無いけれど金銭に関わるものはいくらかある。


 彼は信頼できる相手だ、少なくとも、こちらの預かっている彼の貸金庫の鍵分くらいには。

 



――最後の仕事はどうしようか。


 少し、ぼうっとした頭で考える。

 百地もそうだが小規模な警備保障会社の中には今でも素破系と言われる系列がある。忍者の家系に起源を持つともいわれるが金銭で雇われ後ろ暗いことを担当する私兵という意味ではその評価は正しい。金銭評価に見合えばよく分らない断片的な命令でも受けるので一部の金持ちが利用することが多いのだが――ちなみに、警備保障という名のわりに、警備などをすることは多くない――今回の場合は都市伝説じみたものの調査だ。


――いつもなら、終了後の報告は事務所の仕事なんだけど。


 それが機能するとは限らない。今回、やり遂げる気なら直接の報告となるだろう。

 取っ払いになるのなら結構なお金にはなるだろう。


――んー。


 将来不安定ということなら、ここは一日潰してみるのもいいかなぁ、と。

 僕はそんな風に軽い気持ちで決めてしまった。

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