16「輝いているの?」

 大きな青い光が霧のどこかで発生した。

「唯さん!」

 ミハエルが我に返る。その先に唯がいることは直感的にわかっていた。

「おい兄ちゃん!」

 ユーゴに背中を向けてミハエルが光の方向に駆け出す。

 一分ほど走り、光を中心にして、霧が晴れている空間に出た。

「唯さん!」

 中心には唯がいた。

 その心臓に一人の少女が手を埋め込んでいる。ミハエルにはその少女が人形であることはわからなかった。

「ミハエル」

「ああ、里見さんも」

「ええ」

 穂波の戦闘が膠着状態が続いていた里見も、光の出現でそちらの方向に来ていた。

「あれは」

「薫が用意した人形みたいね」

「人形なんですか。あれで何をしようと言うのですか?」

「恐らく、唯ちゃんに残っている彼女の魂魄を引き剥がすつもり」

「それで」

「たぶん、彼女の継承者としての魔法を利用して、唯ちゃんの自我を奪うのでしょうね。そして『止める』」

「課長!」

 少し遅れてユーゴも課長のそばに合流した。課長のそばにはスーツ姿の女性も立っている。

「いよいよだ」

 ミハエルと里見は穂波たちと距離を取りながら、彼らと戦うことなく、同じように唯の様子を見守っていた。

 人形の腕はずぶずぶと唯の身体に侵入していく。明らかにその腕は身体を貫通しているはずの長さまで埋まっているが、それでもその腕は唯の背中から現そうとしない。

 穂波が右手に手袋を嵌め、くい、と手首を曲げる。

「手動に切り替える」

 穂波の手の動きに合わせたのか、唯の中に入り込んでいた人形の右手も上下に揺れている。

穂波は空いている左手で布を取り出し、右手に被せ、詠唱を始めた。

「ふたたびわたしたちを土と粘土から捏ねあげるものはいない

 わたしたちの塵に呪を唱えるものはいない

 だれも


 讃えられてあれ、誰でもないものよ

 あなたのためにわたしたちは

 花咲こうと思うのだ

 あなたに向かって


 一つの無であったわたしたちは

 今わたしたちは無であり

 これからも無でありつづけるだろう

 花咲きながら

 無の

 だれでもないもののばら


 たましいの明るさの花柱を持って

 空の荒涼の花糸を持って

 その花冠は赤い

 わたしたちの茨のうえで

 おお、そのうえで歌った

 真紅のことばのために」

 穂波が詠唱を終えた。

「これでいい」

 唯の胸に埋めている人形の腕が力を込めているように見えた。胸の中で握りこぶしを作っているようで、人形にもかかわらず血管が脈打っている。

「う、うううう、やめ、て」

 苦しそうな声で唯が言う。

 両目からは涙を流していた。

「お願い、美咲。美咲を、取らないで……」

 唯が両手で人形を抱きしめる。

「成功した!」

 穂波の声と同時に、人形が唯から腕を引き抜き、少し距離を取った。

「よし、丸裸だ」

 完全に美咲の魂が移ったようだ。

「美咲!」

 唯の呼びかけで、微かに人形が微笑んだように見えた。

「ああ、美咲……」

「ゆ、い……」

 人形が声を発する。

「美咲!」

 その声は、唯が十二分に慣れ親しんだ美咲のものだった。

「ごめ、んな、さい……」

 人形が口から言葉をこぼす。

「何を、言っているの美咲」

「あなたの、こと……。でも、時間が」

 人形が自身の胸を両手で掻き毟る。

「感動の対面はここまでにしてもらうよ。あと何分持つかわからない。ここからが本番だ」

 穂波が右手を引くと、人形が背中を仰け反らせる。

「うっ」

「詠唱を!」

「あ、あ、唯」

 人形が両手を前に、唯の方向に差し出した。

 美咲の声で人形が口を開く。

「何も言うにも二度は言うな

 他人が同じ考えだとわかっても同調するな

 署名をせず

 写真を残さず

 現場に居合わせず

 何も言わない

そんな奴がつかまるはずがない!

 痕跡を消すことだ!

 

 もし死ぬつもりなら

 墓が建たないよう手配しておけ

 立てば居場所が知れる

 まぎれもない字で……」

 詠唱が途中で止まる。

「どうした!?」

「うっ」

 人形が左手で顔を押さえた。

 人形の力がだらりと抜ける。かろうじて膝をついていないようだ。

「唯、逃げて……」

 人形の中にある美咲の意思が唯に語りかける。

 唯が両手で頭を抱える。

 不完全で止まった人形の魔法に抵抗をしているようだった。左右に頭を振り、青い光をまき散らす。

「拒絶反応か! そのまま抑え込め!」

 穂波が強く手元に引き寄せるが、それでも人形は動こうとしない。

 穂波は右肘を左手で支えて右手を強く握る。

「しまった、逆流する!」

 穂波が苦痛に顔を歪ませる。

「くっ」

 穂波の右手が爆ぜて、右肘から先が消し飛んだ。

「やはりこっちの身体では無理か」

 表情のない人形は関節からもげ、腕、足、胴体、そして首に分かれた。

「まあいい、次の作戦に移る」

 穂波の失われた右肘から出血はしていない。

「み、さき」

 バラバラになった人形を唯が掬い上げようとする。

「唯ちゃん、それは彼女ではないわ!」

 遠くから里見が唯に呼びかける。

「そんな、そんな」

 自分が砕いた人形の四肢を拾って抱きしめる。

「諦めて、彼女はもう死んだのよ。それはただの薫が用意した人形」

「いや、いや」

「だから、お願い、こっちに来て」

 青みを帯びた光が強くなっていくのを里見は感じ取っていた。あのときの再現のような姿に、唯の感情の振れ幅が大きくなっていくのに呼応しているのだ。

「大丈夫だから、ね、唯ちゃん」

 唯を刺激しないように、落ち着かせようとする。

「美咲……」

 そのまま人形の頭を抱えて唯が泣き始める。

「ああ、あああああああああああああ!」

 唯の叫び声で、青い光が柱となって空へと伸びていった。自らの叫びとともに、人形の頭が砕けた。

 ゆらりと力なく唯が立ち上がる。

「唯さん!」

 ミハエルが駆け寄ろうとする。

「大丈夫ですか!」

 ミハエルが唯の肩に手を置いた。

 唯が、無言で軽く右手を振るう。

「なっ」

 危険を感じてすんでのところでミハエルはそれを避けようとするが、唯の手の先が少しだけ身体に触れてしまった。

「がはっ」

 圧倒的な圧力を感じて数メートル先の壁に叩きつけられてしまった。

「なんだ、今のは」

 ゆっくりと身体を起こして口元の血を拭う。

「……どうやら始まってしまったみたいね」

 里見がミハエルに手を差し伸べなら言う。

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