第2話 服を脱がす

 目に見える世界の何もかもがぐにゃっと溶けると言うのはとても気持ち悪い感覚だった。

 思わず目を閉じる。

 ふわりと言うエレベーターが動き出した時のような感覚があった。

 そして、頭につめたい水しぶきの感覚。

 どうなってる?

 混乱しながら恐る恐る目を開いた。


 風景は一変していた。

 体育館も倉庫も見当たらない。

 目の前にあるのは滝。冷たい水しぶきは頭にかかるだけじゃなくてブレザーの学生服にも無数の小さな染みを作っている。

 滝の周囲は森。

 木々にはもれなく、つた植物が絡み付いていて陰鬱な雰囲気をかもし出している。

 地面は背の高い草に覆われていてひどく歩きにくそうだ。


「やっと、お迎えできました……」

 声が頭の中に響いた。

 音声ではなく、頭の中に響いた声であるにもかかわらず、その「声」は自分の前方から聞こえた気がして、正面を凝視する。

 その滝の中に、女の子が居た。

 水に打たれて、その女の子は弱々しく立っていた。

 そのときになって気がついたが、俺はその子の手を握っていたのだった。

「ええと……」

 何を言おうか、何を聞こうか考えていると、不意にその子のからだがぐらっと揺らぎ、僕のほうに向かって倒れてきた。

「おおっ?」

 慌てて受け止める。

 びちゃっと言う水音。

「冷たっ!」

 思わず声が出た。

 氷の塊を受け止めたかのよう。

「いけない……ご案内……しなければ……」

 女の子は何かをうわごとのようにつぶやいている。

 かなり衰弱しているようだ。

 この時になって女の子の顔がはっきり見えた。

 くっきりとした茶色の髪。髪の長さは肩までは届かない。

 整った顔立ち。目は閉じられているが可愛らしさは間違いなく伝わってくる。

 だが、顔色が青い。

 俺は可愛い女の子をその腕の中に抱きとめながら、ちっとも嬉しい気がしなかった。

 だって。

 この女の子、どう見ても死にかけている。

 喜んでいる場合じゃない。


 水場から少し離れた地面の上に女の子の体を横たえる。

 女の子は濡れた服を着たままだ。

 うすい灰色の、おとぎ話の魔法使いが着ているような服。

 とにかく、水にぬれて寒さで衰弱しているのだろう。

 とすれば、この水で濡れた服をいつまでも着せておくわけにはいかない。

 だが、この女の子の着替えはどこにあるのだろうか。

 さすがに、着替えもないのに服を脱がすわけには……。

 何となく視線が女の子の顔に向いた。

 意識はほぼ無いようだ。

 目を閉じて小さく震えている。

 呼吸を確かめようと胸を見る。

 胸の上下は小さい。呼吸も小さくなっているのか。

 ふと、胸の二つのふくらみとその頂点に目が留まる。

 ブラジャーに相当する物をつけていないのか、服越しに小さな突起が観察できた。


「って、頭を冷やせ俺ーっ!」

 俺は叫びながら滝に突っ込んだ。

 冗談ではなく、頭を冷やさないといけないと思ったのだ。

 しかし。

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

 一秒後、俺は滝から逃げ出していた。

 何だこの冷たさ!

 冷たい水に打たれるのは想像以上にきつい事だった。

 首筋や腕が一瞬で冷えて痛いぐらいだった。

 耐えられなかった。


 女の子が横たわっている場所に戻った。

 もしかしてこの女の子は長い時間今の滝に打たれていたのだろうか?

 その可能性は高いと思われた。

 だとすると、本当に生命の危機に瀕しているのだろう。


 服を脱がすことをためらっている場合ではないようだ。

 意識を取り戻した後この子が恥ずかしがるかもしれないが、謝って許してもらおう。

 心配なのは、俺が服を脱がしてる間に、誰かがやってきてその場面を見るとか、そういうケースだ。

 森の中で、意識がない女の子の服を興奮した面持ちで脱がしている男がいて、それを例えばその女の子の兄が見つけたらと考えると。

 金属バットで頭をカコーンと殴られても文句は言えないな。


 俺はあたりを見回して、誰もいないことを確認した。

 いや誤解しないでくれ、安心して破廉恥な行為をするためじゃない、服を脱がす前に誰かに助けを求められるならそうした方がいいからだ。

 ともかく誰もいない。

 服を脱がそう。


 だが、この魔法使い風の服装、どこから脱がすんだろう。

 チャックやボタンのようなものは見当たらない。

 少しの観察の末、これは何と言うか、袖と丈の長いTシャツ状と言うか、ワンピース状と言うか、そういう衣服なのだと結論を出した。

 つまり、足の方、服の裾の方からめくって脱がすしかないのだ。

 すぐにある想像が浮かんだ。

 もしこの子が、この服の下に下着を――パンツを――穿いていなかった場合、俺はこの子に金属バットで頭をカコーンと殴られても文句は言えない人間になってしまうな。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 これは命の問題なのだ。

 それに、この子がパンツを穿いていればそこまでの問題ではないし。

 俺は女の子の服の裾を大きくめくりあげた。


 こうして俺は、この女の子に金属バットで頭をカコーンと殴られても文句は言えない人間になってしまった。

 

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