あの苦しみを活かす第14話


「ぐおっ……!」

「いでぇ!?」


 ゲオルが振るった鉄パイプを、ロマンはコクトウの刃で受け止める。


 マジで馬鹿げてる。と言うのがロマンが最初に抱いた感想。


 どう考えても、ゲオルの腕力は人間のそれでは無い。

 ゴウトの一撃より、遥かに重い。ゴウトとの修行で得た『反射的かつ効率的な防御行動』のおかげで、どうにか捌き切れてはいる。

 それでも、その一撃ごとにロマンの全身は嫌という程悲鳴をあげていた。


「痛ぇなクソガキ! 避けろよ! 俺っちは盾じゃねぇぞ!」

「うっせぇ! 無茶言うな!」


 コクトウの能力『イビルブースト』。その恩恵で、ロマンはゲオルの動きをギリギリ目で追えている。

 だがその程度。そんな状態で奴の一撃を躱すなど、不可能だ。


「随分と辛そうだな」

「当然だろこの野郎……!」


 コクトウを振るい、鉄パイプごとゲオルを弾き飛ばす。


「それなりに筋力はある……が!」


 しかしロマンが攻勢に転じる間も無く、ゲオルが走る。

 一瞬で距離を詰め、ロマンの目の前へ。


 そして、また鉄パイプが襲いかかってくる。

 ロマンはそれをどうにかコクトウで受け止めた。


「いっだぁ!? おぉぉぉいクソガキィ!」

「すまんが我慢してくれ……!」

「必死だな」

「そりゃあ、目の前で赤ん坊が殺されそうなんだからな……!」


 一人の人間として、必死にもなるだろう。


「大体よ……いくらあいつが魔王の息子だからって、あんなチビを鉄パイプで殴り殺そうなんて……魔王を倒したヒーローの所業とは思えねぇぞ、この筋肉中年!」

「……ヒーロー、か」


 ふん、とゲオルは目を細めた。


「くだらない」

「!」


 鉄パイプに、さらに重みが加わる。


(こいつ、今までのでも充分手加減してたのか……!?)


 それはつまり「手加減をしていたゲオルを相手に、ロマンは圧倒的な差を感じていた」と言う事になる。


「……もうやめておけ。貴様では俺には勝てないと、わかっただろう」

「う、るせぇ……!」

「大人しく魔王の息子を差し出せ」


 そうすれば、ロマンは見逃してくれる、とでも言うのか。


 その意思を証明する様に、鉄パイプを引き、ゲオルが後退する。真っ直ぐ、無言でロマンを見据えるその目は「さぁ、選べ」と言っている。


「…………」


 ロマンは、呆気に取られていた。

 そうだ、考えてみれば、そうなのだ。


 ゲオルの目的は、サーガを始末する事。

 ゲオルは、何もロマンを殺す必要など、無いのだ。


 シングが襲われたのはサーガを守ろうとしたから。

 ロマンが攻撃を受けたのも、シングと同じく抵抗すると思われたからだろう。


 さっさとこの二人を片付けてサーガを始末しよう、ゲオルはそう考えていたのだ。


 しかし、今ロマンはゲオルの予想を越える粘りを見せている。


 これなら、叩き潰すより、退かせた方が早い。

 ゲオルはそう判断したらしい。


 良い判断だと、感服せざる負えない。

 今、ゲオルはロマンに対して完全なる力の差を見せつけている。

 攻撃に転じる事さえ許さないという、まともな『戦闘』が成立しない実力差を。


 その上で、退けば見逃すと言うのだ。

 大抵の者が、心の中で天秤など使わなくとも判断を下せるだろう。


「どうした。さっさと決めろ」


 お前は賢いか? それとも馬鹿か?

 そういう値踏みする様に、ゲオルがロマンを眺める。


「っ……」


 普通に考えれば、答えは一つだ。


 だが、ロマン自問する。

 本当に良いのか? それで。

 目の前で赤ん坊が殺されそうなんだぞ。


 それも見ず知らずの、ではない。

 たった数週間だが、寝食を共にした赤ん坊だ。

 勘弁してくれと思いつつも、面倒を見てきた赤ん坊だ。

 何だかんだ、悪くない日々に貢献してくれた赤ん坊だ。


「何を逡巡している。貴様に取って、その魔王の息子は『生命に代えてまでも』護る価値があるのか?」


 ロマンの精神を追い打つ様な、意地の悪い質問。


 生命を捨ててまで、護る価値があるモノ。


 ロマンに取って、そんなモノは存在しないはずだ。

 だって、ロマンは聖人君子じゃない。異世界に来ようが、馬鹿みたいに鍛えようが、結局は一人の高校生。


 彼の一番大事な物は、己の生命だ。己の人生だ。


 何もかも、生命あってこそだ。


 それに、自分が死ねば次はサーガ。無駄死になるだけでは無いか。

 自分が生命を捨てれば必ずサーガが助かる、とかならまだ賭け様もあるが、そうではないのだ。


 戦って全員死ぬか、退いて自分だけ助かるか。


 今の所、ロマンにはその二択しか無いのだ。


「……クソ……!」


 ……退ける訳が無い。


 正義感、とか、そんな綺麗な理由じゃない。


 割り切れない。

 納得できない。


 今まで、平和に生きてきたから。自分と誰かの生命を天秤にかける、そう言う行為そのものが、納得できない。


 特にその『誰か』が、短くとも一緒に暮らしてきた赤ん坊だとすれば、尚更だ。


「…………ッ……」


 ロマンがサーガに向けている感情は、可愛い可愛いというミーハー的な愛情なのかも知れない。しかし、それの何が悪いと言うのか。


 可愛いモノを、自分が好きだと思う存在モノを守りたい。

 それは『自分が一番』と並ぶ、人類共通の本能だろう。

 その愛が重かろうが軽かろうが、守りたいという気持ちに嘘偽りは無い。


「……俺は……!」


 割り切れない、納得の行かない理不尽な死が、年端も行かない赤子の頭上に振りかざされている。

 守りたい、守るべき存在が、完全な不条理によって蹂躙されようとしている。


 見過ごせるはずが無い。


 人間として、当然、死ぬのは御免だ。

 だが、人間である事を踏まえた上で、男として退けない。


 道理が通らない。そう確信できる行為を許容するなんて、ロマンが一六年間貫いて来た矜持に反する。


 つまり、男らしくない。


 男らしく、カッコ良く、どこまでも真っ直ぐ突き進む。

 それが、浪男ロマンと言う素晴らしい名を与えられた、己の使命。


 ……そうは言っても、現実問題どうしたモノか。


 相手は世界最強の男。

 軽く数撃の応酬をしただけでも理解できる。ゲオルの戦闘能力は規格外だ。文字通り、計り知れない。


 ロマン如きでは、退けるなどまず絶対に不可能。生身で外宇宙に行く方がまだ容易だろうと思えてしまう話だ。

 逃げる…と言う選択肢すら、まるで小学生が笑顔で語る夢物語。欠片も現実的では無い。


 それでも、ロマンは必死に考える。


 大虎と遭遇してしまった時だって、必死に足掻いてどうにか逃げ切ったでは無いか。

 また、その奇跡を起こせば良い……いや、起こさなくてはならない。


(どうすれば……!)


 どうにかして、全員助ける。

 そんな都合の良い三択目を求めて、暗闇を這う様な思考を続ける。


「……おいクソガキ、俺っち的な意見を言わせてもらうんなら、テメェだけでもさっさと逃げた方がイイぜ」

「コクトウ……!」

「お前があのクソジジィに勝ってんのは魔力量くらいだ。他は全部ダメ。足元にも及ばない。アホな事は考えねぇ方が身のためだ。時間も無ぇしな」


 時間、というと、活動限界のリミットの事だろう。

 確かに、もうイビルブースト発動から三分は過ぎている。残り七分で、何ができると言うのだ。


 魔力量だけ勝っていても、魔法が使えないんじゃ、何も出来…


「……ん?」


 ここでロマンの脳裏を過ぎったのは、魔法を習得するために励んだ修行の記憶。その中でも、初期の頃に行っていた事。


「……なぁ、コクトウ。俺の魔力量、今ある分だけでもあのおっさんより多いんだな?」

「ああ、軽く二〇倍はな。それがどうしたよ?」


 ゲオルは、おそらく魔法を使うタイプでは無いのだろう。人外染みた身体能力にモノを言わせる、圧倒的な戦士タイプ。

 故に魔力量は常人レベルか、それに近いのだろう。


「は、ははは……」

「あぁ? おい。何笑ってんだクソガキ」


 笑いたくもなる。


 それは無い……そう決め付けて、最初から除外していた選択肢が、最も現実的な手段になったのだから。


「おいコクトウ、お前の能力、今が限界出力か?」

「あん? 何の話だ?」

「……もっと疾く動ける様になれないか? って聞いてんだ」

「!」


 そうだ。疾く動けるだけでいい。

 一撃……いや、一度だけ、触れられさえすれば……絶対に『勝てる』。

 世界最強の男を、『退ける』事が出来るかも知れないのだ。

 いくら魔王を討った男とは言え、アレに耐えられはしないだろう。


 ロマンの瞳が、一筋の『勝機』を捉える。


「やる気かよ」

「……お前次第だ」

「……出来るぜ。今の数十倍は疾く動ける様にしてやる。ただし二秒だけだ。その後動けなくなるぞ」


 動けなくなる……余りの運動エネルギー量に、足の肉でも弾け飛ぶか。


 ……まぁ、良いだろう。

 ロマンは即座にそう判断を下した。


 足の一・二本で、サーガやシングの生命と自分が貫いて来た生き方、全て守れるなら安い買い物だ。それに魔法さえマスターすれば浮遊魔法の応用で空だって飛べるらしい。痛いのは、正直もう慣れた。

 窮地で冷静な思考を出来ているかどうかは怪しいが……現状を総合的に考えた結果、ロマンは足を対価とする事に迷いは無い。


「……よし」

「だう?」

「見てろサーガ。少し、カッコイイ所を見せてやるよ」

「う……? だぶ!」

「よくわかんねぇけど、期待してるぜ! …か」


 ああ期待してろこの野郎。とロマンは不敵に笑ってみせた。


「……その目……どうやら、退く気は無いようだな」

「おう」


 ロマンの表情から戦意を悟り、ゲオルは大きく溜息を吐く。


「若さ故の思考停止か? だったら褒められた物では無いな」

「違うっつーの……『一泡吹かせて』やるよ、この野郎」

「……勝機があんだな、クソガキ」

「ああ」


 ハッタリでは無い。短くとも絶対的な芯のある、自信に満ち満ちた肯定の声。


 絶対に、アレには耐えられない。ロマンは絶対の自信を以て保証する。

 せいぜい失禁しない様に気をつけろ。そう言う意思を込めて、笑い続ける。


「絶対にあの野郎をブッ倒して、サーガもシングも連れて帰る!」

「……ほう。やってみろ」


 そう言って、ロマンに向かって来たゲオルは、どこか嬉しそうだった。


(何だ……? あいつは何を喜んでんだ?)


 気になる所だが、そんな事を考えている場合では無い。


「やえー!」


 サーガの声援を背に、ロマンはコクトウの柄を強く握り締める。


 瞬間。

 ロマンを包む世界が、減速した。

 目に映る草木の揺れも、耳に届く僅かな雑音も、全てが鈍くなる。


 否。

 ロマンの方が加速したのだ。

 この世界の一秒を、数十秒単位で感じているのだ。


 頬に当たるそよ風が、重い水流の様な感触に感じる。

 ゲオルの瞬足も、少し素早い程度にしか感じない。


 始まった。二秒しかもたない、コクトウ全力の『イビルブースト』。


 意を決し、ロマンが走る。


 ゲオルの表情が、驚愕のそれへ変わっていく。


 それもそうだ。

 目の前の敵が突然、さっきまでの数十倍の速度で動き始めたのだから、驚きもするだろう。


 しかし、流石と言った所か。ゲオルの反応は早い。


 常人の域を遥かに逸脱した速度で動くロマンへ向け、的確に鉄パイプを振り下ろした。


「うぉらぁああああっ!」


 ロマンは全力でコクトウを振るい、鉄パイプを左へと打ち払う。そして瞬時に右手をコクトウの柄から離し、ある場所へと手を伸ばした。


 そこは、ゲオルの顔。

 その整った顔立ちの面を、思いっきり掴む。


 何をする、きっとゲオルはそう思い、顔をしかめているのだろう。


 教えてやろう。『魔力上限値の拡張』と言う行為が、どれだけ刺激的かを。


「泡吹いて倒れろ、クソッタレ」


 ロマンは、まだ魔法なんぞロクに使えない。

 だが、初期の頃からできていた事がある。


 魔力の放出だ。そして、ロマンはつい最近、「魔力を魔法へ注ぎ込む」という訓練をひたすらに繰り返してきた。


 魔力を放出し、何かに流し込む。それだけの作業なら、充分こなせるのだ。


 加減はしない。


 自分の中にあるありったけの魔力を、全部ゲオルにブチ込んでやる。


 魔力上限値の拡張に伴う痛みは、凄まじい。


 血管の中を血の代わりにノコギリの刃が流れていく様な、悪夢的な意味での夢心地だ。


(……いや、そんな表現じゃ甘いか)


 アレは、そんな生易しいものじゃない。

 体内から全身の毛穴という毛穴を強制的に広げられ、その毛穴全てに泡立て器を突っ込まれて肉という肉をミンチにされている様な、もうとにかく筆舌に尽くしがたい、ドMですら遠慮するであろうレベルの苦痛地獄だ。


 初めてコレを食らった時、ロマンは白目を向いて失禁しながらビクンビクンと全身痙攣を起こして気絶した。


(テメェも、味わえ……!)

「何を…………っっっ!!?」



 大地を穿つ様な獣の咆哮……いや、世界最強の男の『悲鳴』が、夕暮れ時の森の中に響き渡った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る