剣術を学び始めた第10話


 ロマンの一日の基本スケジュール。


 〇五時、起床。目覚まし運動がてら、牧舎の掃除や家畜達の餌箱に餌補充等、ゴウトの手伝い。

 〇七時、朝食。朝の情報番組で最新の知識を得る。その後は少々の自由時間。主にゼオラに愚痴を聞かせて過ごす。

 〇八時、セレナとトレーニング開始。ひたすら肉体を酷使する。

 一二時、昼食休憩。その後セレナとトレーニング第二部開幕。この中に家畜の運動の手伝いや糞の片付け等も含まれる。

 一四時、セレナとトレーニング終了。すかさずシルビアに拉致られる。最近は無くなったが、この後一九時頃まで意識がタイムスリップする事がある。

 一七時(タイムスリップが起きなかった場合)、自由時間。主にゼオラのブラッシングしながら愚痴。たまに姉妹のどちらかと町に買い出し。

 一九時、夕食・風呂など。その後自由時間。

 二一時、就寝。寝ないと流石に体が持たない。


 と、大体こんな感じだが、本日より、これに結構な追加要素が加わる。

 それは、サーガの世話。


「何で俺が……」


 サーガのオムツを替えながら、ロマンは人生に疲れた中年サラリーマン並の深い溜息をこぼす。


「ちょっと、もっと誠意を込めてやりなさいよ」

「…………」


 何が悲しくて、齢一六にして赤ん坊のオムツを引っペがし、ウェットティッシュでそのケツを拭き、新たなオムツを装着するという作業に誠心誠意取り組まなければならないのか。

 確かに、サーガは可愛い。非常に可愛い。ひたすら可愛い。

 でも、その排泄物は臭い。むっちゃ臭い。ただすらに臭い。


 ゴウト曰く「慣れりゃどうって事ない」そうだが、ロマンはまだサーガのお世話歴二日目のペーペーである。


「……つぅかお前がやれよ、お世話役だろ?」

「そうしたいのは山々だけど、サーガ様のご意向だもの。だからこうして見守ってるの」


 またそれか……、とロマンは辟易とした表情を浮かべる。


 何故、世話役であるシングが復活したのにサーガの世話全般をロマンが行うのか。

 いつだって答えはこれ、「サーガの意向」。


 サーガは何かある度に、例の「だぼん」と言う魔法の言葉でロマンを指名する。


「なーんでお前は俺に何でもやらすかね……」

「だぼん、うい!」

「あんたがお気に入りだから、と仰られているわ」

「………………なら仕方無いな、この野郎」


 こんな可愛い奴にそんな事を言われたら、仕方無いとしか言えない。

 もう大人を篭絡する術を熟知しているとは末恐ろしい赤ん坊だ、とロマンはちょっと嬉しそうな表情で戦慄する。


(……しっかし、何でこんなに気に入られてんだ?」


 もしかして、自分は魔王ちちおやにどこかしら似ていたりするのだろうか。

 そんな事を考えた時、ロマンはふと昨晩の事を思い出す。


「……魔王と言えば……」

「ん? 魔王様がどうしたの?」


 昨晩ゴウトと話した件、確認しておこう。


「なぁ、シング。一つ聞きたい事があんだけど……」

「何よ、急に改まって」

「サーガの事なんだけど……魔王の息子で間違いないんだよな?」

「はぁ!? 何言ってんの!? 当たり前でしょ!? この高貴さを見てわからないの!? どう見ても魔王様のご子息でしょ!?」

「ぶぃー」


 ……ロマンには、ふてぶてしくも可愛い赤ん坊にしか見えないが。

 特筆点は角と尻尾が生えてる程度だが、この世界では珍しいモノでも無い様だし、ロマンも慣れた。


「いや、実は昨日の夜さ、ゴウトさんと話してたんだけど……サーガの事、全く世間に知られてないみたいなんだよ」

「!」

「魔王の息子が逃げ延びてるのに、指名手配も注意喚起も無いなんて、有り得るのか、って話になって……」

「成程ね……それに関しては……」


 シングが少し溜めて、


「私にもサッパリだわ」

「うぃ」

「サーガ様も全く見当も付かないと仰られてい……あ」

「ん? どうした?」

「……その件と関係してるかはわからないけど、サーガ様の身柄の事に関して一つ、妙な事があったわ」

「妙な事?」

「魔王様を殺した男…ゲオルとか言ったっけ? あいつ、『興味が無い』とか言って、アタシにサーガ様を連れてさっさと逃げる様、指示したのよ」

「はぁ?」


 ゲオル、と言えば、この前テレビに出ていた魔王城を落とした冒険者チームのリーダーだ。

 魔王を討ったのもゲオル本人と言う話だが……その男が、魔王の息子を見逃したと言うのか。


「一体、何の目的で?」

「アタシだって知らないわよ。でも、あいつがわざわざサーガ様を見逃したのは事実よ」


 魔王を討った男が、魔王の息子を敢えて見逃した。

 だとしたら、ゴウトの推測通り、ゲオルがサーガの存在を隠蔽しているとでも言うのだろうか。


 ……何故?


 ロマンには全く見当も付かない。


「考えて答えの出る話でもなくない?」

「まぁ、それは確かに……」

「じゃあ、次はおやつよ。サーガ様のために誠心誠意リンゴを磨りなさい」

「急激に話変わったな……つぅか、それくらいはお前がやってくれよ」

「サーガ様はあんたが磨ったリンゴを望んでるの」

「だぼん!」

「誰が磨ろうと味は変わんねぇよ……」


 面倒だが、まぁそこまで望まれると仕方無いかなとか思っちゃうロマン一六歳。

 と言う訳で、大人しくリンゴを磨るべくキッチンへ向かう。


「おいロマン……って、取り込み中か」


 そこに、ゴウトがやって来た。


「何か手伝いっすか? リンゴ磨るだけなんですぐ終わりますよ」

「いや、そうではないんだが…お前もそろそろ基礎トレーニングは充分だろうと思わないか?」

「? ええ、まぁ……」


 ロマン的に、もう体力と肉体の頑丈さは充分なレベルに達しているとは思う。

 むしろ有り余ってる気がしないでもない。


「そろそろ、俺が剣術でも指南してやろうかと思ってな」

「! マジすか!? 是非! 是非お願いします!」

「それが終わってからな」

「うす!」





 ロマンの全身の骨が、軋む。視界が、ひっくり返る。


 何故か。

 簡単だ。


 ゴウトの振るった木刀の一撃を、ロマンも自身の木刀で受け止めた…は良いが、そのまんま力任せに吹っ飛ばされたのだ。

 快晴の青空に、ロマンの体が舞う。


「うどぅっふッ!?」


 頭から草原に落下し、ロマンは珍妙な悲鳴を漏らした。


「おいおい、本当に軽いなぁ! もっと腰に魂入れろ!」

「いっつぅ……!」


 ゴウトの剣術指南。それは、まさかの全力スパルタモードで幕を開けた。


 木刀一本渡されて、「まずは俺の一閃を受け切ってみせろ」。それだけ。


 ゴウトは、アレだ。普段は気の良いおっさんだが、本気スイッチが入るとすごい厳しい系の人だ。

 しかも、馬鹿みたいに強い。


 セレナとの特訓を越え、ロマンは筋力には結構な自信があった。実際、その自信を裏切らない膂力が彼の肉体には内包されている。が、ゴウトはそんなロマンをコンビニのビニール袋か何かの様に気軽に吹っ飛ばす。

 それも、何度も何度も。笑いながら。「もっと向かって来い」、そう挑発する様に。


 そしてロマンが吹っ飛ばされる度、見学しているセレナ・シング・サーガは「ダメダメですね」「なってないわね」「あべし、ひでぶっ!」と好き勝手にコメント。


「つぅか、何かもっと相手の攻撃をいなすコツ的なモノとか教えてくれよ! 何これイジメ!?」

「おいおいロマン、冒険中は常に想定外の事態だらけだ。誰もその都度コツなんぞ教えてはくれないぞ」


 コツなんてモンは自力で発見してみせろ、と言いたいらしい。


「大体な、技術コツなんぞ二の次だ。まずお前に足りないのは、気合と根性。もっと必死になれよ、ゆとり世代ッ!」

「っ……こっちの世界にもゆとりとかあんのかよ……!」


 ちなみにロマンは脱ゆとり世代である。


「あー……もぉぉ上等だ……やったらぁ!」


 気合と根性にも、そこそこ自信がある。ロマンは一気に飛び起き、木刀を構えた。


 が、


「あどべッ!?」


 リピート再生でもしているのか。

 そう思える程、見事なデジャヴ飛翔を披露する事になった。


「気合が足りんぞロマン! そんなんだから、未だに初級魔法一つ使えないダメダメ状態なんだ! この総合ド三流がっ!」

「く、くそう! 精神責めまですんのかよ!」

「悔しかったら一撃でもいいから耐えて見せろ!」

「う、…上等だこの野郎!」


 そして、ロマンはまたまた宙を舞う。


「ごぶらッ!?」

「おいおい…今のお前の筋力なら、力づくでも充分堪えられるはずだろうが! ビビッてんじゃあないぞ!」

「む、無茶苦茶だ……」

「無茶じゃない!」


 いや、無茶だろう。とロマンは心底思う。

 人一人を空高く吹っ飛ばすようなアホみたいな一撃を、力づくで抑えるなんて、絶対に無理だ。


 いくらここ数日の修行と言う名の拷問でロマンの筋量がすごい事になってると言っても、そこまですごくない。

 ロマン自身、それを自覚している。あくまで自分の力は、常識の範疇の領域モノでしか無い、と。


「御託は捨てろ! さぁ、行くぞ!」

「ぬぐ…あぁぁ! もう! 何だこれ!? 俺に死ねってか!?」

「死にたくないなら受け切れ! ぬぅぅぅぅうぅぅぅぅんッッ!」

「どぅっはぁッ!?」


 結局この日、ロマンはゴウトの現実離れした一閃を、一撃たりとも耐えきる事は出来なかった。





「……死ぬかも知れん……」


 ソファーの上で死体の如く転がり、ロマンは実に的確な現状報告をする。

 しかし、セレナは「はいはい」とそれを適当にいなし、読書を続ける。


 全身が痛い。

 そりゃあ、あんだけ舞って落ちるを繰り返せば全身打撲にもなるだろう。


「だぼん」


 そんな現状におかまいなしに、サーガはロマンに抱っこを要求。


「……お前は本当に……」


 まぁ求められれば応じるが、キツい。本当にキツい。


「すっかり抱っこしている姿が板についてきましたね」

「そうだね」

「ええ。悪く無いわ。サーガ様も満足気だし」

「……勘弁してくれ」


 しつこい様だが、ロマンはまだ一六歳。

 赤ん坊は大好きだが、「赤ん坊を抱いているのが似合う」と言うコメントを褒め言葉として処理するのは微妙な年頃だ。


「んち」

「……お前はクソするにしてもタイミング考えろよ……」


 夕飯もうすぐ、しかも匂いから察するにカレーだ。


「んち!」

「もう我慢できない、って」

「へいへい……」


 痛む体に鞭打ち、ロマンはオムツ替えの準備を始める。


「しかし、魔法は未だ微塵も使えない、剣術は散々…自慢できるのは体力と打たれ強さだけ……こんなんじゃ冒険に出れるのは何年先になるんですかね」

「う、うるせぇ……」


 セレナは相変わらず容赦が無い。


「何? あんた、冒険に出る予定なの?」

「ん? ああ。そういや話してなかったっけ」


 そう言えば、ロマンが異世界人だと言う事すら話していなかった。

 良い機会だし、話しておこう…と言う訳でロマンはサーガのオムツを替えながら、ここまでの経緯を掻い摘んで説明する。


「……それはダメでしょう!」


 ロマンの話を聞き終えたシングの第一声は、それだった。


「あんたはサーガ様のお気に入りよ!? 異世界に行くなんて言語道断ッ!」

「俺の積み上げてきた努力全否定かこの野郎」

「あんたと別れたショックで、サーガ様が心に癒えない傷を抱えたらどうする気!?」

「……そんな繊細なタマか、こいつ」

「サーガ様は繊細よ! 水晶硝子の様に、繊細で美しい御心をしておられるのよ!」

「あう」


 果たして、そんな奴がカレーの匂い漂うリビングで堂々とクソを垂らすモノだろうか。

 しかも、ムカつくくらい堂々としてる。腕組みしながらオムツが替えられるのを待つ赤ん坊なんて、そうはいないだろう。


「好き勝手言うけどよ、俺にだって家族や友達ってモンがいるんだぜ?」

「……それは……ううん……」


 シングは少し考え、


「あ、じゃあアレ。家族友人みんなまとめてこっちの世界に連れて来なさいよ」

「アホかお前は」

「じゃあ、もういっそアタシとサーガ様もあんたの世界に行く」

「何でそうなる!?」

「だってアタシはサーガ様が傷つく所なんて見たくない! そうだ、そうしよう! 万事解決よ!」

「解決してねぇ! 向こう行ったとしてどうやって暮らす気だお前ら!」

「なんとかなる!」

「だい!」

「なるか!」


 ロマンの住んでいた国じゃ、褐色肌というだけでも目立つ。

 それだのに、角やら尻尾の生えてるこいつらがまともに暮らしていけるはずないだろう。


「……と言うかそもそも、ロマンさんには帰れる保障が無いんですけどね」

「……そこは希望的観測で行こうぜ……」

「何だ、宛も無い話だったの。ビックリさせないでよ」


 いや、まぁ魔王を倒すという宛はあったのだが……それを話すと「魔王様を倒すために訓練してただとぉぉっ!?」とかすごいキレられそうなので辞めておく。


「これであれね。安心してサーガ様のお世話役に勤められるわね」

「……俺はついに、お世話役に認定されてしまったのか……」

「ええ。サーガ様が『立派な魔王』となり、散り散りとなった魔王軍を再建できる様、尽力しなさい」

「サラッと魔王軍再建させようとか企んでるなお前」

「はうあっ」

「ったく……ん……?」


 ちょっと待て。とロマンはふとある事に気付く。

 そう言えば、サーガは魔王の息子。つまり……魔王になる素質がある、かも知れないのだ。


 ……もし、もしも、だ。

 サーガが将来魔王になったとして、その時ロマンがサーガに「ちょっと負けてくんない?」と頼んだとしよう。

 そしてサーガが「いいよ、ぐえー」とか八百長の片棒を担いで一芝居うってくれたら……


 ロマンは、元の世界に帰れるのでは無いか。


 そうだ。魔王を倒すという事以外、特に条件は無い。八百長はダメなんて言われちゃいないのだ。

 つまり、ロマンがサーガを『親の言う事をよく聞いてくれる』立派な魔王に育てあげれば……


「……って、アホか」

「あい?」

「どうしたのよ?」

「いや、何でもない」


 そんなの、何年かかるかわからない。

 大体、自分が元の世界に帰るためだけに、魔王を再臨させて良いはずもない。


 ……まぁ、案の一つとして、心の内には留めておくが。


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