修行してたら詰んだ第5話


 ほんのりと良い香りが、薄らと覚醒しつつあったロマンの鼻腔をくすぐる。


「……ん?」


 暖炉の火が暖かく照らす室内。ここはセレナ達の家、そのリビングだ。

 キッチンに面して作られており、食卓の他にソファーやブラウン管のテレビなんかも置いてある。


 ロマンが寝かされているのはそのソファーの上。

 少し体を起こすと、真っ暗なテレビの画面に寝ぼけた自分の顔が写るのが確認できた。


「……うーん……? あれ……?」


 さっきまでロマンは、あの河川敷で姉と一緒に石を積んで遊んでいたはずだが……夢だったらしい。


「ははははは! 今日もいいザマだなロマン!」


 響く、渋いトーンの大きな笑い声。

 その声圧に、起きたばかりでぼんやりとしていたロマンの頭が強制的に完全覚醒させられる。


 声の主は、エプロン姿の筋肉質な中年男性。いわゆるおっさん。

 セレナとシルビアの父、ゴウトだ。

 森の麗人バルトエルフでは無く、その髪と髭の色は陽光の様な山吹色をしている。


「笑い事じゃねぇ……」


 窓の外に目をやれば、すっかり日は落ち、お月様が出張っていた。

 完全に夜。家畜達の世話や出荷先との商談等々の仕事を終えたゴウトが帰宅済みなのも当然だ。


「うぅ……あれ? つぅか何で気絶してんだ、俺……?」


 記憶が正しければ、今日の魔力拡張の際、ロマンは気絶には至らなかったはずなのだ。

 ここ数日の拡張でロマンの魔力の器は大分広がっていたらしく、本日の拡張はそんなに苦しくは無かったのだ。


 もう少し、記憶を辿ってみよう。


 拡張に耐え、シルビアが不満げに口をへの字にする中、ロマンは安堵の息を吐いた訳だが……

 そんなロマンの態度が気に入らなかったのか「……ならこっちを拡張してあげる……」とかシルビアが言い出し……何故かそこから記憶が無い。

 何か尻の辺りが痛い気がするが、きっと気のせいだ。そういう事にしておいた方が良い気がした。


「どうだ、やっぱりウチの娘達のシゴキはすごいだろう? 俺のカミさん譲りだ」


 どうやらゴウトは真性のドMらしい。

 そんなドM中年はリビングに面したキッチンに立ち、夕食の準備をしている。

 さっきからロマンの空きっ腹を容赦無く刺激するクリーミーな匂い。


 シチュー辺りかな、とロマンは適当に予想を付ける。


「今日も疲れたろう。晩飯はシチューだぞ。お前の皿にはたんと肉を盛ってやる。残すなよ。がははははははは!」

「どうも……」


 本当、元気で気の良いおっさんである。

 その娘がアレという事は、相当母親の遺伝子が強かったのだろう。


 で、ロマンが室内を見渡した限り、件の娘さん達が見当たらない。


「シルビア達は風呂だ。覗いてみるか?」

「いや、覗く訳無いでしょうが……」


 この世界ではどうか知らないが、覗きは犯罪だ。

 ロマンは自分が間違っていると思う事は絶対にしない主義である。


「なぁ、ロマン。そうは言ってもだ。お前だって、おっぱいは好きだろう?」

「はぁ? いや、まぁそりゃあ、人並みには好きっすけど……でも、いくらおっぱい好きったって覗きは駄目っしょ」

「侮るなロマン!」

「……!?」

「俺の娘達は、野郎に裸の一つや二つを見られた程度で喚く様な小せぇ女じゃあなぁい!」

「!」

「そしてロマンよ。セレナのは微妙だが、シルビアはそれなりにある……見ても問題無いなら、見たいと思わないか?」

「そりゃあ問題無いってんなら……い、いや、でも……」

「逃げるのか、ロマン」

「なっ……」

「見ても良い乳が目の前にあるのに、見ない……? それは逃げ以外の何者でも無い。男として恥ずべき行為だ。お前の世界には『据え膳食わぬ男児は男として死んでいる』と言う諺は無かったのか?」

「それと似た様なのはあった気がする……!」

「ならばロマン! 腹ァ決めろォ!」

「お、おぉう!」

「さて……俺は、何も言わなかった、イイな?」

「ああ……そして俺は修行の汗を流したくて仕方無い」

「なら、風呂場に向かうのは自然な流れだな?」

「ああ……!」

「グッドラック、行って来い、漢よ」

「おうッ!」




 己のアホさを悔やみながら、ロマンはすっかり冷めたシチューを啜る。

 啜った際に生じる僅かな振動でも全身が軋む。


「………………はぁ…………俺は馬鹿か」


 まぁアレだ。いわゆる賢者タイムだ。


「いやぁ、お前すごいな。まさか最後まで俺に唆され弄ばれたとは言わないなんて」

「……性欲に流されて、あんたの嘘を見抜けなかった自分への戒めっす……」


 ゴウトは気さくな分、軽い勢いで色々と悪戯を仕掛けてくるヤンチャ中年だ。

 性欲に飲まれ、それを忘れていた自分にも非がある、と言うのがロマンの結論。

 なので、セレナに寄る鉄拳制裁インフィニティも甘んじて受け入れた次第だ。


「はは、そうかそうか! にしても、良かったな。その程度で済んで。がははははは!」

「まだ全身痛いっすけどね……セレナめ、人はサンドバッグじゃないんだぞ……まぁそれなりの物は見れたからいいけどさ……」


 明日以降のトレーニング内容がどうなるか、今はそれだけが心配だ。


 何で男ってこうも性欲に流されやすいのか。

 ロマンは自分の性が嫌になる。


 ……まぁ、それでも性欲を捨てられないのが、漢なのだろう。


「しかし、ここに来たばかりの時より大分たくましくなったな。あの頃のお前なら、さっきのは一〇〇コンボ辺りでは死んでたろうよ」

「そりゃ、あんな無茶苦茶な鍛えられ方してりゃ、逞しくもなりますよ……」


 あの姉妹は「人間死ぬまでは限界じゃない」という理論を信じ過ぎている。

 おかげで、ロマンもかなりのアスリート寄りな体付きになって来たが……


「ま、魔王には遠く及ばんだろうがな! あと一週間では到底……と言うかそもそも、武も魔法も素人な奴を二週間で魔王越えさせるなんて土台無理な話だってな!」

「ですよねー……」


 フィジカルが良くなったと言っても、そんな人外マッチョになった訳では無い。所詮「お、意外と筋肉すごいね。バッキバキじゃん」くらいのレベルだ。

 そして、魔法に関してはまだまだ使える気がしない。だって今の所、拡張しかしてないから。


 ……魔王さんがまたぎっくり腰を再発してくれるのを祈りつつ、機会を待った方が良さそうだ。


「……待つ、か………」


 一体、俺はいつになったら帰れるのだろう。

 シチューを口に運びながら、ロマンはついつい俯いてしまう。


 ロマンは天涯孤独には程遠い男だ。

 当然の様に両親は健在で、仲の良い姉もいる。友達だって、平均的に見れば少ないかも知れないがいるにはいる。


 それでも、未だにこの世界に対する非現実感が抜け切らないおかげで、寂しさは余り感じない。

 修学旅行で一週間くらい家族に会えなくても特に思う事は無いあの感じに近い。

 色々と浮かれていると言うか、麻痺している状態だ。


 しかし、いずれはこの非現実感にも慣れる日が来る。

 いつか絶対に、望郷の念に駆られ、どうしようも無くなる日が来てしまう。そんな予感がする。


 現に、ロマンはこの世界で夜を迎える度、自分の中で少しずつ焦燥感が際立つのを実感していた。


 就寝際は一番酷い。静かな夜は、思考を深くさせる。


 焦っても仕方無い、今は目の前のやるべき事、魔王を倒す力を付ける修行に打ち込め。

 そう強く念じ続けて、半ば無理矢理に不安を抑えているのが現状だ。


 だのに、打倒魔王の道は程遠い。


 自分の心がいつまで保つのか、ロマンにもわからない。


 目の前の事を考えるべき、じゃない。

 正真正銘、目の前の事しか考えられない。それ以上先の事を考えたら、精神が保たない。

 それがロマンの現状だ。


「……おお、そうだ。そろそろ『年中無休事故死過労死上等激烈牧場物語ドキュメント』が始まるな」


 どんどん沈んでいくロマンを気遣ってか、ゴウトがリモコンを手に取り、テレビの電源を入れた。


「つぅか、すげぇタイトルっすね……」

「いやぁ、面白いぞ。スリリングでな。でも、あれは真似したいとは思わん。見るたびに、やっぱ普通の家畜にして正解だったとしみじみ思う。羊と牛は火を吹かんからな」

「……この世界には火を吹く家畜がいるのか……」

「いわゆる『魔獣まじゅう』って奴だ。家畜としちゃマイナーで少ないが、その分、金になる。一攫千金を狙う酪農屋は手を出す奴が多いな」

「魔獣?」

「シルビアに聞いただろう? 魔力が多いと身体に色々と影響が出るって。それは人間に限った話じゃ無い。動物にも魔力はあるからな。個体自身が先天的に魔力に優れているか、親個体が魔力に優れていると『特異進化』した動物が生まれてくる事がある。それが魔獣だ」

「進化して魔法が使える様になった動物、って事っすか?」

「いや、ちょっと違うぞ。魔法は知識と技術がいるからな。動物でも使える奴はいるんだろうが、かなり少ないだろう。大体の魔獣が使うのは魔法では無く『超能力』だ。竜顔豚ドラゴンピックは『炎の魔法を使ってる』んじゃなくて、魔獣の特性として『火を吐く身体機能・能力がある』。蝉が鳴けるのと一緒って事だよ」

「……?」


 難しい話はわからん、と呆然とするロマンを他所に、ゴウトは片手でコーヒーを口に運ぶ。

 そしてコーヒーを啜りながら、空いている手でリモコンを使い、チャンネルを変えた。


 途端、


『速報です!』


 慌ただしいキャスターの声。

 かなり慌てている様だが、どこか嬉しそうな雰囲気もある。

 なんだ、パンダの子供でも生まれたか……ってここは日本じゃないし、それくらいじゃニュースにならないか。そもそもパンダなんてモンがいるかどうかも……などとロマンがどうでも良い思考を働かせていたその時、


『本日昼頃、S級冒険者チーム『レッド・ガーヴェラ』が、魔王を討ち取ったとの事です!』


 ロマンがシチューを吹いたのと、ゴウトがコーヒーを吹いたのはほぼ同時だった。

 空中でシチューとコーヒーが融合し、気持ち悪い汁物へと変貌する。


『これにより、各地の魔王軍は撤退を開始、ベスタリア国軍はこれを好機と…』


 何か小難しい政治の話に以降しつつあるが、ロマンは完全に置いてきぼりを食らってしまった。

 そりゃあ、理解し難いニュースだから仕方がない。


「………………」

「………………」

「な、なぁ、ゴウトさん……い、今……魔王が……どうのって……」

「……あ、ああ……はっきり、言ったな」


 魔王が、討たれた。

 どこの馬の骨とも知れない冒険者達に。


 キャスターは、はっきりとそう言った。ドッキリという看板を見せる素振りは無い。

 つまり、本当に魔王は討たれたのだろう。


 しかし、ロマンが元の世界に転送される兆候は無い。


 それはそうだろう。

 だって、ロマンが元の世界に帰るための条件は、『魔王が倒される事』では無い。


『ロマンの手で魔王を倒す事』……なのだから。


「……あの、魔王って、もしかして第二第三のとかも……」

「いる訳ないだろう」


 それもそうだ。そんなに魔王がいたら、敵対されている人間はまともに暮らせない。

 呑気に牧場なんぞ経営してる余裕は無いだろう。


 魔王はこの世界に一人だけ。

 そしてそれは今、他人の手で討たれた。


 つまり、


「おい、ロマン……お前、これからどうする?」

「は、はははは……どうしましょう……?」


 ロマンが元の世界に帰る希望が、断たれた。

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