修行と虐めの違いについて議論する必要がある第4話
真上から容赦の無い直射日光が降り注ぐ。
おかげで本日は、冬とは思えない温暖な気候だ。
まぁ、冬真っ只中だったロマンがいた世界と違い、今こちらの世界は冬の末…春目前との事なので、別段おかしな気候という訳では無い。
そんな訳で暖かな空気に包まれた草原。青々とした草の上に、水滴が落ちる。
雨、ではない。
ロマンの汗だ。
「うごぉぉぉおあおおあおおあおあああぁああぁおおぉぉぉ……!」
人の声帯はここまで微細に振動できるのか。
思わずそう感心してしまいそうなロマンの震え声。
ロマンは現在、青々とした草原のど真ん中で、何故か腕立て伏せに励んでいた。
「どうしたんですか? まだ一〇分の一程ですよ」
静か、というか、非常に冷たい女の子の声。
必死の形相で腕立て伏せに励むロマンの上にチョコンと座り、読書に励む中学生くらいの少女のモノだ。
少女の髪は、葉緑素でも詰まってんのかと思うくらい見事な緑色をしている。
彼女の名はセレナ。『
エルフ系の人種の特徴と言えば尖った耳との事だが、ハーフなのでその要素は控えめである。
「ぐ、ぅう……だ、大体おかしいだろ……! 普通腕立てって、回数、決めて……やるもんじゃねぇのか……!?」
現在、ロマンは完全にオーバーワークな肉体改造プログラムを強いられている。
腕立て一〇〇〇回、とかなら「うひー厳しー」くらいで済んだだろう。
このセレナという少女は「私がこの本を読み終えるまで腕立てしててください」と辞書の様な物を手に言い放ったのだ。
もう既に腕立てを始めて一時間近くが経過している。我ながらよく持った方だ、とロマンは思う。
と言っても、もう流石に腕が限界だ。
ロマンの全身には、汗以外にこれでもかと言うくらい筋が浮かんでいる。
全身、特に腕周りの筋肉繊維が千切れかけだ。
「こ…んな無茶苦茶な筋トレ……あり、えねぇッ……! 今、からでも目標回数設定を……!」
こんなの魔女裁判で無罪を証明する様なモノだ。
「あーもう、やかましいですね。……あらあら、あなたが騒いだおかげで冒頭の内容を忘れてしまいました。最初から読み返すとしましょう」
「ッこ、んのぉ鬼畜がァアアァァァァアアアァァァアアアアア!!」
その叫びと共に、ロマンの腕はついに限界を越えた。
何かが切れる様な音と共に、腕という支えを失ったロマンの体が、ドタン、と草のベッドへと落ちる。
ロマンの上で読書していたセレナは「やれやれ」と溜息を吐き、冷めた目で大地と一体化した彼の顔を見下ろした。
「もう、ですか。多少の進歩は見られますが、まだまだですね」
「う、うるせぇ……」
もう心意気だけで気張れる限界を超えている。
「根性無し」
「…………」
割と頑張ったはずだが、訴えても「負け犬の遠吠えってご存知ですか? 雑音、という意味です」とか言われておしまいだろう。実際そう処理された事がある。
ロマンは草のひんやり感を感じながら、無言で体を休める事に専念する事にした。
……まだ昼前。地獄はこれからだ。
ロマンがゼンノウの手によって転送された先。そこは、ある一件の民家の前だった。
周囲にある他の建物は大きな牧舎くらいで、後は見渡す限り、牧場らしい綺麗な草原が広がっていた。
その外周を取り囲む様に森も広がっている。何とも未開拓地域っぽい牧場だ。
とりあえずロマンは、明らかにこの牧場の主の家であろう民家の戸を叩き―――
―――ここ数日、無茶苦茶なトレーニングの末にダウンするのがすっかり日課と成り果てていた。
「それでもA級冒険者ですか? この子の方が気合ありますよ。ねぇゼオラ」
「めぇー」
せやな、とセレナに同調する様に鳴く子羊。
子羊は一応俺の事も気遣ってくれているらしく、「大丈夫かいな」と言わんばかりにブッ倒れたロマンの頬を舐める。
ああ、ここで俺に優しくしてくれるのはお前だけだよゼオラ……、とロマンの涙腺がぶっ壊れかける。
「ゼオラ、甘やかさないの。……全く、そんなんで、あと一週間程で魔王を倒せる様になると思っているんですか?」
「……思わん……」
そもそもプラン自体がおかしいのだ。
二週間やそこらで、そこそこの喧嘩の腕と早食いしか能のない高校生が、天変地異の引き金になれる様な魔王を倒せる様になろうとか、絶対頭おかしい。
ちょっとフルマラソンでちゃおっかなーという感じでも、事前に一ヶ月は体力作りするだろう。
ロマンだったらそうする。
「このザマじゃ、これから始まる姉さんの修行も、いつも通りになりそうですね」
噂をすれば何とやら、か。
不意にロマンは重力を感じなくなり、宙へ浮かび上がった。
特に何かがロマンを掴み上げたり持ち上げている訳では無い。
浮遊魔法、という奴らしい。
ロマンを浮かせているのは、少し離れた民家の前に立つ大人びた女性。
セレナと同じく緑色の髪をした『|森の麗人(バルトエルフ)』のハーフの方だ。
彼女の名はシルビア。セレナの姉であり、そして、現在ロマンに『魔法』を教える師匠。
彼女が指をクルクル回すと、まるで糸でたぐり寄せられる様に、ロマンの体は彼女の元へ向かって行く。
「ロマン、今日も張り切って頑張ろう」
「……よ、よろしくお願いします……」
肉体強化担当、ドS美少女セレナ。
魔法修行担当、クール系超絶ドS美女シルビア。
このドS姉妹の祖母は、ゼンノウの弟子だった過去を持っているらしい。
その縁から、ゼンノウの紹介状を持ったロマンに修行をつけてくれているのだが……
「楽しく、レッツトライ。今日は…どうしよっかなぁ」
「お、お手柔らかに……」
正直、ロマンはこの姉妹の玩具にされている感が否めない。
妹さんの方はまだ玩具というか、スマホの育成ゲーム系アプリ感覚というか、そんな感じだが……このお姉様はおそらく、ガチの玩具としてロマンの事を見ている。
何故なら……
「とりあえず、いつも通り……『拡張』から、イっとこうか」
「いっ!? もう充分だって言ってませんでしたっけ……!?」
「……ひぃひぃ泣き喚いて、白目剥いてるロマン……可愛い」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ! 最早建前すら無し! 助けてくれセレナ! いや、セレナ様ッ!」
「……姉さんに気に入られるなんて光栄な事ですよ。だからその……ガンバです」
「めぇー」
※あんたの事は忘れへんで。とゼオラは涙ながらに言っています。
セレナとゼオラは白いハンカチを振り、ロマンを送り出す。
「くそぉ! さっきの優しさはなんだったんだゼオラァ!」
「そんなに拡張が嫌?」
「全力で嫌ですけど!?」
ちなみに、シルビアの言う『拡張』というのは、『魔力総量限界の拡張』と言う作業を指す。
異世界人のロマンは、そもそも魔法という文化を持たない民族として生まれ、成長した。そのため、魔法を使える程の『魔力』が無い。
魔法を使うのに適した体では無い、と言う事だ。普段全く運動をしないインドア派が激しいスポーツに向かないのと同じ感覚である。
魔法を使うには
故にすぐに上限に達し、魔力精製が止まる。
わかりやすく言うと「炎の最弱魔法を撃つのに一〇の魔力が必要だのに、ロマンは一以上の魔力をストックできない」と言う感じだ。
魔力の上限値を引き上げるには、どうすればいいか。
地道に体を魔法に慣らす、と言うのが一般的だが、それは気長過ぎる。
短期間で強くなる必要があるロマンには向いていない。
そこで、シルビア式の拡張法である。
上限という天井を、力尽くで押し上げてしまう、と言う方法だ。
その内容は実にシンプル。
外部から限界量を越える魔力を注入しまくるだけ。
サイズの小さい靴下を無理矢理履き続けて、ゴムを疲労させるのと一緒。
「もう拡張は嫌だ! 嫌だァアァァァァァ!!」
しかしそれは、とんでもない苦痛を伴う。
当然だ。何事でも無理矢理拡張しようとすれば盛大な負担がかかる。
そりゃあもう、ロマンが初めて拡張を経験した時は、拡張開始三秒で失禁&白目失神かますくらいには凄まじかった。
その痛みはまさに筆舌に尽くし難い。全身の毛穴と言う毛穴にギザギザした太い棒状のモノを拘束でピストンされる様な感覚だった。
「ロマン、男は忍耐」
「自分で言うのも難だが、俺は存分に耐えた自信がありますが!?」
単純さ故にそこそこ忍耐力があると言ってもだ。限界だってある。ロマンだって人間だもの。
この姉妹(特に姉の方)の責め苦は、とっくの昔にロマンの許容限界をブッちぎっている。
最初の三~四回くらいはロマンだって「ッ……上等、まだまだやれるぜおぉい!」とかイキれていたが、それはもう遠いあの日の記憶と言って良い。
修行に臨む事に異論は無いのだが、拡張だけはもう本当に嫌だ。
「そ、そうだ! 魔力多すぎてもアレじゃないですかね!? よくわかんないけどもう良くないですかね!?」
「大丈夫。魔力多くて、損する事は無いと思う。魔力が多ければ多い程、人体には特殊な影響が出る。超感覚とか超能力とか……そう、身体的に強くなったりする人もいるらしい。お得」
「身体面の諸々はセレナがどうにかしてくれるから! お願いしますもう本当にダメ! 壊れる! 壊れちゃうから!」
「……最高……」
「火に油そそいじゃった畜生!」
そんな訳で、ロマンは本日も、夕方まで意識が飛ぶ事になるだろう。
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