9 青いドラゴン
幼年兵団を卒団した後、俺はそのまま軍の一般兵団へ入った。
修了試験の結果は文句無しに近衛騎士団へ入れるものだったから、俺が正式に入団の打診を断った時は周囲の反応が大荒れに荒れた。親族からは考え直さないと絶縁だと脅されたな。あの老騎士が言っていた通り、ライラ様を主と定めたからどうあがいても無理だと言い返したが。
一般兵の仕事は、おおよそ軍のやることを想像すれば大体合っている。ライラ様の護衛も含まれているのだが、あまりにやりがいが無さ過ぎて軽い左遷扱いらしい。俺には分からない心境だが、滅多に怪しい人間も来ないので緊張感がないだと。平和は良いことじゃないか。志願者で溢れるのも嫌だが、過疎になるのはかえって微妙な気分だ。
低評価だからこそ、神殿警備は下っ端に回されやすい。これは俺にとっては好都合だったが、同期曰く、近衛騎士団から誘われたほどの俺がここに居るのは上からの嫌がらせに違いない、だそうだ。褒美にしかなっていないから真相はどうでも良い。
だが通常より異動の間隔が長かったのは確かだ。おかげで以前よりずっとライラ様のお傍に控えやすくなり、俺は絶好調で仕事をこなしていた。
もちろん身辺警護以外もやっていた。魔物退治はその最たるものだ。
「ロイド先輩、なんで軍人の俺たちが山登りなんてしなきゃいけないんすかねー」
「住民から魔物がいると通報があったからだろう。一般市民を守るのも立派な軍人の仕事だ」
今から三年前、つまり俺が22歳の時の任務の話だ。俺は一人の後輩と共に、レーベン山の魔物の調査に出た。
山神の住まうレーベン山は、山頂付近はともかく、中腹より下は普通の山と同じで一応魔物が出る。特に狂暴な種は生息していないが、ごく稀に危険な個体が迷い込むことがあるので、地元住民の通報があった場合は軍で調査することになっていた。
この時にあった情報は、身の毛もよだつような咆哮を数人の猟師が聞いた、という曖昧なものだけだった。それでも全く動かなければ無能の烙印を押されるだけなので、適当に調べて倒せそうならなら討て、との指令が俺たちに下った。
やる気のない後輩に若干不安になりながら、鳴き声を聞いたという地点を目指した。道中に咲いていたレーベンリンドウを見て、少し前にライラ様と交わした会話を思い出しながら歩を進めていた。
――ロイド。これ。
――おや、あの時の造花ですか? 懐かしいですね。
――これを見ると落ち着く。だからずっと持ってた。けど、ボロボロになってきた。
――確かに花びらが取れかけていますし、色も褪せていますね。……新しい物を今度差し上げますよ。
――本当? 約束。
――ええ。もうすぐ本物も時期ですし、そちらも飾りましょうか。気に入ってくださって何よりです。
――この色が好き。ロイドが、わたしのためにくれたから。ロイドの色、一番好き。
なんとも従者冥利に尽きる言葉だ。やはりライラ様を主君と仰いだのは間違いでは無かった。
――いつもエルデン様にお祈りしてる。ロイドを守ってくれるように。
ライラ様にお会いするまでは、正直それほど信心深いわけではなかった。ライラ様の供として神域の手前まで着いて行くようになり、ようやく現実に存在することを実感し始めたぐらいだ。だがまあ、ライラ様は無事を祈ってくださっているのに、俺が何もしないというのも考えものだ。だから時折、礼拝室で誓いを立てるぐらいはしていた。
―――――
「オレにはさんざん山神を敬えって言ってたくせに……」
「敬意自体は元からあった。積極的に信奉していたかどうかの違いだ」
「じゃあ、オレの扱いが雑なのは?」
「お前のどこに敬うべき要素がある。一つでも役に立つ力の使い方を会得するまでは、ただの腕力馬鹿だ」
「ひっでー! エルデンが助かったの、オレのおかげじゃん!」
「お前はただの運び屋だっただろう。俺は実力があろうとも発揮しないなら無いものと見做す。……山神も同じ様に判断していたから、罰が当たってあんな目に遭ったのかもな」
―――――
それからどれぐらい歩き回ったか。奇妙なほど静かな森の奥から、突如獣の咆哮が聞こえてきた。
「うわっ! せ、先輩、今の結構近かったっすよ!」
「静かにしろ。……こっちだ」
断続的に聞こえてくる鳴き声は荒々しく、合間に樹が折れるようなバキバキという音も入っていた。件の魔物に違いないと、正体を見極めるために音のする方へ向かった。
他の動物の気配が全く無かったことに、その時点でようやく気が付いた。魔物に警戒してどこかに身を隠したに違いなかった。何かが荒らして回ったように木々が無残に倒れているのを見つけ、その跡を辿ってみれば、すぐにそれのもとへ辿り着いた。
「青い、ドラゴン……」
後輩は一目見るなり腰を抜かして、そう呟くのが精一杯のようだった。俺も予想だにしなかった展開に、倒木の影へ身を潜める判断が出来ただけ良い有様だった。
濃紺の鱗に覆われた巨体は、森の木々とそう大差無い背丈があった。ドラゴンは丸太並みの太さの腕で哀れな獲物を掴んでいて、俺たちには気づかず食事中のようだった。それを好機と見て、俺は後輩に小声で指示を送った。
「(今のうちに山を降りて、応援を呼ぶぞ)」
「(こんなん無理っすよ。聞いてないっすよ……)」
「(弱音を吐いている暇は無い。急げ)」
普段相手にする魔物とは桁違いの強さだと一目で分かった。二人で挑むなどという無茶はしない。震え上がっている後輩を急かして、ドラゴンの金色の眼がこちらを向く前に退却するつもりだった。
そう、枯葉を踏んだ微かな音だけで、気づかれるはずなど無かった。夢中になって獲物を貪っていた奴が、その瞬間ぴたりと動きを止めて、こちらに火を吐いてきただなんて、運が悪いにも程があった。
神様には見放されたに違いないと、あの時ほど自嘲したくなったことはない。
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