8 貴方に「あお」を、俺に主を

 肥えた体が床に落ちる重たい音がして、後には俺の荒い息遣いだけが響いていた。俺も含めて皆、動きを止めていた。


 最初に時を取り戻したのは、ずっと沈黙を保っていた老騎士だった。

「――――ガッハッハッハッハ! こりゃ愉快、痛快! いやぁ噂通りなかなか気骨のある若モンじゃのう。ここまで面白いものを見せてもらったのは久しぶりじゃわい!」

発言の内容が予想外すぎて、俺含めて他の三人は揃って唖然としたままだった。そんな空気もものともせず、近衛騎士は腹を抱えて笑っていた。

「確かにおヌシの言う通り。ライラ様には可哀そうなことをしていたのう。おヌシの意見はワシの方から上に通しておくとしようかの」

「……ななな、何を言っているのですかな!? このような野蛮な男の話を鵜呑みにするなど……!」

「若造の剣幕に気圧された身で何を言っておる。むしろ権力に屈せず声を発することのできる人材は貴重ではないか。国がライラ様を人間扱いしていなかったのは事実じゃし」

 立ち直った文官が喚いていたが、老騎士は近衛騎士の徽章を弄繰り回しながら、どこ吹く風で答えていた。俺とマリーさんは未だ状況が呑み込めずに黙っていた。

「時間を取らせてすまなかったのう、二人とも。……おおう、もう日が落ちているではないか。そろそろライラ様の食事の時間ではないかの。ほれ、おヌシは急ぎ仕事に戻るのじゃ」

「あ、は、はいっ。失礼します!」

話を振られたマリーさんは、文官と俺に視線を向けつつも、慌てて応接室を出て行った。遠ざかる足音を聞きながら、俺は立ち尽くして老騎士を見ていた。


 老騎士の考えがよく分からなかった。ライラ様の周囲にまだ良心的な人がいたということだろうか、と推測して、次の言葉を待っていた。

「さて、おヌシも帰って良いぞ。さすがに今日の面会は遠慮してくれるかの。あと、今後は正式に許可を出すからこそこそせんように。後で沙汰が伝えられるじゃろうが、まあそこまで酷いことにはさせんから安心してくれて良いぞ」

「……ありがとうございます」

なぜそこまでしてくれるのか腑に落ちないで、怪訝な顔のまま礼を言うと、髭を歪めてニヤリと笑いかけられた。

「ワシは最初から、おヌシの処分を軽くするための交渉役としてこの場におっただけじゃ。ま、あんな言葉を聞かされては『入団を交換条件に減罰をチラつかせる』なんぞ出来んがの」

 今の今まで頭から抜けていたことに、身体が強張るのを感じた。俺が問題を起こしたのをこれ幸いと、近衛騎士団はどうやら確保に乗り出していたらしい。結局老騎士がその気を無くしてくれたおかげで助かった。

 後から知ったが、この老騎士はライラ様の処遇を疑問視していた者たちの筆頭だった。以前から水面下で動いていたらしいが、俺の一件で近衛騎士を中心に味方が増え、本格的に改善に乗り出せるようになったとのことだった。改善派増加の理由が「将来有望な幼年兵がこれのせいで軍を見限ったら困る」だったのは気に食わないが、おかげでライラ様がある程度自由になれたのだから、これ以上文句は言わない。


「おヌシの噂は聞いておったが、ワシは元から自由意思を尊重する派でのう。このような形での勧誘は気乗りしなかったのじゃ。いや理由ができて助かったわい」

「……そうでしたか」

 老騎士は満面の笑みで、乱暴に握手を交わしてきた。この騎士が来てくれて助かったのは俺の方だった。

「いやー、それにしても惜しいのう。〈騎士は二の主を戴かず、唯一人に尽くすべし〉。近衛騎士団の不変約定に反してしまうから、18になっても無理に入れる訳にはいかぬのう」

「……?」

「近衛騎士にとっての主君は国王陛下じゃからのう。他の者に既に剣を捧げていたら、入団不可じゃ。いや惜しいのう」

チラチラと俺を見ながら言われた内容に、もう俺は驚きを通り越して思考停止寸前だった。

 この騎士は、俺が自分の道を確実に選べる方法を、教えてくれた。


「ワシらは上に報告しに戻るとするかの。ほれ、いつまで呆けとるんじゃ。おヌシが頬を押さえて可愛い子ぶっても誰も得せんぞ。さっさと歩かぬか。……ではな、ロイド君。精進せいよ」

「ありがとう、ございます……!」

 文官を引き摺って行く後ろ姿を、俺は最敬礼で見送った。誰もいなくなった応接室で、俺は一人泣いていた。

 この時にはもう既に、俺は忠義を誓うべき主を見出していた。


 幼年兵団の修了試験も無事に終了し、結果待ちとなった冬の初め。少しばかり肌寒い神殿の中庭で、三年前のあの日と同じように、俺はライラ様の前に跪いた。

「我が槍は御身のために。この身、この魂に至るまで、我が全てを御身に捧ぐ」

ライラ様は年齢より大人びた表情をしていたが、最早人形ではなくなっていた。真剣な眼差しに心を見出して、俺は自然と口元が綻ぶのが分かった。それにつられるようにして現れた笑顔を、一生守りたいと思った。


「――この『あお』は、あなたのものです」


―――――

「とまあ、こんな感じだ」

「はー……。イイヤツに会えて良かったな、ロイド」

 熱心に俺の話を聞いていた奴は、終わりを告げると大きく息を吐いた。細かい部分は端折ったのに、気づけばだいぶ長いこと話していた。

「さあ、もう良いだろう。さっさと寝ろ」

「うーん。それがさ、逆に眠気吹っ飛んじまった」

「寝、ろ!」

この野郎。人が黒歴史も掘り起こしながら寝物語をしてやったというのに。

「なあ、ついでだから〈ランダスの蒼竜〉って呼ばれてる理由も教えてくれよ」

「何がついでだ、このアホ。……なぜ目を閉じない。寝る気があるのか」

「無い!」

 衝立の向こうから聞こえる寝息を乱さないよう静かに行った攻防戦は、俺の負けで終わった。俺の半生を全部聞き出すつもりか、このクソガキは。

―――――

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