7 誰がために彼は叫ぶ
ライラ様のもとへ通うようになって、二年が過ぎた。
不自然に多い訪問回数は、マリーさんが俺を熱心な山神の信奉者ということにして誤魔化してくれた。一度偶然ライラ様にお会いした際、幼いながらに使命を全うする姿に感銘を受け、それ以来神殿参りに精を出しているのだとか。大きくは外していない辺りが凄い。
ライラ様の情操教育は成果が出ていたと思う。口調は今も治っていないが、感情を表に出すようになってくれた。俺が遅刻した時は拗ねていたし、あれが好きだこれが気に入ったとよく笑っていた。色々と教えたおかげで、あの不自然な知識の歪みも随分無くなっていた。
だから、きっとライラ様を喜ばせられているだろうと、俺は単純に日々を楽しんでいた。ライラ様があのような環境に居た原因など、完全に失念していた。
劇的な変化は当然、隠しきれずに広まってしまう。その理由が俺であることに、国が辿り着くのは時間の問題だった。
普段通り礼拝室へ入った瞬間、身体が強張るのが分かった。待っていたのはライラ様ではなく、高位の文官服を着た男と、歳のいった近衛騎士。何度かすれ違ったことのあった彼らは、ライラ様の教育係だった。
「幼年兵団四年次生のロイド――姓は無いか。これは君のことで間違いないな」
「……はい」
「少々聞きたいことがある。応接室へ来てもらおうか」
恰幅のある中年の文官が何かの紙――おそらく報告書だと思う――に目を通しながら話し掛けてきた。老騎士の方は黙って俺を見ていた。
来客に対応するための部屋など、俺には今まで縁が無かったから、そこへ行くのは初めての事だった。高級そうな長机を挟んで、両側に椅子が六脚ずつ並べられている。奥から三番目の椅子にマリーさんが座っていて、入って来た俺たちに青褪めた顔を向けた。俺はその隣に座らされ、向かい側に文官と近衛騎士も座ってから、ようやく本題が切り出された。
「単刀直入に聞こう。山神の巫女ライラ様に接触し、情報操作で惑乱させようとしていたとの報告が上がっているが、事実と認めるかね?」
そのような事はしていない。だが言い方からして、訂正させる気は無いようだった。
「私は遊びたいと仰るライラ様のお相手を務めただけです。問われたことには嘘偽り無く答えてきたつもりですし、何かを教唆したこともありません」
むしろ故意に情報を遮断していたのは国の方だろうと言いたかった。近衛騎士が近くに居るというだけで胃が荒れていた上に、ふんぞり返っている文官は俺の嫌いなタイプだったから、いつも以上に気が短くなっているのが分かった。
「まず許可を受けていない一般人がライラ様と面会している時点で、君の処罰は免れられないと言っておこう」
「それは! それは私からロイドさんにお願いしたんです! どうか責めるのは私だけに……!」
「たかがメイドは黙っていてもらおうか。君たち二人による犯行なのだから、両名とも裁くのは当然であろう」
マリーさんは俺を庇ってくれたが、一蹴された。そもそも俺はマリーさん一人に押し付ける気など無かったので意味は無かったが、味方をしてくれるというだけで有難かった。
それより文官の言葉にはいちいち腹が立った。こんな奴がライラ様の教育係だと思うと、殺意すら芽生えた。俺が接触するよりよほど教育に悪い。この文官の影響を受けて、高慢で嫌味な女になったらどうしてくれるんだ。
先に禁を破ったのは俺だから、どんな処分でも甘んじて受けるつもりだった。だが言いたいことを全部ぶつけてからだ。このまま引き下がっては、ライラ様の笑顔が再び奪われかねなかった。たとえもう二度と会えなくなろうとも、何かを残してやりたかった。
「私がライラ様と初めてお会いしたのは二年も前のことです。なぜ今更になって問題視されるのですか」
「そこの女が姑息にも証拠を隠滅し、虚偽の報告をしていたせいで、発覚が遅れただけだ。黙認していた訳ではない。今回の件も裏取りに大変な時間を掛けさせられた」
「それはご苦労様です。ライラ様の普段のご様子から、もっと早くに気が付かれていると思っておりました。お部屋にも私からの贈り物が堂々と置かれていましたし、隠す必要性が無くなったのかと」
もうこれ以上ないほど、気づかない間抜けぶりを馬鹿にしてやった。花や菓子はともかく、人形はさすがにまずいだろうと慌てて仕舞わせたのに。丸五日は棚の上に鎮座していたはずだが、誰も見ていなかったのだろうか。
「ライラ様は最近特に朗らかでいらっしゃいますね。マリーさんの話によれば、勉強中も楽しくて仕方がない御様子を全面に出されているとか。ああ、これは最近の話ではなく、一年以上前に聞いたことですが」
まさか、その時勉強を教えていた教育係たちが気づかない、なんてことは無いだろう? 感情表現が豊かになってきたことに、違和感を覚えなかったのか?
そんな風なことを、ひたすら言い続けた。面と向かって罵倒はしなかった。ただひたすら「なぜ気づかなかった」と遠回しに詰ってやった。
文官は「それは……」だの「しかし……」だの、最初の自信満々の態度はどこへやら、視線を彷徨わせながらしどろもどろに答えていた。近衛騎士は相変わらず黙っていて、時々豊かな口髭を震わせるだけだった。
「ええい、減らず口を叩くな! とにかく、山神の巫女が政治的に重要な立ち位置に在ることは知っているだろう! ライラ様の教育は国が定めた綿密な計画のもとに行われているのだ。余計なことをして、育成計画に綻びが出たらどう責任を取るつもりだね!?」
乱暴に机を叩き、文官はとうとう怒鳴った。声を荒げて威圧すれば、俺が黙るとでも思ったのなら大間違いだ。
むしろ拙すぎる言葉選びのおかげで、俺の忍耐は限界を超えた。
「――育成だと? 自分たちに都合良く行動する人形を『製造』しているだけの、あの仕打ちのどこが人間を育てていると言うんだ!」
国がライラ様を外界から引き離した理由は、先にも言った通り、外敵からの干渉を防ぐため。
だが裏の理由は、ライラ様を国の傀儡にするためだ。他の国々は自国の擁する山神に何かがあれば、ライラ様に頼るしかない。その時、ランダスは確実に巫女の派遣を交渉材料に、他の物事をも有利に運ぼうとするだろう。ライラ様がそれに積極的に協力してくれたなら、より利益を得やすくなる。
俺のしたことを洗脳だ何だと言って、結局その言葉はこの役人ども自身にも跳ね返るんだ。
本当に、身勝手で、利己的で、――何も分かっていない。
「ふざけるのも大概にしろ! ライラ様はまだ6歳の子供だぞ!? 誰かと遊びたいと思うのは当たり前のことだろう! 心を殺し、使命だけを全うせよなどと押し付ける権利が、貴様にあるのか!?」
「そ、そういう使命を持って生まれたのだから――」
「天性の力が何だと言うんだ! 望んで得た訳でもないものに、人生を縛られる者の心を考えたことはあるのか!?」
「そんな些末事と国益を比べるなど――」
「貴様にとっては些細な事だろうとも! 何せライラ様にとってはただ一度の尊い時間だと、考えていないのだからな! 貴様はライラ様に、山神の巫女でも、外交の切り札でもなく、魂持つ個人として接したことはあるのか!?」
反論は全てぶった切って、勢いのままに吠え続けた。椅子を蹴倒して立ち上がり、文官の胸ぐらを掴めば、奴は押し潰したような醜い悲鳴を上げた。視界の隅で老騎士が止めに入ろうとするのが見えたが、俺が渾身の力で文官の横っ面を殴り飛ばす方が早かった。
頭に血が昇っていたから、その時何が頭にあって、こう言ったのかは分からない。ただ、咄嗟に出て来たのだから、ずっと心の奥底に抱えていた想いだったことは確かだ。
「――赤の他人が、ひとの未来を勝手に決めるな!」
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