6 偉い人と普通の人
最初のうちは礼拝室で少し話すだけだった。その内、監視の目を掻い潜れる時は中庭まで出るようにもなった。ライラ様が初対面のとき外に居たのは、使用人用の裏口を閉め忘れていて、それを発見したライラ様が好奇心のままに出てしまったからだそうだ。
自室に招かれるようになったのは半年近く経ったあの時からだ。
その日礼拝室に入った時、ライラ様がいらっしゃらなかったから、俺は椅子に座って待っていた。万が一他の参拝客と鉢合わせした時に怪しまれないよう、祈っているふりをしながら考え事で暇を潰していたはずだ。
そこへ誰かが入って来た。その姿を確認して、俺は咄嗟に目を逸らした。見えたのはいつぞやのしつこい近衛騎士だった。
「おや、誰かと思えばロイド君。こんな所で会うとは、君も礼拝かい?」
「……ええ、まあ」
「神殿までわざわざ祈りに来るなんて、今どきの若い子には珍しいね。真面目なのは良いことだよ、うん」
一瞬で体が変調を来し始めた。胡散臭い笑顔でしばらく世間話をされたが、さっさと礼拝を済ませてどこかに行ってほしかった。途中でマリーさんが祭壇の掃除と礼拝室の
「それでだね、この前の話なんだけども……」
「あの件に関して私の答えは変わりません。せっかくですが、時間を掛けて修練を積みたいので」
「そこを何とか考え直さないか? 幼年兵団より訓練内容も充実しているし、僕の方でも色々と融通を利かせられるよ。他の人も声を掛けていると思うけど、後の事を考えれば世話になる相手は考えておくべきだね」
「特例は後で問題になるかもしれません。他の皆と同じく、修了試験の結果で入団の是非は考えていただければと思います」
鬱陶しい。煩わしい。お前たちの派閥争いなど、心底どうでも良い。俺が近衛騎士になると勝手に決めつけるな。親切ぶって手を貸しているつもりだろうが、下心が透けて見える。
お前たちが欲しいのは「俺」ではなく「槍の神童」だろうが!
「そうか、仕方ないね。また考え直したら声を掛けてくれ。君が僕の部下になってくれるのを楽しみにしているよ」
近衛騎士が帰った後、眩暈がして椅子に倒れ込むように座った。吐いた溜息はうんざりするほど深かった。
どうしてこうも人の話を聞かないのか。俺はただ自分で決めたいだけなのに。勧誘に来る奴らの態度が気持ち悪くて仕方が無かった。
痛む頭を押さえてしばらく俯いていたら、ふと隣に人の気配を感じた。顔を上げて、ライラ様がそこにいらっしゃった時には、もう笑うしかなかった。横に座られるまで気づかないなど、相当参っているに違いなかった。
「すみません、気が付かなくて」
「ロイド、いたい?」
「大丈夫ですよ。もう治りました」
自分でも白々しいとは思ったが、ライラ様に心配を掛けたくなかった。その嘘はすぐ見破られてしまったのだが。
「こっち。くる」
「? ……ライラ様? わっ、ちょっと、待ってください!」
どこかへ連れて行こうとするライラ様に、困惑しながら引っ張られて行った。下手に止めると転ばせてしまいそうで冷や冷やした。走るライラ様の様子は普段と違っていて、少し精神的に変化したのだろうかと、小走りに着いて行った。そうして辿り着いた場所は、ライラ様の私室だった。
中に入ってベッドの前まで移動させられて、今度はその上に転がそうと背中をぐいぐい押された。
「あ、あの……」
「ねる。ロイドつらい。びょうき。はやくねる」
びくともしない俺を一生懸命寝かしつけようとしている姿が可愛らしくて、思わず噴き出してしまった。
吐き気は既に消えていた。自分が眠い時ですら俺と遊ぶと言って聞かないのに、俺の体調不良を察するや、休ませようとする気遣いが嬉しかった。
「……ありがとうございます。本当にもう大丈夫ですから。ご心配をお掛けしました」
「いたくない?」
「どこも痛くありませんよ。ライラ様のおかげで治りました」
「なにもしてない」
「いいえ、してくださいましたよ。……ライラ様は、お優しいですね」
甘えたい盛りだろうに、他の誰にも甘えられなくて。唯一交流できる俺に対しても、我を通そうとしない。なぜこんなにも優しい子が、あのような狭い世界に生きなければならなかったのか、不思議でならない。
「ライラ様は……俺に、偉い人と普通の人、どちらになってほしいですか?」
ぽつりと零した質問に、ライラ様はきょとんとしていた。
「偉い人は、ライラ様にも勉強を教えている怖そうなおじさんたちの様な人です。あの人たちは、そのまた偉い人を守っているんですよ。皆から凄いと言われて、お金も沢山持っていて、好きな事も自由に出来るんです。普通の人には出来ないことが一杯あって、偉い人になるのは幸せなことなんです」
近衛騎士と一般兵の待遇には雲泥の差がある。周りの幼年兵たちは皆、なれるなら近衛騎士になりたがった。そして皮肉にも、確実になれる俺にとっては、仕える相手を選ぶことの方が大切だった。
だがそれを貫くのも、そろそろ疲れてきた頃だった。だから理解できないだろうライラ様に、なんとなく弱音を吐いてしまったのだろう。
「俺は、今すぐにでも、偉い人になれるそうですよ」
俺が間違っていたのかもしれない。だから、考えを改めるよう何度も言われていたのかもしれない。
「やだ。えらいひと、きらい。いじわる。ロイドのほうが、いいひと。ロイド、えらいひとなると、しあわせ? しあわせじゃないの、だめ」
心の中の凍えた部分が、溶けていくのを感じた。まさかこんな答えが返って来るとは思わなかった。
幼いライラ様の方が、俺のためと言う奴らより、よほど俺の事を考えていた。
「……ライラ様は、本当に、お優しいですね」
ずっと探していたものの手掛かりは、この時に掴んでいた。
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