5 神童
翌日は幼年兵団の本部――国軍の一組織だから専用の基地がある――の訓練場でひたすら模擬戦をしていた。座学より体を動かす方が好きだから、俺は戦闘訓練は嫌いではなかった。むしろ、変な会話さえ始まらないなら一番楽しい時間だった。
剣と剣がぶつかり合う高い音。槍が空気を切り裂く感触。次の手を読む一瞬の集中。格上の相手と対峙する高揚感。戦闘狂と言うほどではないが、血の気が多い自覚はある。戦闘職に就くことへは、小さい頃から何の疑問も持っていなかった。
俺は同期の幼年兵を打ち負かし、隅に座って次に順番が回ってくるまで短い休憩を取っていた。少し離れた所から、試合を見ていた奴と、先ほど地面に転がした相手の声が聞こえた。
「コテンパンじゃねーかよ。情けねー」
「うっせえな。ロイドに当たっちまった時点で諦めただけだよ」
「神童様はとっとと騎士になってほしいもんだぜ。俺たちみてーな一般人と同じことするなんて無駄だろーに」
「えっ、もしかして近衛騎士団からの引き抜き断ったって噂、マジなのか?」
「何だお前、知らなかったのか? 親父から聞いたんだけどよー――……」
またか、と思うと同時に、意識を向けることを止めた。だからこの後どのような話をしていたかは知らない。
神童なんて、俺には似合わない言葉だ。槍の腕は、天性の才などという不確かなものではなく、物心付いた時からの努力の結果だ。百年に一度の逸材だなど、言っている奴の目が悪いだけだ。
俺の家は三代続く騎士の家系だ。ランダス王国において騎士とは、王国軍の中でも選り抜きの精鋭部隊である、近衛騎士団に属する者を指す。下位に一般兵団、更に下に幼年兵団と連なる三層構造で、つまり近衛騎士は軍人としてのエリート。爵位こそ無いが騎士を輩出してきた家ということを、祖父も父も誇りにしていた。
そんな家に生まれて、武器を取らずに生きる道など有り得ない。家族は皆、俺が騎士になるものと思っていた。幼年兵団に入って早々、近衛騎士団の方から声を掛けられた時など、両親は周囲に自慢しまくっていた。祖父母は卒倒してそのまま天に召されるのではないかと思った。
近衛騎士団は18歳以上という年齢制限がある。この国の成人年齢であるし、幼年兵団の卒団年齢もこれに合わせてある。この制限を特例で無くそうという話が持ち上がった時、そうまでして俺の人生を勝手に決めたいのかと喚きたかった。
……そう、騎士になることが嫌だった訳ではない。俺はただ、自分で選びたかっただけだ。近衛騎士として当然のように国王陛下に剣を捧げるのではなく、仕えるべき主をこの目で見つけたかった。
(ああ、気分が悪い。一昨日の騎士もしつこかったし、今日はこれだ。……顔も知らない陛下に忠誠を誓うことが最上の誉れだと? 俺はそう思わないのだから、勝手な考えを押し付けるな)
あの日ライラ様と出会う直前、俺は一人の近衛騎士と話していた。やれ現役の騎士に劣らぬ天才だの、やれこのような所で燻っている時間が勿体無いだの、そんなことを言っていた気がする。日常的にそんなことがあったせいで、俺は騎士に近づかれると反射的に吐き気を催すようになったぐらいには、精神的に参っていた。いっそ虚弱体質と勘違いされて、誰も近づかなくなってくれれば良いとも考えたな。
訓練終了までがやたらと長く感じたのを覚えている。日が落ちきる直前、帰宅する同期たちの間をすり抜けて、逃げるように走った。神殿に着いて、門番の幼年兵に形式的な受付をする時間がもどかしかった。俺の事を知っていたようで、奇異の目を向けられるのが煩わしかったが、中に入った時にはどうでも良くなっていた。
礼拝室の椅子に座って船を漕いでいた少女を見て、泣きそうになった。
「――申し訳ございません、遅くなりました。……眠いのなら、また明日にしましょうか?」
「やだ。あそぶ。きょうも、あしたも」
ライラ様だけは、俺のことを軍の者と同じようには見ないと、絶対の事実に安心した。何も知らないことが可哀そうで、だが俺にとってはそれこそが救いだった。
―――――
「ライラ様は山神の巫女として、周囲の大人の都合に振り回されていた。……それを知って、天才なのだから騎士になることが当然、と言われてきた自分に、重ねていたんだ」
「じゃあさ、ライラにしてやったことって、ロイドがしてほしかったことなのか?」
「……少し違うな。俺は将来の選択肢を奪われさえしなければ良かった。ライラ様には、出来る限り普通の子供と同じ様に接しただけだ。問われたなら答えたし、外に出られない代わりに俺が色々な物を運んだ」
「レーベンリンドウ以外にもあげたのか」
「山神への貢物、という建前で菓子や花を中心にな。ライオンが見たいとせがまれた時は困った。結局絵に描いて見せたのだったか」
「へー……今じゃオレよりいっぱい知ってるから、想像つかねーや」
―――――
ライラ様のお傍で請われるがままに話すだけの時間は、何よりも尊く、安らぎに満ちていた。少しずつ増えていく表情を見る度に、心が温まった。
俺が求めていたのは、きっと「俺の事を知らない誰か」だったのだと思う。ライラ様は俺自身のことについては尋ねてこなかった。他に興味を引くものが多すぎて、後回しになっただけかもしれないが、そのおかげで俺の暗澹たる日々が少しはマシになってくれたのだ。
雑草にすら負ける俺への関心など、それに比べれば些細なことだ。そう思うことにしよう。
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