4 また明日
「あお、いっぱい。そらとちがうあお、いっぱい。おぼえた。あかも?」
「……ライラ様は、何が赤色だと思いますか?」
「おはな。おようふく。あと、おやさい」
「夕方の空も、赤いですよ。きっと窓から見えます」
「あと、マリーもあか」
ライラ様は歩いている間中喋り通しだった。無表情は相変わらずだったが、時々レーベンリンドウをじっと見ては、また小鳥が囀るように色々と尋ねてきた。その相手をするのは苦痛ではなかったが、話せば話すほど風変わりな思考回路が分かってしまうことだけは困った。
短い間だけで分かったことは二つ。ライラ様は一度も神殿の敷地から出たことがない。それどころか、例えば正面の門のような、外が見えるような場所へ近づくことすら禁じられていた。もっぱら室内で過ごすか、ごく稀に散歩と称して中庭に出るぐらいだった。
そしてもう一つは、知識の幅が不自然に狭いこと。俺の髪の「あお」に拘っていたのも、どうやら「空と洋服以外の青色の物は存在しない」と思い込んでいたからのようだ。それら以外の例を見たことがないから、というのは何となく察したが、周囲の人間が全く訂正する気がないということが恐ろしい。もしかしたら気づいていないのかと考えると、寒気がした。
彼女の置かれている状況が理解できなかった。山神の巫女という崇高な使命を背負った存在でありながら、なぜこのような仕打ちを受けているのかと、憤りすら感じていた。
関わりたくないと言いながら、結局俺は見過ごせなかった。
ライラ様と話しながら、世話係の女性を見つけるのは割と簡単だった。自室の方へと俺を引っ張るライラ様に合わせて歩けば、その部屋の前で狼狽えていた赤髪の女性が、見かけるなりすぐ駆け寄って来た。ライラ様が先に言っていた「あかいマリー」はこの人のことだ。何度も俺に頭を下げて礼を言うその人は、昨日の兵士とは違って誠実で優しげだった。
「本当にありがとうございます。昨日に続いてお姿が見えなくなった時は、肝を冷やしましたよ。ああ、本当に良かった。お手間を取らせてすみません」
「いえ、仕事の一環ですからお気になさらず」
「その装備は、幼年兵の方ですよね? いつもご苦労様です」
後で知ったのだが、マリーさんはライラ様の乳母兼、生活面での世話係だ。ライラ様が日常的に接する人間はこの人と、数人の教育係だけ。昨日の兵士は護衛のために軍から派遣されていて、短い任期で次々に入れ替わる。今の俺の立場がこれだ。もっとも、通常一か月の任期を無理矢理連続させてほぼ一年付きっきりになっているのは、後にも先にも俺だけだ。
マリーさんにライラ様を預け、俺は仕事に戻ろうとした。だがそれを引き留めたのは、裾を掴む小さな手だった。透き通った紫水晶が俺を見上げていて、「放してください」とは言いづらい雰囲気だった。
「ロイド。またくる?」
「ええ、またいつか庭を歩きますよ」
実はこの日が今回の任務の最終日だった。またしばらく訓練漬けの日々が続いて、次の実践任務で何に当たるかはまだ分からない。連続することは無いから、少なくとも二、三回分は後になるだろう。明確には分からないし、その時には忘れられているだろうと思って適当に暈した。
「あしたがいい」
「えっ……」
「あした。あしたもあそぶ」
遊んだつもりはなかったが、いつの間にか気に入られていたようだ。掴む力は意外に強く、俺は離れることもできずに尋ねた。
「……今日は、楽しかったですか?」
「うん。いままででいちばん。だから、あしたも」
そう言ったライラ様は、またあの微笑みを浮かべていた。小さな子が大げさに言っているだけではない重さが、その言葉にはあった。
「――では、また明日。夕方になりますし、礼拝室にしか私は入れませんが、お会い出来たならいくらでも」
だから、参拝客のふりをしても良いかと思ってしまった。訓練が終わってからだから、早くとも日が暮れる直前になる。一般人が入れる場所には限りがあるので、ライラ様の方から会いに来てくれないと無理ではあったが、それでも良いのならと答えてしまった。
「まってる。やくそく」
少しだけ、笑みが深まったような気がした。
「……ライラ様、そろそろお部屋へ」
「うん。……ロイド、あした」
「はい。また明日、お会いしましょう」
マリーさんに促された時も、念を押されてしまった。その様子を見て、マリーさんは驚いたように目を丸くしていた。ライラ様は名残惜しむように扉の影から俺を一瞥した後、元の無表情で中へ入って行った。
扉を閉じたマリーさんは、ほうと一つ溜息を吐いてから、声を潜めて話し掛けてきた。
「珍しいことなんですよ。ライラ様が、あのように我儘を仰るなんて」
「……やはりそうですか」
勝手に面会の約束をしてしまったことに対して、マリーさんは止めようともしなかった。それどころか、
「もし良ければ、門番のお仕事以外の時にもいらしてください。お暇な時でよろしいので」
これだ。黙って見ていれば、その理由も話してくれた。
「私はライラ様の乳母として、ずっとお世話をしてきました。ですが不必要な会話は禁じられ、特に何かを教えると言うことに関しては厳しく制限されています。何でも、国の教育方針にそぐわないことを吹き込むな、ということで」
山神の巫女であるライラ様の身元は国の管理下にある。そのこと自体は、当たり前と言えば当たり前だ。世界に四柱の山神に対して、巫女はなぜか一人。その時の巫女を抱える国は、他の国に対して幾らか優位に立てる。だからこそ、次代を得られる可能性に賭けて今の巫女を暗殺しようと企む敵国や、中立であるはずの巫女を引き込もうとする輩から、国が守っているのは当然だ。
ライラ様はまだ幼いから、自分で危険から身を守る術も持っていなかった。そのために「監禁とほぼ同義の行動制限」や「洗脳防止という名目での情報統制」をすることも致し方無し。……などとは、さすがに当時の俺も思わなかった。
「同年代の子供たちが両親からの愛情を一身に受け、自由に外を駆け回っている時に、ライラ様はずっとこの神殿の中で友人も無く一人きり。きっと成長した後も、お役目のため以外では外出できないのでしょう。そう思うと本当に不憫で」
マリーさんは赤子の頃から面倒を見ていて、娘のように思っていたのだろう。しかし他愛の無い「親子の会話」すら、させてはもらえなかった。国の方針に異議を唱えれば、即刻解雇されていただろうしな。
「『明日も遊ぶ』だなんて、そんな言葉をライラ様の口から聞ける日が来るとは思いませんでした。……お願いします。私が何とか誤魔化しますから、ライラ様と少しだけでも遊んであげてください」
「分かりました。……俺で良ければ、力になりましょう」
あれほど嫌がっていた面倒事を引き受けた理由は明白だ。大人の都合で全てを決められていることへの、同情と憐憫。
そして、自己投影。間違いなくあの時の俺は、ライラ様に自分を重ねていた。
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