10 何よりも尊き色
「う、うわあああ、わああああ!」
「喚くな! 体力を無駄にするな、馬鹿者!」
全力で来た道を駆け下りながら、半狂乱の後輩と共にドラゴンから逃げた。ドラゴンは高温のブレスで辺りを滅茶苦茶に攻撃しながら、木々を薙ぎ倒して追いかけて来た。少しでも気を抜けば追い着かれる距離。執拗な追跡に舌打ちしながら、頭の中でひたすら打開策を考えていた。
(このままドラゴンを山から出せば、被害が拡大しかねない。何より、神殿にはライラ様が……!)
どうか諦めて止まってくれと本気で祈った。麓まで着いて来られれば、すぐ傍にある神殿がどうなることか。ライラ様が襲われでもしたら。そう思えば、俺の取れる行動は一つだった。
「俺が奴を引き付ける! お前は急ぎ撤退し、応援を連れて来い!」
「何言ってるんすか!? 死にますよ!?」
「だから早くしろと言っている! このままでは無辜の民が犠牲になるぞ!」
開けた場所に出た瞬間、俺は手にした槍を強く握り締め、振り向き様にドラゴンへ一閃を放った。魔法を帯びた一撃を跳び退って躱したそいつは、狙い通り俺一人へ狙いを定めてくれた。後輩がたたらを踏んだのを、一言叫んで先へ進ませた。
「行け!」
返事は聞かなかった。既に俺の注意は、ドラゴンだけに向いていた。
ドラゴンと相対しながら、改めてその姿をまじまじと観察した。
ドラゴンは棘付きの尻尾で地面を叩き、剥き出しの牙から血と唾液を滴らせて唸っていた。なぜここまで気が立っているのかと思ったら、蝙蝠のような小さめの翼が傷ついているのが見えた。血は出ていなかったから、俺の初撃が命中したのではなく、それ以前に怪我をしていたようだった。飛べないから本来の生息地ではないレーベン山に留まっていたし、地面を走って追いかけて来たのだろう。
これは好都合だった。上空から攻撃されたなら、圧倒的に不利な状況が絶望度を増していた。勝てる見込みが無いのは相変わらずだったが、逃げられる心配だけは無くなった。
「この先へは行かせん。――ライラ様の『あお』を、穢すわけにはいかんのだ!」
絶対に、俺と同じ色をしたそいつにだけは、ライラ様を傷つけさせる訳にはいかなかった。好きだと言ってくださった色に、恐怖の記憶が結びつくことなどあってはならない。
ライラ様にとって「あお」は安らぎでなければならない。その笑顔と自由を守るものでなければ。
ドラゴンの突進を避け、太い尾に槍の穂先を突き立てた。更に雷で翼の傷を抉れば、ますます猛り狂って暴れた。飛んでくる攻撃は怖いが、疲弊させることが目的だ。
胴体を薙ぎ払い、魔法でダメージを蓄積させる。浅い攻撃も数を重ねれば無視できないだろうと、一心にそれを繰り返した。時間の感覚が無くなって、何時間も戦っているような気がした。
翼の片方を斬り落とし、額の角を折った。尻尾の棘は半分以上無くなり、体中至る所に穴を開けたドラゴンの動きは鈍くなりつつあったが、当然俺の方も無傷とはいかなかった。裂傷や火傷の痛みに、何度も足が止まりそうだった。
そうしていつまでも来ない援軍に焦り始めた時、とうとう戦況はあちらに傾いた。
避け損ねた尾の棘が脇腹を抉り、思わず膝を着いたところで、再び振るわれた尾に跳ね飛ばされた。無様に地面へ転がされ、どこかの骨が折れる嫌な音を聞いた。這い蹲って、立ち上がろうとして、――背中の違和感に気づいた瞬間、俺は終わりを悟った。
痛いというより熱かった。血が流れ出るのを感じた。無理矢理上体を起こしてドラゴンの方を向けば、鋭い三本の爪の先が赤く染まっていた。続く攻撃を柄で受け止められたのは、それまでにだいぶ体力を削っておいたおかげに他ならない。
俺に食らいつこうと口を開ける動作が、酷くゆっくりに見えた。
向かって来るドラゴンの遥か後ろで、レーベンリンドウが揺れているのも。
「――――っぁぁあああああ!!」
どこにあんな力が残っていたのか。
跳ね起きて、開いた口腔に腕ごと槍を突き入れた。牙が肩に食い込むのも構わず、穂先が喉笛を貫くまで、全身の力を振り絞って押し込んだ。
ドラゴンが倒れた衝撃で槍は折れ、俺は再び地面に投げ出された。
もう起き上がることは出来なかった。急速に暗くなっていく視界の中で、レーベンリンドウの青だけが妙に鮮やかだった。
「や、くそく……――」
そういえば、新しい花を渡さないと。これからもずっと、ライラ様が心の支えにしてくださるような、枯れない「あお」を。
約束した贈り物のために、手を伸ばして。
そこで意識が途切れ、以降の記憶は無い。
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