第20話 名古屋 ~ 博多 1

 名古屋 ~ 博多


 一月五日。僕とトキワカさんが九州に帰る日。

 駅まで見送りに来てくれた黄さんと深町プロに別れの挨拶をしたあと、僕だけが黄さんに呼び止められた。

「トキワカちゃん、元気なくねぇか? あのあと喧嘩でもしたのか?」

「あ、それ、俺も思ってた」

 ふたりが心配そうに見つめてくるのを、僕は苦笑して首を振る。

「喧嘩はしてません。何もなかったわけではないですけど、心配御無用です」

「……気になる言い方されると余計に詮索したくなるんだが?」

「いつか必ず話しますから、とりあえず、今は……」

 そこまで言うと、わかったとでも言いたげに、黄さんは無言で頷いた。深町プロはというと、彼の目の奥を探るに、何となく察されているだろう。だが、深町プロも突っ込んだことは聞いてこなかった。

「……なんにせよ、だ」

 黄さんが、僕の右手をがっしと掴んだ。

「楽しかった。またな、松やん」

「はい、それまでお元気で。深町プロも、周防さんといい関係を築いてください」

「おっさんくさいよ銀ちゃん。……でも、ありがとね」

 僕と黄さんの握手に、深町プロも手を重ねた。

「よし、トキワカちゃんが待ってるぞ。行ってこい」

「帰るまでがなんとやらだからね、銀ちゃん」

「はい、わかってます。……それじゃ!」

 僕は手を振って、ふたりと別れた。

 そして小走りで、改札の前で待ってくれていたトキワカさんの元へ。

「お待たせしました」

「うん」

「帰りましょう。……俺たちの旅を、終わらせましょう」


 ―――帰るまでがなんとやら、と深町プロは言った。

 小学校の遠足や修学旅行でよく聞いた決まり文句だ。

 しかし、僕の旅に限っては―――ある意味、ここからが〈本番〉だった。


 博多行きのぞみの自由席の車両にて、ふたりがけのシートが折り良く空いていたので、僕とトキワカさんは並んで座った。トキワカさんが窓側に。僕が通路側に。

「今回は、ちゃんと座れてよかったですね」

「うん」

「博多までは三時間と少し……でしたよね?」

「うん」

「……トキワカさん、ちょっと疲れてます?」

「ううん」

 トキワカさんは無表情に素っ気ない返事しかしない。今朝からずっとこの調子だった。僕があれこれ気を揉んでも却ってトキワカさんの神経に障るだろうかと、発車まで黙っていた。

 時刻となり、新幹線がそろりそろりと、走りはじめた。

 おもむろに、トキワカさんはピンクのリュックサックを開けた。

「じゃあ、始めようか」

「その前に……いいですか?」

「なに?」

 トキワカさんのぼんやりとした目を見据えて、僕は話しだす。

「どうしても、ゲームが必要ですか? 恋人の契約を賭けての勝負が、必要ですか?」

「嫌なの?」

「……試されるのは、正直いい気分じゃありません」

 僕が本音を言うと、それもそうね、とトキワカさんはわずかに口元を歪めて頷いた。

 少しだけ声量を落として、トキワカさんのそばで囁いた。

「俺はトキワカさんが好きです。……それに、たぶん、トキワカさんも俺のことを、それなりに好いてくれてるんじゃないかなって、思ってます。俺のひとりよがりでも、そう思います」

 僕が隣に座る女性のものになるのなら、どんなゲームでも乗る。ただし現状の僕では、気持ちが伴わなかった。

「俺が勝ったとして……『この人は負けたから仕方なく俺と付き合ってる』なんて思いながらの恋人の関係は、望みません。……トキワカさんの今の気持ちを、聞かせてくれませんか?」

「……私の……今の……」

 そう言うと窓辺のトキワカさんは、車窓の流れる風景に視線を移した。

 言葉をまとめるための沈黙は、一分ほど。

「列車の中で花札勝負をしたとき、〈一時の娯楽に供する物〉について話したのを、覚えてる?」

 はい、と僕が頷くと、トキワカさんの顔が戻ってきた。

「……私、あなたに嘘をついた。……私の本当の身分は大学生じゃなくて、高校を中退したフリーターなの。中学校だって二年生からずっと引きこもって欠席してた」

 話がどこに向かうのかわからなかったが、彼女なりの文脈があるのだろうと信じて傾聴した。

「……私があと何十年生きられるかはわからないけど、人生の中でとっても大切な時間を棒に振った、っていう思いを、ずっと引きずってる。……誰しもに一度きりの、青春の時間を、たくさん無駄にしてしまった。……だから、もう、一分一秒、無駄にしたくない。消費期限付きの、一時の娯楽に供する私の青春を、納得づくで何かに賭けたい」

 トキワカさんの瞳に力が宿るのを、僕は見た。

「私にとっての〈一時の娯楽に供する物〉は、〈時間〉そのもの。私はそれを賭ける……いいえ、〈私の時間を賭けるに相応しい人間〉なのかどうかを、見極めたいの。いつかは思い出になる私の青春を差し出して納得できる人なのかを、私なりの方法で確かめたいの」

「……なるほど」

 とは言ってみたが、実際のところ理解も共感もできなかった。原因を探るに、僕がトキワカさんを好きだからだろう。それが真実だから、本心では彼女にもそれを信じてほしかった。

「正直、納得はできませんが……、『それなら従おう』というモチベーションは、作れました」

「じゃあ……私の勝負に、乗るのね?」

「乗りますとも」

 トキワカさんは彼女なりの意志で、恋人を選別しようとしている。この勝負に乗らなければ、僕は彼女の隣に立てないのだ。

 時間が惜しいから、と言って、トキワカさんはリュックサックを改めて開けた。

「ゲームは何をするんです? ポーカーですか? 花札ですか? それとも……」

「サイコロを使うけど、サイコロのゲームじゃないから」

 トキワカさんは一個のサイコロだけを取り出すと、リュックサックを閉じてしまった。

「銀朱くんには、これから十戦、サイコロの目を当ててもらう」

 ずいぶんとシンプルなルールだと思ったが、トキワカさんがハンカチをコートから取り出したところで、「サイコロのゲームじゃないから」という言葉を思い返した。

「……このゲームは、三日前にシロさんにもやってもらった。……正確なルールや作法は知らないけど、肝の部分は一緒。……銀朱くんには、私が選んだサイコロの目を、当ててもらう」

 そのルールを聞いて、恐らくは今までで一番厄介なゲームだと予感した。

「〈手本てほんき〉で勝負よ」


 トキワカさんはぽつぽつと〈手本引き〉なるゲームのルールを説明した。

「ゲームは……まず私が、当たりになる目を決める。偶然ではなく自分の意思で決める。……銀朱くんには、ハンカチで隠した出目を推測して、『これだ』と思う目に賭けてもらう」

「……配当の倍率は? 賭けの上限は? 認められるのは一点賭けだけですか?」

「賭け金を揃えるなら何点賭けてもいいよ。……ただし、配当は四倍。当たった目に三倍足して戻す」

「……それって……」

「そうね」

 僕の疑問を、言葉になる前にトキワカさんが汲み取った。

「確率で言えば、これはかなりプレーヤーに不利な勝負。期待値的には、やり続ければ確実にプレーヤーが負ける。……だけどね、〈手本引き〉は確率のゲームではないの。胴元の心を読むギャンブルなの」

 トキワカさんのその言葉に、彼女が何故このゲームで判定を下すかを知った気がした。

「銀朱くんは、私と一週間、同じ時間を共有してきた。……『もう私の心を読めるでしょ?』なんて無茶なことは言わないけど、せめて六択の選択くらいは……私の恋人になりたいのなら、挑んでほしい。……私と旅をしてきた銀朱くんなら、当てられると思うから」

 やるしかないのだから異論はないが、それにしても厳しいゲームだった。

 複数の目に賭けられるとはいえ、十分な浮きを確保していない限り、倍率を考えれば必然的に三点賭けまでしかできない。四点賭けでは当ててもプラスマイナスゼロ、五点賭けでは当ててもマイナスだ。六つあるうちの選択肢を半分にまで絞らないと勝負にさえならない。

 ―――やるしかないのだが。

「ゲーム開始時のチップは、どれほどもらえるんですか?」

「賭け金の下限を1単位として、365単位で始めてもらう。賭けの上限はなし」

 ずいぶんと中途半端な数字だが、365とは、何らかの意味があるはずだった。

「俺の勝利条件と敗北条件は? どこまでチップを増やせば俺の勝ちなんです?」

「最初のチップを残していれば、銀朱くんの勝ちよ。全十戦を戦って365単位未満だった場合や、ゲームの途中でチップを全部失った場合は、銀朱くんの負け。……ああっと、パスは禁止だからね」

「十戦を終えて収支マイナスにならなければ俺の勝利、ということですね?」

「そういうこと」

 パス禁止というルールを踏まえると、ミニマムで張り続けるにしても何度かは当てないと浮かないことになる。

 確率で考えると、やはり厳しい勝負だ。

 いや、トキワカさんの言うとおりに、確率の勝負と考えてはいけないのだろう。運否天賦に賭ければ確実に負ける。

 彼女の心―――彼女の選択を、読まなければならない。

「……ルールは、わかりました」

「質問は?」

「ひとつだけ。……俺が負けた場合、俺は何を失うんです?」

 まさかシロさんと同じように丸坊主にしろとは言われないだろう。僕の髪に価値はない。

「……銀朱くんは、この勝負に負けたら、私のこと諦める?」

「まさか。再挑戦しますよ」

「うん。だと思った。……だからね、銀朱くんが負けたときは、〈再戦までの日数〉を、負けた分だけ没収することにする」

 ようやく合点がいった。だから最初のチップ量が365単位なのだ。

「十戦終えて、30単位分マイナスだったら、どれだけ拝んでもせがんでも三十日間は絶対に会わない。勝負しない。……そして、」

「365単位すべて失ったら、再戦の機会は早くとも来年の今日、ということですか?」

「そう。だから……最後の十戦目まで諦めないでね。負けを減らして再挑戦してもいいから」

 思わず苦笑してしまう。

「トキワカさんは、俺のことが好きでしょう? 俺たち、普通に恋人になれませんか?」

「ダメ。そんなこと言わないで。……迷っちゃうから」

 そう言うとトキワカさんは、自らの迷いを断ち切るかのように、始めるよ、と言った。

 ここでくどくどとトキワカさんを口説いて説得してしまうのもひとつの方法だ。何が何でも彼女を恋人にしたいのなら。

 しかしそれは、常磐若菜さんという女性の、信条とも心情とも言うべきものの否定になってしまう。それだけはしたくない。

 再戦の機会があるというだけで―――と思ってしまいそうになる自分を思い留める。

 勝ちに行かなければ。

 僕を待っているトキワカさんのためにも。

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