第17話 大宮 ~ 名古屋 2
「もしもし周防さん? 俺ですー、深町ですー。今名古屋駅に着いてー」
前日の約束では、名古屋駅の桜通り口にて落ち合う手筈になっていて、約束どおりの出口に僕たち四人が着いたときには、すでに周防さんも来ていたらしい。
「えーっと、どこかなぁー? 見えたら絶対にわかるんだけどなぁー」
だが、案の定というかなんというか、人の多い名古屋駅の出口でお互いを見つけ出すのには、ひとつ工夫が必要だった。
周防さんに電話で連絡を取っている深町プロの隣で、僕は黄さんに肘で小突かれた。
「松やん。ジャンプしろ」
「了解です」
背中の巨大なリュックサックをがっさがっさと揺らして僕が垂直跳びを始めると、深町プロが笑い出した。
「周防さん周防さん、馬鹿みたいにジャンプしてる銀ちゃんが見えない? すっごい目立ってるから早く見つけてあげて。……そうそう、赤いリュックの……あ! わかったわかった!」
きょろきょろと辺りを見渡していた深町プロが、せっかちなメトロノームのようにぶんぶんと右手を振った。飛び跳ねるのをやめて深町プロの視線を辿ると、人ごみを擦り抜けて、まっすぐに周防さんがやってきた。
―――黒のパンプスのヒールをこつこつ鳴らし、スキニージーンズで颯爽と、グレーのカーディガンの肩にはピンクのショルダーバッグを提げて、墨の中から紡ぎだしたような美しい黒髪をなびかせながら―――
「ごめんなさい。お待たせしちゃって」
大人っぽい、やや低音の澄んだ声で謝られると、黄さんや深町プロはともかく、僕は少しだけ緊張してしまう。
「お久しぶりです。周防さん」
「うん。久しぶりね松島くん。遊びに来てくれて嬉しい。もちろん黄さんも、深町さんも」
「おひさですー」
「まだ冬休み中なんだっけ?」
「うちの保育園は今日までですね。……あっと。あなたが、常磐若菜さん?」
女性にしては背が高い周防さんと小柄なトキワカさんが向かい合うと、どちらにも失礼な表現だが、親子に見えなくもない。
「はじめまして。常磐です」
「周防かなえです。よろしく。私もトキワカちゃんって呼んでいいかな?」
「あ、じゃあ私も、かなえさんって呼んでいいですか?」
あっという間に打ち解けていく女性陣に、なぜか野郎ふたりが抗議した。
「俺もかなえさんって呼びたいでーす」
「俺は『博文さん』って優しく呼んでほしいでーす」
「俺はくん付けがいいなー。年下の女の子にくん付けで呼ばれたいなー」
計ったように息を合わせてやいやい騒ぐふたりに、周防さんは困ったように微笑んだ。
「下の名前で呼ぶと保育士モードになっちゃうんですけど、それでもいいんですか?」
「お願いしまーす。周防せんせー」
「はいはい。……それじゃあ、ひろふみくん、はなだくん、ぎんしゅくん、わかなちゃん。これから地下鉄に乗ります。手を繋いで列を作りましょう」
「はーい」
元気よく返事をすると、黄さんと深町プロは人目もはばからずに手を繋いだ。大の男ふたりで手を繋ぐなど、見苦しささえあった。
しかし、
「私たちも、ほら」
「えっ、は、はい」
強引に掴まれる形で、僕とトキワカさんも手を繋ぐことになった。
小さく、細く、筋張っていない柔らかなトキワカさんの手は、少し心配になるくらい冷たかった。今日は一月にしては温かいのに、冷え性なのだろうか。
―――などという感想は、言い訳でしかない。自分の体温を移すように、しっかりとトキワカさんの手を握り締めた僕の、下心を繕う言い訳でしかなかった。
周防さんが先導する形で、僕たちは再び名古屋駅の中に入っていった。
博多と比べると、名古屋の地下鉄は複雑だった。東京と比べるとまた違うのかもしれないが。
乗り換える度に階段を上ったり下りたり、延々と歩いたり。僕はともかく、日ごろの運動不足が祟っているのか、深町プロと黄さんは少々辛そうだった。
トキワカさんと周防さんはどうやら馬が合ったようで、地下鉄の列車内でもよく会話した。
「トキワカちゃんは、名古屋は初めて?」
「一度だけあります。そのときは相撲観戦しました」
「じゃあ夏に来たのね。
「琴奨菊です。私の父が同郷なんで、私もなんとなく応援してたんですけど……確か私が名古屋に行ったとき、優勝争いに絡んでたんですよね。しかも大関の稀勢の里戦で。これは応援しないと、って思って。入り待ちもして、琴奨菊が来たとき、『がまだせ琴奨菊!』って大声で叫んじゃいました」
「ん?『がまだせ』って?」
「こっちの方言で『がんばれ』って意味です。……一回くらいは幕内優勝してほしいんですけどね。いつもいつも千秋楽まで勝ち越せるかわからないって場所が多いから」
「熱心なのね。トキワカちゃん」
「うちのお父さんはもっと熱いですよ。四股名が琴菊次のときから応援してますから」
これより二十日後の一月場所千秋楽にて、琴奨菊関は日本出身力士としては十年ぶりの幕内最高優勝を果たして日本を沸かせることになるのだが、九州が猛吹雪に見舞われた中、僕は興奮冷めやらぬトキワカさんから琴奨菊優勝の喜びを電話で聞かされることになる。
目的の駅で降りて地上に出ると、前日に予約していたホテルに向かった。切符代を出してくれたからと、なんやかんや言いくるめられて、僕とトキワカさんの分の宿泊代は黄さんと深町プロが持ってくれた。
そうして荷物を置いてから、五人で向かったのは、周防さんの自宅だった。
「松島くんが高校生でなければ、雀荘にも行けたんだけど……」
「お邪魔してすみません」
「あっ、ううん、そういうことじゃなくてね。私のアパート狭いから。それに、手積みよりも全自動卓のほうが良かったでしょ?」
「いや? 昨日は手積みで散々やりあったよ。なぁ?」
「銀ちゃんはぶきっちょだったけど、もう慣れたでしょ?」
「……うーん、どうでしょうか」
そもそも普段はネット麻雀でしか遊ばないので、実際の麻雀牌に触ったのは、金龍杯の大会以後は、神戸が初めてだった。まだまだ麻雀牌そのものに慣れていない。
「気にする人もいないし。ゆっくりやりましょうよ。私も金龍杯からは一度も打ってないし」
「そうなんですか?」
「あのあと運動会とかハロウィンのお遊戯会とかクリスマスとか、いろいろと行事で忙しかったから。……今日は負けちゃうかもね」
名古屋で保育士として忙しく働いている周防かなえさんは、初対面のときには麻雀を打つようには見えなかった。しかし彼女の忍耐力と粘り強さの秘訣も人柄と職種にあるようで、インタビューでは「限られた時間を活かしたくて、ぎりぎりまで粘る打ち方になった」と答えていた。さもありなんと思える。
周防さんの住むアパートは二階建てのこぢんまりとした建物で、ひとり暮らしとしては十分だが、四人も客を呼ぶには確かに手狭だった。
「ちょっと待っててね。干してた座布団取り込むから」
「あ、その前に」
ベランダの窓を開けようとした周防さんに、深町プロが唐突に声をかけた。
「どうかしました?」
「あのね、タイミング逃すとアレだから、もうこの場で言っちゃうことにする」
みんなも聞いてて、と深町プロが言ったところで、彼の表情が変わった。
一昨日の晩に見せた表情に近く、しかし真剣さの濃い眼差しに、僕ははっとなった。
「周防さん。俺と、結婚を前提に付き合ってくれませんか?」
ぽかんと口を開けて、ぱちぱちと目をしばたたかせていた周防さんと、普段の飄々とした雰囲気を消して真剣に彼女を見つめる深町プロを、僕は交互に見比べていた。
言葉を失っていたのは僕だけではなかった。トキワカさんも驚いた表情できょろきょろしていた。黄さんに関しては―――黙ってじっと腕を組んでいる辺り、承知していたのだろう。
深町プロと黄さんの名古屋への訪問は、僕のためだけのサプライズではなかったのだ。
「えっ……どっ……なっ……」
驚きのあまり言葉を失っている周防さんは、胸に手を当てて、一度深呼吸をした。
「……びっくりしました。すごく、すごく」
「ごめんね。……でも、俺は本気だよ」
「……どうして、私に? どうして私が?」
「俺にはあまり、国語の力がないからさ、うまく説明できない。……でも、周防さんを好きだという気持ちに嘘はないよ」
そんな前置きさえ、深町プロにはもどかしそうだった。
伝えたいことは、たったの一言で済む。
「好きです」
恐らくは深町プロ自身が一番予想していたであろう沈黙が、アパートの狭い部屋の中に、濃密に充満した。
周防さんの答えに皆が注目している中、当の本人は、そわそわもじもじと、急な告白に対する返答を考えているようだった。
誰もが口を開けずにいる中で、ぱん、と深町プロが手を叩いた。
「周防さん、俺を見ていてほしい。……俺は、学もないし、収入も安定しないし、チビでひょろひょろで、確かに頼りないかもしれない。……でも、麻雀でなら、かっこいい姿を見せられる。だから……戦う俺を見て、決めてくれないかな」
深町プロの言葉に、金龍杯決勝のあの日と、周防さんに思いを伝えたこの日は、彼にとってどちらが大事だろうかと、僕は愚かしくも一瞬、考えてしまった。
「俺と、戦ってください。返事は、戦う俺を見てからで」
愚考だった。
深町プロはいつだって、勝負のときは真剣だ。
恋であれ、麻雀であれ―――
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